巻八 1511〜1605

(あき)(ざふ)()

岡本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製歌一首

1511 (ゆふ)されば 小倉(をぐら)の山に 鳴く鹿(しか)は 今夜(こよひ)は鳴かず ()ねにけらしも

大津皇子(おほつのみこ)の御歌一首
1512 (たて)もなく (ぬき)も定めず 娘子(をとめ)らが ()黄葉(もみちば)に 霜な降りそね

穂積皇子(ほづみのみこ)の御歌二首
1513 今朝(けさ)(あさ)() (かり)()聞きつ 春日(かすが)(やま) もみちにけらし 我が心痛し
1514 (あき)(はぎ)は 咲くべくあらし 我がやどの (あさ)()が花の 散りゆくみれば    

但馬皇女(たぢまのひめみこ)の御歌一首 一書には「子部王(こべのおほきみ)が作なり」といふ
1515 (こと)(しげ)き 里に住まずは 今朝(けさ)鳴きし (かり)にたぐひて 行かましものを

山部王(やまべのおほきみ)秋葉(もみち)を惜しむ歌一首
1516 秋山に もみつ()の葉の うつりなば さらにや秋を 見まく()りせむ

長屋王(ながやのおほきみ)が歌一首
1517 (うま)(さけ) 三輪(みわ)(やしろ)の 山照らす 秋の黄葉(もみち)の 散らまく惜しも   故地

山上臣憶良が七夕(しちせき)の歌十二首
1518 (あま)(がわ) (あひ)向き立ちて 我が恋ひし 君来ますなり (ひも)()()けな

右は、養老八年の七月の七日に、令に(こた)ふ。
1519 ひさかたの (あま)の川瀬に 舟()けて 今夜(こよひ)か君が 我がり()まさむ

右は、神亀元年の七月の七日の夜に、左大臣の(いへ)にして。
1520 彦星(ひこほし)は 織姫(たなばたひめ)と 天地(あめつち)の 別れし時ゆ いなむしろ 川に向き立ち 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 安けなくに (あを)(なみ)に (のぞみ)は絶えぬ 白雲に (なみた)は尽きぬ かくのみや (いき)づき()らむ かくのみや 恋ひつつあらむ さ()()りの 小舟(をぶね)もがも (たま)()きの ()(かい)もがも 朝なぎに い()き渡り (ゆふ)(しほ)に い()ぎ渡り ひさかたの (あま)川原(かはら)に (あま)()ぶや 領巾(ひれ)片敷き ()(たま)()の 玉手さし()へ あまた()も ()ねてしかも 秋にあらずとも

反歌
1521 (かぜ)(くも)は 二つの岸に (かよ)へども 我が(とほ)(づま)の (こと)ぞ通はぬ
1522 たぶてにも 投げ越しつべき (あま)(がは) (へだ)てればかも あまたすべなき

右は、天平元年の七月の七日の夜に、憶良、天の川を仰ぎ観る。一には「(そち)の家にして作る」といふ。

1523 秋風の 吹きにし日より いつしかと 我が待ち恋ひし 君ぞ()ませる
1524 (あま)(がは) いと川波は 立たねども さもらひかたし 近きこの瀬を
1525 袖振らば 見も(かは)しつべく 近けども 渡るすべなし 秋にしあらね
1526 (たま)かぎる ほのかに見えて 別れなば もとなや恋ひむ 逢ふ時までは

右は、天平二年の七月の八日の夜に、(そち)の家に集会(つど)ふ。

1527 (ひこ)(ほし)の 妻(むか)(ぶね) ()()らし (あま)川原(かはら)に (きり)の立てるは
1528 (かすみ)立つ 天の河原に 君待つと い行き帰るに ()(すそ)()れぬ
1529 天の川 (うき)()の波音 (さわ)くなり 我が待つ君し 舟出すらしも

大宰(だざい)諸卿大夫(まへつきみたち)并せて官人等、筑前(つくしのみちのくち)の国の蘆城(あしき)駅家(うまや)にして(うたげ)する歌二首   故地
1530 をみなへし (あき)(はぎ)(まじ)る (あし)()() 今日(けふ)を始めて 万代(よろづよ)に見む   
1531 (たま)(くしげ) (あし)()の川を 今日(けふ)見ては 万代(よろづよ)までに 忘れえめやも
右の二首は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。

笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)伊香山(いかごやま)にして作る歌二首   故地
1532 草枕 旅行く人も 行き()れば にほひぬべくも 咲ける(はぎ)かも
1533 伊香(いかご)(やま) 野辺に咲きたる (はぎ)見れば 君が家なる ()(ばな)し思ほゆ   

