巻九 1766〜1811

相聞(さうもん)

振田向宿禰(ふるのたむきのすくね)が、筑紫(つくし)の国に退(まか)る時の歌一首

1766 我妹子(わぎもこ)は (くしろ)にあらなむ 左手の 我が(おく)の手に 巻きて()なましを

抜気大首、筑紫(つくし)()けらゆる時に、豊前(とよのみちのくち)の国の娘子(をとめ)紐児(ひものこ)(めと)りて作る歌三首
1767 (とよ)(くに)の ()(はる)(わぎ)() 紐児(ひものこ)に いつがり()れば 香春は我家   故地
1768 石上(いそのかみ) ()()早稲田(わさだ)の ()には()でず 心のうちに 恋ふるこのころ   
1769 かくのみし 恋ひしわたれば たまきはる (いのち)も我れは ()しけくもなし

大神大夫(おほみわのまへつきみ)長門守(ながとのかみ)()けらゆる時に、三輪(みわ)(かは)()(つど)ひて(うたげ)する歌二首
1770 みもろの 神の()ばせる (はつ)()(かは) ()()し絶えずは 我れ忘れめや
1771 (おく)()て 我れはや恋ひむ 春霞 たなびく山を 君が越え()なば
右の二首は、古集の中に出づ。

大神大夫(おほみわのまへつきみ)筑紫(つくし)の国に()けらゆる時に、阿倍大夫(あへのまへつきみ)が作る歌一首
1772 (おく)()て 我れはや恋ひむ ()(なみ)()の (あき)(はぎ)見つつ ()なむ子故に   

弓削皇子(ゆげのみこ)(たてまつ)る歌一首
1773 (かむ)なびの (かみ)()(いた)に する(すぎ)の 思ひも過ぎず 恋の繁きに

舎人皇子(とねりのみこ)(たてまつ)る歌一首
1774 たらちねの 母の(みこと)の (こと)にあらば 年の()長く 頼め過ぎむや
1775 (はつ)()(がは) (ゆふ)渡り来て 我妹子(わぎもこ)が 家のかな()に 近づきにけり
右の三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。

石川大夫(いしかはのまへつきみ)、遷任して京に(のぼ)る時に、播磨娘子(はりまのをとめ)が贈る歌二首
1776 (たゆ)()()の 山の()の上の (さくら)(はな) 咲かむ春へは 君を(しの)はむ   
1777 君なくは なぞ身(よそ)はむ (くし)()なる 黄楊(つげ)()(ぐし)も 取らむとも思はず

藤井連(ふぢゐのむらじ)、遷任して京に(のぼ)る時に、娘子(をとめ)が贈る歌一首
1778 明日(あす)よりは 我れは恋ひむな ()(ほり)(やま) (いは)()(なら)し 君が越え()なば

藤井連(ふぢゐのむらじ)(こた)ふる歌一首
1779 (いのち)をし ま(さき)くもがも ()(ほり)(やま) (いは)()(なら)し またまたも(きこ)

鹿島(かしま)(こほり)(かる)()(はし)にして、大伴卿(おほとものまへつきみ)を別るる歌一首 (あは)せて短歌   故地
1780 牡牛(ことひうし)の 三宅(みやけ)(かた)に さし(むか)ふ 鹿島(かしま)(さき)に さ()()りの 小船(をぶね)()け 玉巻きの ()(かぢ)しじ()き (ゆふ)(しほ)の 満ちのとどみに ()(ふな)()を (あども)ひたてて 呼びたてて 御船()でなば 浜も()に (おく)()()て こいまろび 恋ひかも()らむ 足すりし ()のみや泣かむ 海上(うなかみ)の その津を()して 君が()()なば

反歌
1781 海つ()の なぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に (ふな)()すべしや
右の二首は、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)が歌集に出づ。

妻に(あた)ふる歌一首
1782 雪こそば (はる)()消ゆらめ 心さへ 消え()せたれや (こと)(かよ)はぬ

妻が(こた)ふる歌一首
1783 (まつ)(がへ)り しひてあれやは (みつぐり)の (なか)(のぼ)()ぬ 麻呂(まろ)といふ(やっこ)   
右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。

(にふ)(たう)使()に贈る歌一首
1784 (わた)(つみ)の いづれの神を 祈らばか 行くさも()さも 船の早けむ
右の一首は、渡海の(ねん)()いまだ(つばひ)らかにあらず。

(じん)()五年戊辰(つちのえたつ)の秋の八月の歌一首 (あは)せて短歌
1785 人となる ことはかたきを わくらばに なれる我が身は 死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし(あひだ)に うつせみの 世の人なれば 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み 天離(あまざか)る 鄙治(ひなおさ)めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥(むらとり)の (むら)立ち()なば ()まり()て 我れは恋ひむな 見ず(ひさ)さらば

