秋雑歌
岡本天皇の御製歌一首 1511 夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寐ねにけらしも 大津皇子の御歌一首 1512 経もなく 緯も定めず 娘子らが 織る黄葉に 霜な降りそね 穂積皇子の御歌二首 1513 今朝の朝明 雁が音聞きつ 春日山 もみちにけらし 我が心痛し 1514 秋萩は 咲くべくあらし 我がやどの 浅茅が花の 散りゆくみれば ☆花 ☆花 但馬皇女の御歌一首 一書には「子部王が作なり」といふ 1515 言繁き 里に住まずは 今朝鳴きし 雁にたぐひて 行かましものを 山部王、秋葉を惜しむ歌一首 1516 秋山に もみつ木の葉の うつりなば さらにや秋を 見まく欲りせむ 長屋王が歌一首 1517 味酒 三輪の社の 山照らす 秋の黄葉の 散らまく惜しも ☆故地 山上臣憶良が七夕の歌十二首 1518 天の川 相向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり 紐解き設けな 右は、養老八年の七月の七日に、令に応ふ。 1519 ひさかたの 天の川瀬に 舟浮けて 今夜か君が 我がり来まさむ 右は、神亀元年の七月の七日の夜に、左大臣の宅にして。 1520 彦星は 織姫と 天地の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに 青波に 望は絶えぬ 白雲に 涙は尽きぬ かくのみや 息づき居らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも 朝なぎに い掻き渡り 夕潮に い漕ぎ渡り ひさかたの 天の川原に 天飛ぶや 領巾片敷き 真玉手の 玉手さし交へ あまた夜も 寐ねてしかも 秋にあらずとも 反歌 1521 風雲は 二つの岸に 通へども 我が遠妻の 言ぞ通はぬ 1522 たぶてにも 投げ越しつべき 天の川 隔てればかも あまたすべなき 右は、天平元年の七月の七日の夜に、憶良、天の川を仰ぎ観る。一には「帥の家にして作る」といふ。 1523 秋風の 吹きにし日より いつしかと 我が待ち恋ひし 君ぞ来ませる 1524 天の川 いと川波は 立たねども さもらひかたし 近きこの瀬を 1525 袖振らば 見も交しつべく 近けども 渡るすべなし 秋にしあらねば 1526 玉かぎる ほのかに見えて 別れなば もとなや恋ひむ 逢ふ時までは 右は、天平二年の七月の八日の夜に、帥の家に集会ふ。 1527 彦星の 妻迎へ舟 漕ぎ出らし 天の川原に 霧の立てるは 1528 霞立つ 天の河原に 君待つと い行き帰るに 裳の裾濡れぬ 1529 天の川 浮津の波音 騒くなり 我が待つ君し 舟出すらしも 大宰の諸卿大夫并せて官人等、筑前の国の蘆城の駅家にして宴する歌二首 ☆故地 1530 をみなへし 秋萩交る 蘆城の野 今日を始めて 万代に見む ☆花 1531 玉匣 蘆城の川を 今日見ては 万代までに 忘れえめやも 右の二首は、作者いまだ詳らかにあらず。 笠朝臣金村、伊香山にして作る歌二首 ☆故地 1532 草枕 旅行く人も 行き触れば にほひぬべくも 咲ける萩かも 1533 伊香山 野辺に咲きたる 萩見れば 君が家なる 尾花し思ほゆ ☆花 石川朝臣老夫が歌一首 1534 をみなへし 秋萩折れれ 玉桙の 道行きづとと 乞はむ子がため 藤原宇合卿が歌一首 1535 我が背子を いつぞ今かと 待つなへに 面やは見えむ 秋の風吹く 縁達師が歌一首 1536 宵に逢ひて 朝面なみ 名張野の 萩は散りにき 黄葉早継げ 山上臣憶良、秋の野の花を詠む歌二首 1537 秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 その一 1538 萩の花 尾花葛花 なでしこの花 をみなへし また藤袴 朝顔の花 その二 ☆花 ☆花 ☆花 ☆花 ☆花 ☆花 ☆花