石川朝臣老夫(いしかはのあそみおきな)が歌一首
1534 をみなへし 秋萩折れれ (たま)(ほこ)の 道()きづとと ()はむ子がため

藤原宇合卿(ふぢはらのうまかひのまへつきみ)が歌一首
1535 我が()()を いつぞ今かと 待つなへに (おも)やは見えむ 秋の風吹く

縁達師(えんだちし)が歌一首
1536 (よひ)()ひて (あした)(おも)なみ 名張(なばり)()の (はぎ)は散りにき (もみち)(はや)()

山上臣憶良、秋の野の花を詠む歌二首
1537 秋の野に 咲きたる花を (および)折り かき(かぞ)ふれば (なな)(くさ)の花  その一
1538 の花 ()(ばな)(くず)(はな) なでしこの花 をみなへし また(ふぢ)(はかま) 朝顔(あさがほ)の花  その二         

天皇(すめらみこと)の御製歌二首
1539 秋の田の ()()(かり)がね (くら)けくに ()のほどろにも 鳴き渡るかも   
1540 今朝(けさ)朝明(あさけ) (かり)()寒く 聞きしなへ 野辺の(あさ)()ぞ 色づきにける   

大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)が歌二首
1541 我が岡に さを鹿(しか)来鳴く (はつ)(はぎ)の 花(つま)どひに 来鳴くさを鹿
1542 我が岡の (あき)(はぎ)の花 風をいたみ 散るべくなりぬ 見む人もがも

三原王(みはらのおほきみ)が歌一首
1543 秋の露は (うつ)しにありけり 水鳥の 青葉(あをば)の山の 色づく見れば

湯原王(ゆはらのおほきみ)七夕(しちせき)の歌二首
1544 (ひこ)(ほし)の 思ひますらむ 心より 見る我れ苦し ()()けゆけば
1545 織姫(たなばた)の (そで)()(よひ)の (あかとき)は 川瀬の(たづ)は 鳴かずともよし

市原王(いちはらのおほきみ)七夕(しちせき)の歌一首
1546 (いも)がりと 我が行く道の 川しあれば つくめ結ぶと ()()けにける

藤原朝臣八束(ふぢはらのあそみやつか)が歌一首
1547 さを鹿(しか)の (はぎ)()き置ける 露の白玉 あふさわに ()れの人かも 手に巻かむちふ

大伴坂上郎女が(おそ)(はぎ)の歌一首
1548 咲く花も をそろはいとはし おくてなる 長き心に なほしかずけり

典鋳正(てんちうのかみ)紀朝臣鹿人(きのあそみかひと)衛門大尉(ゑもんのだいじよう)大伴宿禰稲公(おほとものすくねいなきみ)跡見(とみ)(たどころ)に至りて作る歌一首
1549 ()()立てて ()()(をか)()の なでしこの花 ふさ()()り 我れは持ちて行く 奈良(なら)(ひと)のため

湯原王(ゆはらのおほきみ)が鳴鹿の歌一首
1550 (あき)(はぎ)の 散りの(まが)ひに 呼びたてて 鳴くなる鹿の 声の(はる)けさ

市原王(いちはらのおほきみ)が歌一首
1551 時待ちて 降れるしぐれに 雨やみぬ 明けむ(あした)が 山のもみたむ

湯原王(ゆはらのおほきみ)蟋蟀(こほろぎ)の歌一首
1552 (ゆふ)(づく)() 心もしのに 白露の 置くこの庭に こほろぎ鳴くも

衛門大尉(ゑもんのだいじよう)大伴宿禰稲公(おほとものすくねいなきみ)が歌一首
1553 しぐれの雨 ()なくし降れば ()(かさ)(やま) ()(ぬれ)あまねく 色づきにけり

大伴家持が(こた)ふる歌一首
1554 大君(おほきみ)の ()(かさ)の山の 黄葉(もみちば)は 今日(けふ)のしぐれに 散りか過ぎなむ
安貴王(あきのおほきみ)が歌一首
1555 秋立ちて (いく)()もあらねば この()ぬる 朝明(あさけ)の風は ()(もと)寒しも

忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)が歌一首

1556 秋田刈る (かり)()もいまだ (こぼ)たねば (かり)()寒し (しも)も置きぬがに

故郷の豊浦(とゆら)の寺に(あま)()(ばう)にして(うたげ)する歌三首
1557 明日香川 行き()る岡の (あき)(はぎ)は 今日(けふ)降る雨に 散りか過ぎなむ
右の一首は丹比真人国人(たぢひのまひとくにひと)
1558 (うづら)鳴く ()りにし里の (あき)(はぎ)を 思ふ人どち 相見つるかも
1559 (あき)(はぎ)は 盛り過ぐるを いたづらに かざしに()さず 帰りなむとや
右の二首は()()()(たち)