反歌
1786 (こし)()の 雪降る山を 越えむ日は ()まれる我れを ()けて(しの)はせ

天平元年(つちのと)()の冬の十二月の歌一首 (あは)せて短歌
1787 うつせみの 世の人なれば 大君(おほきみ)(みこと)(かしこ)み 磯城島(しきしま)の 大和の国の 石上(いそのかみ) 布留(ふる)の里に (ひも)()かず 丸寝(まろね)をすれば 我が着たる (ころも)はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に()でば 人知りぬべみ 冬の()の 明かしもえぬを ()も寝ずに 我れはぞ恋ふる (いも)直香(ただか)

反歌
1788 ()()(やま)ゆ (ただ)に見わたす 都にぞ ()も寝ず恋ふる 遠くあらなくに
1789 我妹子(わぎもこ)が ()ひてし(ひも)を 解かめやも 絶えば絶ゆとも (ただ)()ふまでに
右の(くだり)の五首は、笠朝臣金村(かさのあそみかなむら)が歌の中に出づ。

天平五年(みづのと)(とり)に、遣唐使の船難波(なには)()ちて海に入る時に、親母(おや)の子に贈る歌一首 (あは)せて短歌
1790 (あき)(はぎ)を (つま)どふ鹿()こそ (ひと)り子に 子持てりといへ 鹿()()じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば (たか)(たま)を (しじ)()き垂れ (いはひへ)瓮に ()綿()取り()でて (いは)ひつつ 我が思ふ我が子 ま(さき)くありこそ

反歌
1791 旅人(たびひと)の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子()ぐくめ (あめ)(たづ)(むら)   故地

娘子(をとめ)を思ひて作る歌一首 (あは)せて短歌
1792 (しら)(たま)の 人のその名を なかなかに (こと)(した)()へ 逢はぬ日の 数多(まね)く過ぐれば 恋ふる日の (かさ)なりゆけば 思ひ()る たどきを知らに (きも)(むか)ふ 心(くだ)けて 玉だすき ()けぬ時なく 口やまず 我が恋ふる子を (たま)(くしろ) 手に取り持ちて まそ鏡 (ただ)()に見ねば (した)檜山(ひやま) (した)行く水の (うへ)に出でず 我が思ふ心 安きそらかも

反歌
1793 垣ほなす 人の(よこ)(こと) 繁みかも 逢はぬ日()()く 月の()ぬらむ
1794 たち変り 月(かさ)なりて 逢はねども さね忘らえず 面影(おもかげ)にして
右の三首は、田辺福麻呂(たなべのさきまろ)が歌集に出づ。

挽歌(ばんか)

宇治若郎子(うぢのわきいらつこ)宮処(みやところ)の歌一首

1795 (いも)らがり (いま)()(みね)に 茂り立つ (つま)(まつ)の木は (ふる)(ひと)見けむ

紀伊()の国にして作る歌四首
1796 黄葉(もみちば)の 過ぎにし子らと たづさはり 遊びし(いそ)を 見れば悲しも
1797 (しほ)()立つ 荒磯(ありそ)にはあれど 行く水の 過ぎにし(いも)が 形見(かたみ)とぞ()
1798 いにしへに 妹と我が見し ぬばたまの 黒牛潟(くろうしがた)を 見れば(さぶ)しも   故地
1799 (たま)()(しま) 磯の(うら)みの 真砂(まなご)にも にほひて行かな (いも)も触れけむ   故地
右の五首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。

足柄(あしがら)(さか)を過ぐるに、死人(しにん)を見て作る歌一首
1800 ()垣内(かきつ)の (あさ)を引き()し 妹なねが 作り着せけむ (しろ)(たへ)の (ひも)をも解かず ( ひとへ)()ふ (おび)三重(みへ)()ひ 苦しきに (つか)(まつ)りて 今だにも 国に(まか)りて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は (とり)が鳴く (ひがし)の国の (かしこ)きや 神の御坂(みさか)に (にきたへ)栲の (ころもさむ)寒らに ぬばたまの 髪は乱れて 国()へど 国をも()らず (いへ)()ど 家をも言はず ますらをの 行きのまにまに ここに()やせる