天皇の御製歌二首 1539 秋の田の 穂田を雁がね 暗けくに 夜のほどろにも 鳴き渡るかも ☆花 1540 今朝の朝明 雁が音寒く 聞きしなへ 野辺の浅茅ぞ 色づきにける ☆花 大宰帥大伴卿が歌二首 1541 我が岡に さを鹿来鳴く 初萩の 花妻どひに 来鳴くさを鹿 1542 我が岡の 秋萩の花 風をいたみ 散るべくなりぬ 見む人もがも 三原王が歌一首 1543 秋の露は 移しにありけり 水鳥の 青葉の山の 色づく見れば 湯原王が七夕の歌二首 1544 彦星の 思ひますらむ 心より 見る我れ苦し 夜の更けゆけば 1545 織姫の 袖継ぐ宵の 暁は 川瀬の鶴は 鳴かずともよし 市原王が七夕の歌一首 1546 妹がりと 我が行く道の 川しあれば つくめ結ぶと 夜ぞ更けにける 藤原朝臣八束が歌一首 1547 さを鹿の 萩に貫き置ける 露の白玉 あふさわに 誰れの人かも 手に巻かむちふ 大伴坂上郎女が晩萩の歌一首 1548 咲く花も をそろはいとはし おくてなる 長き心に なほしかずけり 典鋳正紀朝臣鹿人、衛門大尉大伴宿禰稲公が跡見の庄に至りて作る歌一首 1549 射目立てて 跡見の岡辺の なでしこの花 ふさ手折り 我れは持ちて行く 奈良人のため 湯原王が鳴鹿の歌一首 1550 秋萩の 散りの乱ひに 呼びたてて 鳴くなる鹿の 声の遥けさ 市原王が歌一首 1551 時待ちて 降れるしぐれに 雨やみぬ 明けむ朝が 山のもみたむ 湯原王が蟋蟀の歌一首 1552 夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に こほろぎ鳴くも 衛門大尉大伴宿禰稲公が歌一首 1553 しぐれの雨 間なくし降れば 御笠山 木末あまねく 色づきにけり 大伴家持が和ふる歌一首 1554 大君の 御笠の山の 黄葉は 今日のしぐれに 散りか過ぎなむ 安貴王が歌一首 1555 秋立ちて 幾日もあらねば この寝ぬる 朝明の風は 手本寒しも 忌部首黒麻呂が歌一首 1556 秋田刈る 仮盧もいまだ 壊たねば 雁が音寒し 霜も置きぬがに 故郷の豊浦の寺に尼の私房にして宴する歌三首 1557 明日香川 行き廻る岡の 秋萩は 今日降る雨に 散りか過ぎなむ 右の一首は丹比真人国人。 1558 鶉鳴く 古りにし里の 秋萩を 思ふ人どち 相見つるかも 1559 秋萩は 盛り過ぐるを いたづらに かざしに挿さず 帰りなむとや 右の二首は沙弥尼等。 大伴坂上郎女、跡見の田庄にして作る歌二首 1560 妹が目を 始見の崎の 秋萩は この月ごろは 散りこすなゆめ 1561 吉隠の 猪養の山に 伏す鹿の 妻呼ぶ声を 聞くが羨しさ 巫部麻蘇娘子が雁の歌一首 1562 誰れ聞きつ こゆ鳴き渡る 雁が音の 妻呼ぶ声の 羨しくもあるか 大伴家持が和ふる歌一首 1563 聞きつやと 妹が問はせる 雁が音は まことも遠く 雲隠るなり 日置長枝娘子が歌一首 1564 秋づけば 尾花が上に 置く霜の 消ぬべくも我は 思ほゆるかも 大伴家持が和ふる歌一首 1565 我がやどの 一群萩を 思ふ子に 見せずほとほと 散らしつるかも 大伴家持が秋の歌四首 1566 ひさかたの 雨間も置かず 雲隠り 鳴きぞ行くなる 早稲田雁がね 1567 雲隠り 鳴くなる雁の 行きて居む 秋田の穂立 繁くし思ほゆ 1568 雨隠り 心いぶせみ 出で見れば 春日の山は 色づきにけり 1569 雨晴れて 清く照りたる この月夜 またさらにして 雲なたなびき 右の四首は、天平八年丙子の秋の九月に作る。 藤原朝臣八束が歌二首 1570 ここにありて 春日やいづち 雨障み 出でて行かねば 恋つつぞ居る 1571 春日野に しぐれ降るみゆ 明日よりは 黄葉かざさむ 高円の山 ☆故地 大伴家持が白露の歌一首 1572 我がやどの 尾花が上の 白露を 消たずて玉に 貫くものにもが 大伴利上が歌一首 1573 秋の雨に 濡れつつ居れば いやしけど 我妹がやどし 思ほゆるかも 右大臣橘家の宴の歌七首 1574 雲の上に 鳴くなる雁の 遠けども 君に逢はむと た廻り来つ 1575 雲の上に 鳴きつる雁の 寒きなへ 萩の下葉は もみちぬるかも 右の二首。 