巻九 1664〜1765

萬葉集 巻第九

(ざふ)
()

(はつ)()(あさ)(くら)(みや)(あめ)(した)()らしめす大泊瀬稚武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)の御製歌一首

1664 (ゆふ)されば 小倉(をぐら)の山に 伏す鹿し 今夜(こよひ)は鳴かず ()ねにけらしも

右は、或本には「岡本天皇(をかもとのすめらみこと)の御製」といふ。(せい)()(つばひ)らかにせず、よりて(かさ)()す。

岡本(をかもと)の宮に天の下知らしめす天皇(すめらみこと)紀伊()の国に(いでま)す時の歌二首
1665 (いも)がため 我れ玉(ひり)ふ (おき)()なる 玉寄せ持ち() 沖つ白波
1666 朝霧(あさぎり)に ()れにし(ころも) ()さずして ひとりか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ
右の二首は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。

大宝(だいほう)元年辛丑(かのとうし)の冬の十月に、太上天皇(おほきすめらみこと)大行天皇(さきのすめらみこと)紀伊()の国に(いでま)す時の歌十三首
1667 (いも)がため 我れ玉求む (おき)()なる (しら)(たま)寄せ() 沖つ白波
右の一首は、(かみ)に見ゆることすでに(をは)りぬ。ただし、歌辞(すこ)しく(かは)り、年代(あひ)(たが)ふ。よりて(かさ)()す。
1668 (しら)(さき)は (さき)くあり待て (おほ)(ぶね)に ()(かぢ)しじ()き またかへり見む   故地
1669 南部(みなべ)(うら) 潮な満ちそね 鹿()(しま)なる 釣りする海人(あま)を 見て帰り()   故地
1670 (あさ)(びら)き ()()て我れは ()()(さき) 釣りする海人(あま)を 見て帰り()む   故地
1671 ()()(さき) 潮干(しほひ)にけらし (しら)(かみ) (いそ)(うら)みを あへて()ぐなり
1672 (くろ)(うし)(がた) 潮干(しほひ)の浦を (くれなゐ)の (たま)()(すそ)()き 行くは()が妻   故地
1673 (かざ)(なし)の 浜の白波 いたづらに ここに寄せ()る 見る人なしに   故地
右の一首は、山上臣憶良が類聚歌林(るいじうかりん)には「長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)(みことのり)(こた)へてこの歌を作る」といふ。
1674 我が()()が 使(つかひ)()むかと (いで)(たち)の この松原(まつばら)を 今日(けふ)か過ぎなむ
1675 (ふぢ)(しろ) ()(さか)を越ゆと (しろ)(たへ)の 我が(ころもで)手は ()れにけるかも   故地
1676 ()(やま)に 黄葉(もみち)(つね)()く (かむ)(をか)の 山の黄葉は 今日(けふ)か散るらむ   故地
1677 大和(やまと)には ()こえも行くか (おほ)()()の (たか)()()り敷き (いほ)りせりとは
1678 紀伊()の国の 昔(ゆみ)()の 鳴り矢もち 鹿()取り(なび)けし 坂の(うへ)にぞある
1679 紀伊()の国に やまず(かよ)はむ (つま)(もり) 妻()しこせに 妻といひながら   故地
右の一首は、或いは「坂上忌寸人長(さかのうへのいみきひとをさ)が作」といふ

(おく)れたる人の歌二首
1680 あさもよし 紀伊()へ行く君が ()(つち)(やま) 越ゆらむ今日(けふ)ぞ 雨な降りそね   故地
1681 (おく)()て 我が恋ひ()れば 白雲の たなびく山を 今日(けふ)は越ゆらむ

忍壁皇子(おさかべのみこ)(たてまつ)る歌一首 仙人(せんにん)(かた)を詠む
1682 とこしへに 夏冬行けや (かはごろも) (あふぎ)放たぬ 山に住む人

舎人皇子(とねりのみこ)(たてまつ)る歌二首
1683 (いも)が手を 取りて引き()ぢ ふさ()()り 我がかざすべく 花咲けるかも
1684 春山は 散り過ぎぬとも 三輪(みわ)(やま)は いまだふふめり 君待ちかてに   故地