葦屋(あしのや)処女(をとめ)が墓を過ぐる時に作る歌一首并せて短歌   故地
1801 いにしへの ますら壮士(をとこ)の 相競(あひきほ)ひ 妻どひしけむ 葦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奥城(おくつき)を 我が立ち見れば 長き世の 語りにしつつ 後人(のちひと)の (しの)ひにせむと 玉桙(たまほこ)の 道の()近く (いは)(かま)へ 造れる塚を 天雲(あまくも)の そくへの(きは)み この道を 行く人ごとに 行き寄りて い立ち嘆かひ ある人は ()にも泣きつつ 語り継ぎ 偲ひ継ぎくる 娘子(をとめ)らが 奥城ところ 我れさへに 見れば悲しも いにしへ思へば

反歌
1802 いにしへの 信太(しのだ)壮士(をとこ)の (つま)どひし 莵原(うなひ)娘子(をとめ)の (おく)(つき)ぞこれ
1803 語り継ぐ からにもここだ 恋しきを 直目(ただめ)に見けむ いにしへ壮士(をとこ

)(おとひと)の死にけるを(かな)しびて作る歌一首 (あは)せて短歌

1804 父母が ()しのまにまに (はし)(むか)ふ (おと)(みこと)は 朝露の ()やすき(いのち) 神の(むた) (あらそ)ひかねて 葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国に 家なみや また帰り()ぬ 遠つ国 黄泉(よみ)(さかひ)に ()(つた) おのが向き向き (あま)(くも)の 別れし行けば 闇夜(やみよ)なす 思ひ(まと)はひ ()鹿(しし)の 心を痛み (あし)(かき)の 思ひ乱れて (はる)(とり)の ()のみ泣きつつ あぢさはふ (よる)(ひる)知らず かぎろひの 心燃えつつ 悲しび別る   

反歌
1805 別れても まやも逢ふべく 思ほえば 心乱れて 我れ恋ひめやも
1806 あしひきの 荒山中(あらやまなか)に 送り置きて 帰らふ見れば 心苦(こころぐる)しも
右の七首は、田辺福麻呂(たなべのさきまろ)が歌集に出づ。

葛飾(かつしか)真間娘子(ままのをとめ)を詠む歌一首 并せて短歌   故地
1807 (とり)が鳴く (あづま)の国に いにしへに ありけることと今までに 絶えず言ひける 葛飾(かつしか)の 真間(まま)手児奈(てごな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿(あをくび)着け ひたさ()を ()には織り着て 髪だにも ()きは(けづ)らず (くつ)をだに はかず行けども 錦綾(にしきあや)の 中に包める (いは)ひ子も (いも)にしかめや 望月(もちづき)の ()れる(おも)わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟()ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも ()けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の (さわ)く港の 奥城(おくつき)に 妹が()やせる 遠き()に ありけることを 昨日(きのふ)しも 見けむがごとも 思ほゆるかも

反歌
1808 勝鹿(かつしか)の ()()()見れば ()(なら)し 水()ましけむ ()()()し思ほゆ

菟原娘子(うなひをとめ)が墓を見る歌一首 并せて短歌   故地
1809 葦屋(あしのや) 菟原娘子(うなひをとめ)の ()(とせ)()の (かた)()ひの時ゆ ()(ばな)りに 髪たくまでに 並び()る 家にも見えず (うつ)()綿()の (こも)りて()れば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の()ふ時 ()()(をと)() 菟原(うなひ)(をと)()の (ふせ)()()き すすし(きほ)ひ (あひ)よばひ しける時は (やき)()()の ()かみ()しねり (しら)真弓(まゆみ) (ゆき)取り()ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ (きほ)ひし時に (わぎ)()()が 母に語らく しつたまき いやしき我が(ゆゑ) ますらをの (あらそ)ふ見れば ()けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉(よみ)に待たむと (こも)()の (した)()へ置きて うち嘆き 妹が()ぬれば 茅渟壮士 その()(いめ)に見 とり(つつ)き 追ひ行きければ (おく)れたる 菟原壮士い (あめ)(あふ)ぎ 叫びおらば (つち)()み きかみたけびて もころ()に 負けてはあらじと ()()きの ()()()取り()き ところづら ()め行きければ 親族(うがら)どち い行き(つど)ひ 長き代に (しるし)にせむと 遠き代に 語り()がむと 娘子(をとめ)(はか) 中に造り置き  このもかのもに 造り置ける 壮士(をとこ)(ゆゑ)(よし)聞きて 知らねども (にひ)()のごとも ()泣きつるかも

()反歌
1810 葦屋(あしのや)の 菟原娘子(うなひをとめ)の 奥城(おくつき)を 行き()と見れば ()のみし泣かゆ
1811 墓の(うへ)の ()()(なび)けり 聞きしごと 茅渟(ちぬ)壮士(をとこ)にし 寄りにけらしも
右の五首は、高橋連虫麻呂(たかはしのむらじむしまろ)が歌集の中に出づ

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