1576 この岡に 小鹿踏み起し うかねらひ かもかもすらく 君故にこそ 右の一首は長門守巨曾倍朝臣対馬。 1577 秋の野の 尾花が末を 押しなべて 来しくもしるく 逢へる君かも 1578 今朝鳴きて 行きし雁が音 寒みかも この野の浅茅 色づきにける 右の二首は安倍朝臣虫麻呂。 1579 朝戸開けて 物思ふ時に 白露の 置ける秋萩 見えつつもとな 1580 さを鹿の 来立ち鳴く野の 秋萩は 露霜負ひて 散りにしものを 右の二首は文忌寸馬養。 ☆故地 天平十年戊寅の秋の八月の二十日 橘朝臣奈良麻呂、宴に結集ふる歌十一首 1581 手折らずて 散りなば惜しと 我が思ひし 秋の黄葉を かざしつるかも 1582 めづらしき 人に見せむと 黄葉を 手折りぞ我が来し 雨の降らくに 右の二首は橘朝臣奈良麻呂。 1583 黄葉を 散らすしぐれに 濡れて来て 君が黄葉を かざしつるかも 右の一首は久米女王。 1584 めづらしと 我が思ふ君は 秋山の 初黄葉に 似てこそありけれ 右の一首は長忌寸が娘。 1585 奈良山の 嶺の黄葉 取れば散る しぐれの雨し 間なく降るらし 右の一首は内舎人県犬養宿禰吉男。 1586 黄葉を 散らまく惜しみ 手折り来て 今夜かざしつ 何か思はむ 右の一首は県犬養宿禰持男。 1587 あしひきの 山の黄葉 今夜もか 浮かび行くらむ 山川の瀬に 右の一首は大伴宿禰書持。 1588 奈良山を にほはす黄葉 手折り来て 今夜かざしつ 散らば散るよも 右の一首は三手代人名。 1589 露霜に あへる黄葉を 手折り来て 妹はかざしつ 後は散るとも 右の一首は秦許遍麻呂。 1590 十月 しぐれにあへる 黄葉の 吹かば散りなむ 風のまにまに 右の一首は大伴宿禰池主。 1591 黄葉の 過ぎまく惜しみ 思ふどち 遊ぶ今夜は 明けずもあらぬか 右の一首は内舎人大伴宿禰家持。 以前は、冬の十月の十七日に、右大臣橘卿が旧宅に集ひて宴飲す。
大伴坂上郎女、竹田の庄にして作る歌二首 1592 しかとあらぬ 五百代小田を 刈り乱り 田盧に居れば 都し思ほゆ 1593 こもりくの 泊瀬の山は 色づきぬ しぐれの雨は 降りにけらしも ☆故地 右は、天平十一年己卯の秋の九月に作る。 仏前の唱歌一首 1594 しぐれの雨 間なくな降りそ 紅に にほへる山の 散らまく惜しも
右は、冬の十月に、皇后宮の維摩講に、終日に大唐・高麗等の種々の音楽を供養し、すなはちこの歌詞を唱ふ。弾琴は市原王・忍坂王 後に姓大原真人赤麻呂を賜はる、歌子は田口朝臣家守・河辺朝臣東人・置始連長谷等十数人なり。 大伴宿禰像見が歌一首 1595 秋萩の 枝もとををに 置く露の 消なば消ぬとも 色に出でめやも
大伴宿禰家持、娘子が門に到りて作る歌一首 1596 妹が家の 門田を見むと うち出来し 心もしるく 照る月夜かも 大伴宿禰家持が秋の歌三首 1597 秋の野に 咲ける秋萩 秋風に 靡ける上に 秋の露置けり 1598 さを鹿の 朝立つ野辺の 秋萩に 玉と見るまで 置ける白露 1599 さを鹿の 胸別けにかも 秋萩の 散り過ぎにける 盛りかも去ぬる 右は、天平十五年癸未の秋の八月に、物色を見て作る。 内舎人石川朝臣広成が歌二首 1600 妻恋ひに 鹿鳴く山辺の 秋萩は 露霜寒み 盛り過ぎゆく 1601 めづらしき 君が家なる 花すすき 穂に出づる秋の 過ぐらく惜しも
大伴宿禰家持が鹿鳴の歌二首 1602 山彦の 相響むまで 妻恋ひに 鹿鳴く山辺に ひとりのみして 1603 このころの 朝明に聞けば あしひきの 山呼び響め さを鹿鳴くも 右の二首は、天平十五年癸未の秋の八月の十六日に作る。 大原真人今城、寧楽の故郷を傷惜む歌一首 1604 秋されば 春日の山の 黄葉見る 奈良の都の 荒るらく惜しも
大伴宿禰家持が歌一首 1605 高円の 野辺の秋萩 このころの 暁露に 咲きにけむかも |