(いづみ)(かは)()にして間人宿禰(はしひとのすくね)が作る歌二首  故地
1685 川の瀬の たぎちを見れば 玉かも 散り乱れたる 川の(つね)かも
1686 彦星(ひこほし)の かざしの玉し (つま)()ひに 乱れにけらし この川の瀬に

鷺坂(さぎさか)にして作る歌一首   故地
1687 (しら)(とり)の (さぎ)(さか)(やま)の (まつ)(かげ)に 宿(やど)りて行かな ()()けゆくを

()()(かは)にして作る歌二首   故地
1688 あぶり()す 人もあれやも ()(ぎぬ)を 家には()らな 旅のしるしに
1689 あり(きぬ)の へつきて()がに 杏人(からたち)の 浜を過ぐれば 恋しくありなり

高島(たかしま)にして作る歌二首
1690 高島(たかしま)の (あん)(くもり)(かわ)(なみ)は (さわ)けども ()れは(いえ)()ふ 宿(やど)(かな)しみ
1691 旅ならば ()(なか)をさして 照る月の 高島(たかしま)(やま)に (かく)らく()しも   故地

紀伊()の国にして作る歌二首
1692 我が恋ふる (いも)()はさず (たま)(うら)に (ころも)(かた)()き ひとりかも寝む
1693 (たま)(くし)() 明けまく惜しき あたら()を (ころも)()()れて ひとりかも寝む

鷺坂(さぎさか)にして作る歌一首   故地
1694 (たく)()()の 鷺坂(さぎさか)(やま)の (しら)つつじ 我れににほはに (いも)(しめ)さむ   

(いづみ)(かは)にして作る歌一首  故地
1695 (いも)(かど) 入り(いづみ)(がは)の 常滑(とこなめ)に み雪残れり いまだ冬かも

()()(がは)にして作る歌三首   故地
1696 (ころも)()の ()()川辺(かはへ)を (はる)(さめ)に 我れ立ち()ると 家思ふらむか
1697 (いへ)(ひと)の 使(つかひ)にあらし 春雨の ()くれど我れを ()らさく思へば
1698 あぶり()す 人もあれやも (いへ)(ひと)の 春雨すらを 間使(まつかひ)にする

宇治(うぢ)(かは)にして作る歌二首   故地
1699 巨椋(おほくら)の 入江(いりえ)(とよ)むなり ()()(ひと)の 伏見(ふしみ)()()に (かり)渡るらし
1700 秋風に 山吹(やまぶき)の瀬の 鳴るなへに (あま)(くも)(かけ)る (かり)()へるかも

弓削皇子(ゆげのみこ)(たてまつ)る歌三首
1701 夜中(よなか)と ()()けぬらし (かり)()の 聞こゆる空を 月渡るみゆ
1702 (いも)があたり (しげ)(かり)() 夕霧(ゆふぎり)に 来鳴きて過ぎぬ すべなきまでに
1703 (くも)(がく)り (かり)鳴く時は 秋山の 黄葉(もみち)(かた)()つ 時は過ぐとも

舎人皇子(とねりのみこ)(たてまつ)る歌二首
1704 ふさ()()り ()()の山霧 (しげ)みかも 細川(ほそかは)の瀬に 波の(さわ)ける
1705 冬こもり 春へを恋ひて 植ゑし木の ()になる時を (かた)()つ我れぞ

