巻八 1606〜1663

(あき)相聞(さうもん)

額田王、近江天皇(あふみのすめらみこと)(しの)ひて作る歌一首

1606 君待つと 我が恋ひ()れば 我がやどの (すだれ)動かし 秋の風吹く

鏡王女(かがみのおほきみ)が作る歌一首
1607 風をだに 恋ふるは(とも)し 風をだに ()むとし待たば 何か嘆かむ

弓削皇子(ゆげのみこ)の御歌一首
1608 (あき)(はぎ)の 上に置きたる 白露の ()かもしなまし 恋ひつつあらずは   

丹比真人(たぢひのまひと)が歌一首
1609 ()()の野の (あき)(はぎ)しのぎ 鳴く鹿も 妻に恋ふらく 我れには増さじ

丹生女王(にふのおほきみ)大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)に贈る歌一首
1610 (たか)(まと)の (あき)()(うへ)の なでしこの花 うら若み 人のかざしし なでしこの花   故地 

笠縫女王(かさぬひのおほきみ)が歌一首 六人部王(むとべのおほきみ)(むすめ)。母を田形皇女(たがたのひめみこ)といふ
1611 あしひきの 山下(とよ)め 鳴く鹿の (こと)ともしかも 我が(こころ)(つま)

石川賀係女郎(いしかはのかけのいらつめ)が歌一首
1612 (かむ)さぶと いなにはあらず 秋草の 結びし(ひも)を ()くは悲しも

賀茂女王(かものおほきみ)が歌一首 長屋王(ながやのおほきみ)(むすめ)。母を阿倍朝臣(あへのさそみ)といふ
1613 秋の野を 朝行く鹿の 跡もなく 思ひし君に 逢へる今夜(こよひ)
右の歌は、或いは「倉橋部女王(くらはしべのおほきみ)が作」といふ。或いは「笠縫女王(かさぬひのおほきみ)が作」といふ。

遠江守(とほつあふみのかみ)桜井王(さくらゐのおほきみ)天皇(すめらみこと)(たてまつ)る歌一首
1614 (なが)(つき)の その(はつ)(かり)の 使(つかひ)にも 思ふ心は 聞こえ()ぬかも

天皇の()()(たま)ふ御歌一首
1615 (おほ)(うら)の その長浜に 寄する波 ゆたけく君を 思ふこのころ
大の浦は遠江(とほつあふみ)の国の海浜の名なり

笠女郎(かさのいらつめ)、大伴宿禰家持に贈る歌一首
1616 (あさ)ごとに 我が見るやどの なでしこの 花にも君は ありこせぬかも

山口女王(やまぐちのおほきみ)、大伴宿禰家持に贈る歌
1617 (あき)(はぎ)に 置きたる露の 風吹きて 落つる(なみた)は (とど)めかねつも

湯原王(ゆはらのおほきみ)娘子(をとめ)に贈る歌一首
1618 玉に()き ()たず(たば)らむ (あき)(はぎ)の (うれ)わくらばに 置ける白露

大伴家持、(をば)坂上郎女が竹田(たけた)(たどころ)に至りて作る歌一首
1619 (たま)(ほこ)の 道は遠けど はしきやし (いも)(あひ)()に ()でてぞ我が()

大伴坂上郎女が(こた)ふる歌一首
1620 あらたまの 月立つまでに ()まさねば (いめ)にし見つつ 思ひぞ我がせし
右の二首は、天平十一年己卯(つちのとう)の秋の八月に作る。

巫部麻蘇娘子(かむなぎべのまそをとめ)が歌一首
1621 我がやどの (はぎ)(はな)咲けり 見に()ませ いま(ふつか)日だみ あらば散りなむ

大伴田村大嬢(おほとものたむらのおほいらつめ)(いもひと)坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に与ふる歌二首
1622 我がやどの 秋の(はぎ)咲く (ゆふ)(かげ)に 今も見てしか 妹が姿を
1623 我がやどに もみつかへるて 見るごとに 妹を()けつつ 恋ひぬ日はなし   

坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)()()(かづら)を大伴宿禰家持に贈る歌一首
1624 我が()ける 早稲田(わさだ)()(たち) 作りたる かづらぞ見つつ (しの)はせ我が()   