大伴坂上郎女、()()田庄(たどころ)にして作る歌二首
1560 妹が目を 始見の崎の (あき)(はぎ)は この月ごろは 散りこすなゆめ
1561 吉隠(よなばり)の 猪養(ゐかひ)の山に 伏す鹿(しか)の 妻呼ぶ声を 聞くが(とも)しさ

巫部麻蘇娘子(かむなぎべのまそをとめ)(かり)の歌一首
1562 ()れ聞きつ こゆ鳴き渡る (かり)()の 妻呼ぶ声の (とも)しくもあるか

大伴家持が(こた)ふる歌一首
1563 聞きつやと (いも)が問はせる (かり)()は まことも遠く (くも)(がく)るなり

日置長枝娘子(へきのながえをとめ)が歌一首
1564 秋づけば ()(ばな)が上に 置く霜の ()ぬべくも我は 思ほゆるかも

大伴家持が(こた)ふる歌一首
1565 我がやどの (ひと)(むら)(はぎ)を 思ふ子に 見せずほとほと 散らしつるかも

大伴家持が秋の歌四首
1566 ひさかたの (あま)()も置かず (くも)(がく)り 鳴きぞ行くなる 早稲田(わさだ)(かり)がね
1567 (くも)(がく)り 鳴くなる(かり) 行きて()む 秋田の()(たち) (しげ)くし思ほゆ
1568 (あま)(ごも)り 心いぶせみ ()で見れば 春日(かすが)の山は 色づきにけり
1569 雨晴れて 清く照りたる この月夜(つくよ) またさらにして 雲なたなびき

右の四首は、天平八年丙子(ひのえね)の秋の九月に作る。

藤原朝臣八束(ふぢはらのあそみやつか)が歌二首
1570 ここにありて 春日(かすが)やいづち (あま)(つつ)み ()でて行かねば (こい)つつぞ()
1571 春日野(かすがの)に しぐれ降るみゆ 明日(あす)よりは 黄葉(もみち)かざさむ 高円(たかまと)(やま)    故地

大伴家持が白露の歌一首
1572 我がやどの ()(ばな)が上の 白露を ()たずて玉に ()くものにもが

大伴利上(おほとものとしかみ)が歌一首
1573 秋の雨に ()れつつ()れば いやしけど 我妹(わぎも)がやどし 思ほゆるかも

右大臣橘家の(うたげ)の歌七首
1574 雲の(うへ)に 鳴くなる(かり)の 遠けども 君に逢はむと た(もとほ)()
1575 雲の上に 鳴きつる(かり)の 寒きなへ (はぎ)(した)()は もみちぬるかも
右の二首。
1576 この岡に 小鹿(をしか)()み起し うかねらひ かもかもすらく 君(ゆゑ)にこそ
右の一首は長門守(ながとのかみ)巨曾倍朝臣対馬(こそべのあそみつしま)
1577 秋の野の ()(ばな)(うれ)を 押しなべて ()しくもしるく 逢へる君かも
1578 今朝鳴きて 行きし(かり)() 寒みかも この野の(あさ)() 色づきにける

右の二首は安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)
1579 朝戸開けて 物思ふ時に 白露の 置ける(あき)(はぎ) 見えつつもとな
1580 さを鹿の 来立ち鳴く野の (あき)(はぎ)は 露霜()ひて 散りにしものを
右の二首は文忌寸馬養(あやのいみきうまかひ)。   故地

天平十年戊寅(つちのえとら)の秋の八月の二十日
橘朝臣奈良麻呂(たちばなのあそみならまろ)(うたげ)()()ふる歌十一首
1581 ()()らずて 散りなば惜しと 我が思ひし 秋の黄葉(もみち)を かざしつるかも
1582 めづらしき 人に見せむと 黄葉(もみちば)を ()()りぞ我が()し 雨の降らくに
右の二首は橘朝臣奈良麻呂。
1583 黄葉(もみちば)を 散らすしぐれに ()れて来て 君が黄葉(もみち)を かざしつるかも
右の一首は久米女王(くめのおほきみ)
1584 めづらしと 我が思ふ君は 秋山の (はつ)黄葉(もみちば)に 似てこそありけれ
右の一首は長忌寸(ながのいみき)(をとめ)
1585 奈良山の (みね)黄葉(もみちば) 取れば散る しぐれの雨し ()なく降るらし
右の一首は内舎人(うどねり)県犬養宿禰吉男(あがたのいぬかひのすくねよしを)
1586 黄葉(もみちば)を 散らまく惜しみ ()()り来て 今夜(こよひ)かざしつ (なに)か思はむ