舎人皇子(とねりのみこ)の御歌一首
1706 ぬばたまの 夜霧は立ちぬ 衣手(ころもで)の 高屋(たかや)の上に たなびくまでに   故地

鷺坂(さぎさか)にして作る歌一首   故地
1707 (やま)(しろ)の 久世(くせ)(さぎ)(さか) (かむ)()より 春は()りつつ 秋は散りけり

(いづみ)川辺(かはへ)にして作る歌一首
1708 (はる)(くさ)を 馬(くひ)(やま)ゆ 越え()なる 雁の使(つかひ)は 宿り過ぐなり   故地

弓削皇子(ゆげのみこ)(たてまつ)る歌一首
1709 ()()(むか)ふ 南淵山(みなぶちやま)の (いはほ)には 降りしはだれか 消え残りたる
右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づるところなり。
1710 我妹子が 赤裳(あかも)ひづちて 植ゑし田を ()りて(をさ)めむ (くら)(なし)(はま)
1711 (もも)(づた)ふ 八十(やそ)(しま)みを ()()れど (あは)小島(こしま)は 見れど()かぬかも
右の二首は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ。

筑波(つくは)(やま)に登りて月を詠む一首   故地
1712 天の原 雲なき(よひ)に ぬばたまの ()渡る月の 入らまく惜しも

吉野の離宮(とつみや)(いでま)す時の歌二首
1713 (たき)(うへ)の 三船(みふね)の山ゆ (あき)()()に 来鳴き渡るは ()(よぶ)()(とり)
1714 落ちたぎち 流るる水の 岩に()れ (よど)める淀に 月の影見ゆ

右の二首は、作者いまだ(つばひ)らかにあらず。

槐本が歌一首
1715 楽浪(ささなみ)の 比良(ひら)(やま)(かぜ)の 海吹かば 釣りする海人(あま)の (そで)(かへ)るみゆ   故地

山上(やまのうへ)が歌一首
1716 (しら)(なみ)の 浜松(はままつ)の木の ()()けくさ 幾代(いくよ)までにか 年は()ぬらむ

右の一首は、或いは「川島皇子(かはしまのみこ)の御製歌」といふ。春日(かすが)が歌一首
1717 (みつ)(かは)の (ふち)()もおちず ()()さすに (ころも)()()れぬ ()す子はなしに   故地

高市(たけち)が歌一首
1718 (あども)ひて ()()にし舟は 高島(たかしま)の ()()の港に ()てにけむかも

春日蔵(かすがのくら)が歌一首
1719 照る月を 雲な隠しそ (しま)(かげ)に 我が舟()てむ (とま)り知らずも
右の一首は、或本には「(せう)(べん)が作」といふ。或いは姓氏を(しる)せれど名字を記すことなく、或いは名号をいへれど姓氏をいはず。しかれども、古記によりてすなはち(つぎて)をもちて()す。すべてかくのごとき(たぐひ)は、(しも)みなこれに(なら)へ。

元仁(ぐわんにん)が歌三首
1720 ()めて うち()れ越え() 今日(けふ)見つる 吉野(よしの)の川を いつかへり見む
1721 苦しくも 暮れゆく日かも 吉野(よしの)(かは) 清き川原(かはら)を 見れど()かなくに   故地
1722 吉野(よしの)(かは) 川波高み (たき)の浦を 見ずかなりなむ 恋しけまくに

(きぬ)が歌一首
1723 かはづ鳴く (むつ)()の川の (かは)(やぎ)の ねもころ見れど ()かぬ君かも   

(しま)(たり)が歌一首
1724 見まく()り ()しくもしるく 吉野(よしの)(かは) (おと)のさやけさ 見るにともしく麻呂(まろ)が歌一首
1725 いにしへの (さか)しき人の 遊びけむ 吉野(よしの)川原(かはら) 見れど()かぬかも

右は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。

丹比真人(たぢひのまひと)が歌一首
1726 難波(なには)(がた) 潮干(しほひ)()でて (たま)()刈る 海人(あま)娘子(をとめ)ども ()が名()らさね