大伴宿禰家持が(こた)へ贈る歌一首
1625 我妹子(わぎもこ)が (なり)と作れる 秋の田の 早稲(わさ)()のかづら 見れど()かぬかも

また、身に()(ころも)()きて家持に贈るに(こた)ふる歌一首
1626 秋風の 寒きこのころ (した)()む (いも)形見(かたみ)と かつも(しの)はむ

右の三首は、天平十一年己卯(つちのとう)の秋の九月に往来(わうらい)す。

大伴宿禰家持、時じき藤の花、(あは)せて萩の黄葉(もみち)の二つの物を()ぢて、坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌二首
1627 我がやどの ときじき(ふぢ)の めづらしく 今も見てしか (いも)()まひを   
1628 我がやどの (はぎ)(した)()は 秋風も いまだ吹かねば かくぞもみてる

右の二首は、天平十二年庚辰(かのえたつ)の夏の六月に往来(わうらい)す。

大伴宿禰家持、坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌一首 (あは)せて短歌
1629 ねもころに 物を思へば 言はむすべ ()むすべもなし 妹と我れは ()たづさはりて (あした)には 庭に()で立ち (ゆふへ)には (とこ)うち(はら)ひ (しろ)(たへ)の (そで)さし()へて さ()()や 常にあるける あしひきの 山鳥こそば ()(むか)ひに 妻どひすといへ うつせみの 人なる我れや 何すとか (ひと)()(ひと)()も (さか)り居て 嘆き恋ふらむ ここ思へば 胸こそ痛き そこ(ゆゑ)に 心なぐやと (たか)(まと)の 山にも野にも うち行きて 遊びあるけど 花のみ にほひてあれば 見るごとに まして(しの)はゆ いかにして 忘れむものぞ 恋といふものを   故地

反歌
1630 (たか)(まど)の 野辺(のへ)かほ(ばな) 面影(おもかげ)に 見えつつ(いも)は 忘れかねつも   

大伴宿禰家持、安倍女郎(あへのいらつめ)に贈る歌一首
1631 今造る ()()の都に 秋の()の 長きにひとり ()るが苦しさ   故地

大伴宿禰家持、()()の京より、()()(いへ)(とど)まれる坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に贈る歌一首
1632 あしひきの 山辺(やまへ)()りて 秋風の 日に()に吹けば (いも)をしぞ思ふ

或者(あるひと)(あま)に贈る歌二首
1633 手もすまに 植ゑし(はぎ)にや かへりては 見れども()かず 心(つく)さむ
1634 衣手(ころもで)に ()(しぶ)付くまで 植ゑし田を (ひき)()我が()へ まもれる苦し

尼、頭句を作り、(あは)せて大伴宿禰家持、尼に(あとら)へらえて末句を()ぎ、(ひと)しく(こた)ふる歌一首
1635 ()()(かわ)の 水を()()げて 植ゑし田を 尼作る ()れる(はつ)(いひ)は ひとりなるべし 家持続ぐ   故地


(ふゆ)雑歌(ざふか)

舎人娘子(とねりのをとめ)が雪の歌一首

1636 (おほ)(くち)の ()(かみ)(はら)に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに

太上天皇(おほきすめらみこと)の御製歌一首
1637 はだすすき 尾花(さか)() (くろ)()もち 造れる(むろ)は 万代(よろづよ)までに   

()天皇(すめらみこと)の御製歌一首

1638 あをによし 奈良の山なる 黒木もち 造れる(むろ)は ()せど()かぬかも

右は、聞くに「左大臣長屋王(ながやのおほきみ)佐保(さほ)(いへ)()()して肆宴(とよのあかり)したまふときの御製」と。

大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)、冬の日に雪を見て、京を(おも)ふ歌一首
1639 (あわ)(ゆき)の ほどろほどろに 降りしけば 奈良の都し 思ほゆるかも

大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)(うめ)の歌一首
1640 わが岡に 盛りに咲ける (うめ)の花 残れる雪を まがへつるかも   