右の一首は県犬養宿禰持男(あがたのいぬかひのすくねもちを)
1587 あしひきの 山の黄葉(もみちば) 今夜(こよひ)もか 浮かび行くらむ 山川(やまがは)の瀬に
右の一首は大伴宿禰書持(おほとものすくねふみもち)
1588 奈良山を にほはす黄葉(もみち) ()()り来て 今夜(こよひ)かざしつ 散らば散るよも

右の一首は三手代人名(みてしろのひとな)
1589 (つゆ)(しも)に あへる黄葉(もみち)を ()()り来て (いも)はかざしつ (のち)は散るとも
右の一首は秦許遍麻呂(はだのこへまろ)
1590 十月(かむなづき) しぐれにあへる 黄葉(もみちば)の 吹かば散りなむ 風のまにまに
右の一首は大伴宿禰池主(おほとものすくねいけぬし)
1591 黄葉(もみちば)の 過ぎまく惜しみ 思ふどち 遊ぶ今夜(こよひ)は 明けずもあらぬか
右の一首は内舎人(うどねり)大伴宿禰家持。
以前(さき)は、冬の十月の十七日に、右大臣橘卿が旧宅に(つど)ひて(えん)(いん)す。


大伴坂上郎女、竹田(たけた)(たどころ)にして作る歌二首
1592 しかとあらぬ 五百(いほ)(しろ)小田(をだ)を 刈り(みだ)り ()(ぶせ)()れば 都し思ほゆ
1593 こもりくの (はつ)()の山は 色づきぬ しぐれの雨は 降りにけらしも   故地
右は、天平十一年己卯(つちのとう)の秋の九月に作る。

仏前(ぶつぜん)唱歌(しやうか)一首
1594 しぐれの雨 ()なくな降りそ (くれなゐ)に にほへる山の 散らまく惜しも

右は、冬の十月に、皇后宮(きさきのみや)維摩講(ゆいまかう)に、終日(ひねもす)大唐(もろこし)高麗(こま)等の種々(くさぐさ)の音楽を供養(くやう)し、すなはちこの歌詞を(うた)ふ。弾琴(ことひき)市原王(いちはらのおほきみ)忍坂王(おさかのおほきみ) 後に姓大原真人赤麻呂(おほはらのまひとあかまろ)を賜はる、歌子(うたびと)田口朝臣家守(たのくちのあそみやかもり)河辺朝臣東人(かはへのあそみあづまひと)置始連長谷(おきそのむらじはつせ)等十数人なり。
大伴宿禰像見(おほとものすくねかたみ)が歌一首
1595 (あき)(はぎ)の 枝もとををに 置く露の ()なば()ぬとも 色に()でめやも

大伴宿禰家持、娘子(をとめ)(かど)に到りて作る歌一首
1596 妹が家の (かど)()を見むと うち()()し 心もしるく 照る月夜(つくよ)かも

大伴宿禰家持が秋の歌三首
1597 秋の野に 咲ける(あき)(はぎ) 秋風に (なび)ける上に 秋の露置けり
1598 さを鹿の 朝立つ野辺の (あき)(はぎ)に 玉と見るまで 置ける白露
1599 さを鹿の (むな)()けにかも (あき)(はぎ)の 散り過ぎにける 盛りかも()ぬる
右は、天平十五年癸未(みづのとひつじ)の秋の八月に、物色(ぶつしよく)を見て作る。


内舎人(うどねり)石川朝臣広成(いしかはのあそみひろなり)が歌二首
1600 (つま)()ひに 鹿()鳴く山辺の (あき)(はぎ)は 露霜(さむ)み 盛り過ぎゆく
1601 めづらしき 君が家なる (はな)すすき 穂に()づる秋の 過ぐらく惜しも

大伴宿禰家持が鹿鳴(ろくめい)の歌二首
1602 (やま)(びこ)の (あひ)(とよ)むまで (つま)()ひに 鹿()鳴く山辺(やまへ)に ひとりのみして
1603 このころの 朝明(あさけ)に聞けば あしひきの 山呼び(とよ)め さを鹿鳴くも
右の二首は、天平十五年癸未(みづのとひつじ)の秋の八月の十六日に作る。


大原真人今城(おほはらのまひといまき)()()の故郷を()()む歌一首
1604 秋されば 春日(かすが)の山の 黄葉(もみち)見る 奈良の都の 荒るらく惜しも

大伴宿禰家持が歌一首
1605 (たか)(まと)の 野辺の(あき)(はぎ) このころの 暁露(あかときつゆ)に 咲きにけむかも

 

←前頁へ   次頁へ→

「万葉集 総覧」へ戻る

「万葉集を携えて」へ戻る

inserted by FC2 system