(こた)ふる歌一首
1727 あさりする 人とを見ませ 草枕(くさまくら) 旅行く人に 我が名は()らじ

石川卿(いしかはのまへつきみ)が歌一首
1728 (なぐさ)めて 今夜(こよひ)は寝なむ 明日(あす)よりは 恋ひかも行かむ こゆ別れなば

宇合卿(うまかひのまへつきみ)が歌三首
1729 (あかとき)の (いめ)に見えつつ (かぢ)(しま)の 磯越す波の しきてし思ほゆ   故地
1730 山科(やましな)の 石田(いはた)小野(をの)の ははそ原 見つつか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ   故地
1731 山科(やましな)の 石田(いはた)(もり)に (ぬさ)置かば けだし我妹(わぎも)に (ただ)に逢はむかも

()()が歌二首
1732 (おお)()(やま) (かすみ)たなびき さ()()けて 我が舟()てむ (とま)り知らずも
1733 思ひつつ ()れど()かねて ()()(さき) ()(なが)の浦を またかへり見つ   故地

(せう)(べん)が歌一首
1734 高島(たかしま)の 安曇(あど)の港を ()ぎ過ぎて (しほ)()(すが)(うら) 今か漕ぐらむ

伊保麻呂(いほまろ)が歌一首
1735 我が(たたみ) 三重(みへ)川原(かはら)の (いそ)(うら)に かくしもがもと 鳴くかはづかも

式部(しきぶ)大倭(やまと)、吉野にして作る歌一首
1736 (やま)(たか)み (しら)()綿()(ばな) 落ちたぎつ ()(つみ)(かは)() 見れど()かぬかも

兵部(ひやうぶ)川原(かはら)が歌一首
1737 大滝を 過ぎて()(つみ)に 近づきて 清き川瀬を 見るがさやけさ

上総(かみつふさ)()()珠名娘子(たまなをとめ)を詠む一首 (あは)せて短歌
1738 しなが鳥 安房(あは)()ぎたる (あづさ)(ゆみ) ()()(たま)()は (むな)()けの 広き我妹(わぎも) (こし)(ぼそ)の すがる娘子(をとめ)の その姿(なり)の きらきらしきに 花のごと ()みて立てれば (たま)(ほこ)の 道行く人は おのが行く 道は行かずて 呼ばなくに (かど)に至りぬ さし並ぶ (となり)の君は あらかじめ (おの)(づま)()れて ()はなくに (かぎ)さへ(まつ)る 人皆の かく(まと)へれば たちしなひ 寄りてぞ(いも)は たはれてありける

反歌
1739 かな()にし 人の()立てば 夜中(よなか)にも 身はたな知らず ()でてぞ()ひける

水江(みづのえ)(うら)(しま)()を詠む一首 并せて短歌
1740 春の日の (かす)める時に 住吉(すみのえ)の 岸に()()て 釣舟(つりぶね)の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江(みづのえ)の (うら)島子(しまこ)が (かつを)釣り (たひ)釣りほこり 七日(なぬか)まで 家にも()ずて 海境(うなさか)を 過ぎて()ぎ行くに 海神(わたつみ)の 神の娘子(をとめ)に たまさかに い漕ぎ(むか)ひ (あひ)とぶらひ (こと)成りしかば かき結び 常世(とこよ)に至り 海神の 神の宮の 内のへの (たへ)なる殿(との)に たづさはり ふたり入り()て ()いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間(よのなか)の (おろ)(ひと)の 我妹子(わぎもこ)に ()りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も()らひ 明日(あす)のごと 我れは()なむと 言ひければ (いも)が言へらく 常世辺(とこよへ)に また帰り来て 今のごと ()はむとならば この櫛笥(くしげ) 開くなゆめと そこらくに (かた)めし(こと)を 住吉(すみのえ)に帰り(きた)りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年(みとせ)(あひだ)に 垣もなく 家()せめやと この箱を (ひら)きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲(しらくも)の (はこ)より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心()()せぬ 若かりし (はだ)(しわ)みぬ 黒かりし (かみ)(しら)けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて (のち)つひに (いのち)死にける 水江(みづのえ)の (うら)島子(しまこ)が 家ところ見ゆ