角朝臣広弁(つののあそみひろべ)(せつ)(ばい)の歌一首
1641 (あわ)(ゆき)に ()らえて()ける (うめ)の花 君がり()らば よそへてむかも

安倍朝臣奥道(あへのあそみおきみち)が雪の歌一首
1642 たな()らひ 雪も降らぬか (うめ)の花 咲かぬが(しろ)に そへてだに見む

若桜部朝臣君足(わかさくらべのあそみきみたり)が雪の歌一首
1643 (あま)()らし 雪も降らぬか いちしろく このいつ(しば)に 降らまくを見む

三野連石守(みののむらじいそもり)が梅の歌一首
1644 ()()ぢて 折らば散るべみ (うめ)の花 袖に()()れつ ()まば()むとも

巨勢朝臣宿奈麻呂(こせのあそみすくなまろ)が雪の歌一首
1645 我がやどの (ふゆ)()の上に 降る雪を (うめ)の花かと うち見つるかも

 小治田朝臣東麻呂(をはりだのあそみあづままろ)が雪の歌一首
1646 ぬばたまの 今夜(こよひ)の雪に いざ()れな 明けむ(あした)に ()なば惜しけむ

忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)が雪の歌一首
1647 (うめ)の花 枝にか散ると 見るまでに 風に乱れて 雪ぞ降り()

紀小鹿女郎(きのをしかのいらつめ)が梅の歌一首
1648 十二(  しはす)月には (あわ)(ゆき)降ると 知らねかも (うめ)の花咲く ふふめらずして

大伴宿禰家持が(せつ)(ばい)の歌一首
1649 今日(けふ)降りし 雪に(きほ)ひて 我がやどの 冬木(ふゆき)(うめ)は 花咲きにけり

西の池の()()()して、肆宴(とよのあかり)したまふときの歌一首
1650 池の()の (まつ)(うら)()に 降る雪は 五百(いほ)()降りしけ 明日(あす)さへも見む

()の一首は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。ただし、豎子(じゆし)安倍朝臣虫麻呂(あへのあそみむしまろ)伝誦す。

大伴坂上郎女が歌一首
1651 (あわ)(ゆき)の このころ()ぎて かく降らば (うめ)(はつ)(はな) 散りか過ぎなむ

他田広津娘子(をさたのひろつをとめ)が梅の歌一首
1652 (うめ)の花 折りも折らずも 見つれども 今夜(こよひ)の花に なほしかずけり

県犬養娘子(あがたのいぬかいのをとめ)、梅に寄せて思ひを(おこ)す歌一首
1653 今のごと 心を常に 思へらば まづ咲く花の (つち)に落ちめやも

大伴坂上郎女が雪の歌一首
1654 (まつ)(かげ)の (あさ)()(うへ)の (しら)(ゆき)を ()たずて置かむ ことはかもなき   

(ふゆ)相聞(さうもん)

三国真人人足(みくにのまひとひとたり)が歌一首

1655 高山の (すが)の葉しのぎ 降る雪の ()ぬと言ふべくも 恋の(しげ)けく

大伴坂上郎女が歌一首
1656 (さか)(づき)に (うめ)の花浮かべ 思ふどち 飲みての(のち)は 散りぬともよし

(こた)ふる歌一首
1657 (つかさ)にも (ゆる)したまへり 今夜(こよひ)のみ 飲まむ酒かも 散りこすなゆめ
右は、酒は官に禁制して「京中の(りよ)()集宴(うたげ)すること得ず。ただし、親々一二(はらからひとりふたり)(いん)(らく)することは()()す」といふ。これによりて(こた)ふる人この発句を作る。

藤皇后(とうくわうごう)天皇(すめらみこと)(たてまつ)る御歌一首
1658 我が()()と ふたり見ませば いくばくか この降る雪の (うれ)しくあらまし

他田広津娘子(をさたのひろつをとめ)が歌一首
1659 真木(まき)(うへ)に 降り置ける雪の しくしくも 思ほゆるかも さ()()へ我が(せ 

)大伴宿禰駿河麻呂(おほとものすくねするがまろ)が歌一首
1660 (うめ)の花 散らすあらしの (おと)のみに 聞きし(わぎも)妹を 見らくしよしも

紀小鹿女郎(きのをしかのいらつめ)が歌一首
1661 ひさかたの 月夜(つくよ)を清み (うめ)の花 心(ひら)けて 我が思へる君

大伴田村大嬢(おほとものたむらのおほいらつめ)(いもひと)坂上大嬢(さかのうへのおほいらつめ)に与ふる歌一首
1662 (あわ)(ゆき)の ()ぬべきものを 今までに ながらへぬるは (いも)に逢はむとぞ

大伴宿禰家持が歌一首
1663 (あわ)(ゆき)の 庭に降りしき 寒き()を ()(まくら)まかず ひとりかも()

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