反歌
1741 常世(とこよ)()に 住むべきものを 剣大刀(つるぎたち) ()が心から おそやこの君

河内(かふち)の大橋を独り行く娘子(をとめ)を見る歌一首 (あは)せて短歌
1742 しなでる 片足羽川(かたしはがは)の さ()()りの 大橋の上ゆ (くれなゐ)の (あか)()(すそ)()き (やま)(あゐ)もち ()れる(きぬ)着て ただひとり い渡らす子は 若草の (つま)かあるらむ 橿(かし)()の ひとりか()らむ 問はまくの ()しき我妹(わぎも) 家の()らなく   

反歌
1743 大橋の (つめ)に家あらば ま悲しく ひとり行く子に やど貸さましを

武蔵(むざし)()(さき)(ぬま)(かも)を見て作る歌一首
1744 埼玉(さきたま)の ()(さき)(ぬま)に 鴨ぞ(はね)()る おのが尾に 降り置ける霜を (はら)ふとにあらし

那賀(なか)(こほり)曝井(さらしゐ)の歌
1745 (みつ)(ぐり)の 那賀(なか)に向へる 曝井(さらしゐ)の 絶えず(かよ)はむ そこに妻もが   故地 

()(づな)の浜の歌一首
1746 遠妻(とほづま)し 多賀(たか)にありせば 知らずとも ()(づな)の浜の (たづ)()なまし   故地

春の三月に、諸卿大夫等(まへつきみたち)難波(なには)(くだ)る時の歌二首 (あは)せて短歌   
1747 白雲の 龍田(たつた)の山の 滝の上の ( をぐら)jの(みね)に 咲きをゐる (さくら)の花は 山高み 風しやまねば 春雨(はるさめ)の ()ぎてし降れば ほつ()は 散り過ぎにけり (しづ)()に 残れる花は しましくは 散りな(まが)ひそ 草枕(くさまくら) 旅行く君が 帰り()るまで

反歌
1748 我が行きは 七日(なぬか)は過ぎじ 龍田(たつた)(ひこ) ゆめこの花を 風にな散らし
1749 白雲の 龍田(たつた)の山を 夕暮(ゆふぐ)れに うち越え行けば 滝の上の (さくら)の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲()ぎぬべし こちごちの 花の盛りに ()さずとも かくもかくにも 君がみ()きは 今にしあるべし

反歌
1750 (いとま)あらば なづさひ渡り (むか)()の (さくら)の花も 折らましものを

難波(なには)経宿(やど)りて明日(あくるひ)(かへ)り来る時の歌一首 并せて短歌
1751 島山を い行き(めぐ)れる (かは)沿()ひの (をか)()の道ゆ 昨日(きのふ)こそ 我が越え()しか ( ひとよ)夜のみ 寝たりしからに ()の上の (さくら)の花は 滝の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろし 風な吹きそと うち越えて ()()へる(もり)に (かざまつり)祭せな   故地

反歌
1752 い行き逢ひの 坂のふもとに 咲きをゐる (さくら)の花を 見せむ子もがも

検税使(けんせいし)大伴卿(おほとものまへつきみ)が、筑波山(つくはやま)に登る時の歌一首 并せて短歌   故地
1753 (ころも)() 常陸(ひたち)の国の (ふた)(なら)ぶ 筑波(つくは)の山を 見まく()り 君来ませりと (あつ)けくに (あせ)かき嘆き ()の根取り うそぶき登り ()(うへ)を 君に見すれば (ひこ)(かみ)も 許したまひ (ひめ)(かみ)も ちはひたまひて 時となく (くも)()雨降る 筑波(つくは)()を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば (うれ)しみと (ひも)()解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち(なび)く 春見ましゆは 夏草(なつくさ)の 茂くはあれど 今日(けふ)(たの)しさ

反歌
1754 今日(けふ)の日に いかにかしかむ 筑波(つくは)()に 昔の人の ()けむその日も

霍公鳥(ほととぎす)を詠む一首 (あは)せて短歌
1755 うぐひすの (かひご)の中に ほととぎす ひとり生れて ()が父に 似ては鳴かず ()が母に 似ては鳴かず ()(はな)の 咲きたる野辺(のへ)ゆ 飛び(かけ)り ()()(とよ)もし (たちばな)の 花()散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし (まひ)はせむ 遠くな行きそ 我がやどの (はな)(たちばな)に 住みわたれ鳥   

反歌
1756 かき()らし 雨の降る()を ほととぎす 鳴きて行くなり あはれその鳥

筑波(つくは)(やま)に登る歌一首 并せて短歌
1757 草枕(くさまくら) 旅の(うれ)へを (なぐさ)もる こともありやと 筑波(つくは)()に 登りて見れば ()(ばな)散る ()(つく)()()に (かり)がねも 寒く来鳴きぬ (にひ)(ばり)の 鳥羽(とば)淡海(あふみ)も 秋風に 白波立ちぬ 筑波(つくは)()の よけくを見れば (なが)()に 思ひ積み()し (うれ)へはやみぬ   

反歌
1758 筑波嶺(つくばね)の (すそ)みの()()に 秋田刈る (いも)がり()らむ 黄葉(もみち)()()らな

筑波嶺()に登りて歌会(かがひ)()る日に作る歌
1759 (わし)の住む 筑波(つくは)の山の ()()()()の その津の(うへ)に (あども)ひて 娘子(をとめ)壮士(をとこ)の 行き(つど)ひ かがふ(かがひ)に 人妻(ひとづま)に 我も(まじ)はらむ 我が妻に 人も(こと)とへ この山を うしはく神の 昔より (いさ)めぬわざぞ 今日(けふ)のみは めぐしもな見そ 事もとがむな

歌は、(あづま)俗語(くにひとのことば)には「かがひ」といふ

反歌
1760 (ひこ)(かみ)に 雲立ち(のぼ)り しぐれ降り ()れ通るとも 我れ帰らめや
右の(くだり)の歌は、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)が歌集の中に出づ。

鳴鹿を詠む一首 (あは)せて短歌
1761 みもろの (かむ)なび山に たち向ふ ()(かき)の山に (あき)(はぎ)の 妻をまかむと (あさ)月夜(づくよ) 明けまく惜しみ あしつきの (やま)(びこ)(とよ)め 呼びたて鳴くも    

反歌
1762 明日(あす)(よひ) 逢はずあらめやも あしひきの (やま)(びこ)(とよ)め 呼びたて鳴くも
右の(くだり)の歌は、或いは「柿本朝臣人麻呂が作」といふ。

沙弥女王(さみのおほきみ)が歌一首
1763 (くら)(はし)の 山を高みか ()(ごも)りに ()()る月の (かた)()ちかたき

右の一首は、間人宿禰大浦(はしひとのすくねおほうら)が歌の中にすでに見えたり。ただし、末の一句(あひ)(かは)れり。また作者の両主、(せい)()()へず。よりて(かさ)()す。

七夕(たなばた)の歌一首 (あは)せて短歌
1764 ひさかたの (あま)川原(かはら)に (かみ)つ瀬に 玉橋渡し (しも)つ瀬に 舟()()ゑ 雨降りて 風吹かずとも 風吹きて 雨降らずとも ()()らさず やまず()ませと 玉橋渡す

反歌
1765 (あま)(がは) 霧立ちわたる 今日(けふ)今日(けふ)と 我が待つ君し (ふな)()すらしも

右の(くだり)の歌は、或いは「中衛大将(ちゆうゑいだいしやう)藤原北卿(ほくきやう)(いへ)にして作る」といふ。

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