相聞
振田向宿禰が、筑紫の国に退る時の歌一首 1766 我妹子は 釧にあらなむ 左手の 我が奥の手に 巻きて去なましを
抜気大首、筑紫に任けらゆる時に、豊前の国の娘子紐児を娶りて作る歌三首 1767 豊国の 香春は我家 紐児に いつがり居れば 香春は我家 ☆故地 1768 石上 布留の早稲田の 穂には出でず 心のうちに 恋ふるこのころ ☆花 1769 かくのみし 恋ひしわたれば たまきはる 命も我れは 惜しけくもなし 大神大夫、長門守に任けらゆる時に、三輪の川辺に集ひて宴する歌二首 1770 みもろの 神の帯ばせる 泊瀬川 水脈し絶えずは 我れ忘れめや 1771 後れ居て 我れはや恋ひむ 春霞 たなびく山を 君が越え去なば 右の二首は、古集の中に出づ。 大神大夫、筑紫の国に任けらゆる時に、阿倍大夫が作る歌一首 1772 後れ居て 我れはや恋ひむ 印南野の 秋萩見つつ 去なむ子故に ☆花
弓削皇子に献る歌一首 1773 神なびの 神依せ板に する杉の 思ひも過ぎず 恋の繁きに 舎人皇子に献る歌一首 1774 たらちねの 母の命の 言にあらば 年の緒長く 頼め過ぎむや 1775 泊瀬川 夕渡り来て 我妹子が 家のかな門に 近づきにけり 右の三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 石川大夫、遷任して京に上る時に、播磨娘子が贈る歌二首 1776 絶等寸の 山の峰の上の 桜花 咲かむ春へは 君を偲はむ ☆花 1777 君なくは なぞ身装はむ 櫛笥なる 黄楊の小櫛も 取らむとも思はず 藤井連、遷任して京に上る時に、娘子が贈る歌一首 1778 明日よりは 我れは恋ひむな 名欲山 岩踏み平し 君が越え去なば 藤井連が和ふる歌一首 1779 命をし ま幸くもがも 名欲山 岩踏み平し またまたも来む 鹿島の郡の刈野の橋にして、大伴卿を別るる歌一首 并せて短歌 ☆故地 1780 牡牛の 三宅の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小船を設け 玉巻きの 小楫しじ貫き 夕潮の 満ちのとどみに 御船子を 率ひたてて 呼びたてて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て こいまろび 恋ひかも居らむ 足すりし 音のみや泣かむ 海上の その津を指して 君が漕ぎ去なば 反歌 1781 海つ道の なぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に 船出すべしや 右の二首は、高橋連虫麻呂が歌集に出づ。 妻に与ふる歌一首 1782 雪こそば 春日消ゆらめ 心さへ 消え失せたれや 言も通はぬ 妻が和ふる歌一首 1783 松反り しひてあれやは 三栗の 中上り来ぬ 麻呂といふ奴 ☆花 右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 入唐使に贈る歌一首 1784 海神の いづれの神を 祈らばか 行くさも来さも 船の早けむ 右の一首は、渡海の年記いまだ詳らかにあらず。 神亀五年戊辰の秋の八月の歌一首 并せて短歌 1785 人となる ことはかたきを わくらばに なれる我が身は 死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の 群立ち去なば 留まり居て 我れは恋ひむな 見ず久さらば 反歌 1786 み越道の 雪降る山を 越えむ日は 留まれる我れを 懸けて偲はせ 天平元年己巳の冬の十二月の歌一首 并せて短歌 1787 うつせみの 世の人なれば 大君の命畏み 磯城島の 大和の国の 石上 布留の里に 紐解かず 丸寝をすれば 我が着たる 衣はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出でば 人知りぬべみ 冬の夜の 明かしもえぬを 寐も寝ずに 我れはぞ恋ふる 妹が直香に 反歌 1788 布留山ゆ 直に見わたす 都にぞ 寐も寝ず恋ふる 遠くあらなくに 1789 我妹子が 結ひてし紐を 解かめやも 絶えば絶ゆとも 直に逢ふまでに 右の件の五首は、笠朝臣金村が歌の中に出づ。
天平五年癸酉に、遣唐使の船難波を発ちて海に入る時に、親母の子に贈る歌一首 并せて短歌 1790 秋萩を 妻どふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を 繁に貫き垂れ 斎瓮に 木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我が子 ま幸くありこそ 反歌 1791 旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 我が子羽ぐくめ 天の鶴群 ☆故地
娘子を思ひて作る歌一首 并せて短歌 1792 白玉の 人のその名を なかなかに 言を下延へ 逢はぬ日の 数多く過ぐれば 恋ふる日の 重なりゆけば 思ひ遣る たどきを知らに 肝向ふ 心砕けて 玉だすき 懸けぬ時なく 口やまず 我が恋ふる子を 玉釧 手に取り持ちて まそ鏡 直目に見ねば 下檜山 下行く水の 上に出でず 我が思ふ心 安きそらかも 反歌 1793 垣ほなす 人の横言 繁みかも 逢はぬ日数多く 月の経ぬらむ 1794 たち変り 月重なりて 逢はねども さね忘らえず 面影にして 右の三首は、田辺福麻呂が歌集に出づ。 挽歌
宇治若郎子の宮処の歌一首 1795 妹らがり 今木の嶺に 茂り立つ 夫松の木は 古人見けむ 紀伊の国にして作る歌四首 1796 黄葉の 過ぎにし子らと たづさはり 遊びし磯を 見れば悲しも 1797 潮気立つ 荒磯にはあれど 行く水の 過ぎにし妹が 形見とぞ来し 1798 いにしへに 妹と我が見し ぬばたまの 黒牛潟を 見れば寂しも ☆故地 1799 玉津島 磯の浦みの 真砂にも にほひて行かな 妹も触れけむ ☆故地 右の五首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 足柄の坂を過ぐるに、死人を見て作る歌一首 1800 小垣内の 麻を引き干し 妹なねが 作り着せけむ 白栲の 紐をも解かず 一重結ふ 帯を三重結ひ 苦しきに 任へ奉りて 今だにも 国に罷りて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏が鳴く 東の国の 畏きや 神の御坂に 和栲の 衣寒らに ぬばたまの 髪は乱れて 国問へど 国をも告らず 家問ど 家をも言はず ますらをの 行きのまにまに ここに臥やせる 葦屋の処女が墓を過ぐる時に作る歌一首并せて短歌 ☆故地 1801 いにしへの ますら壮士の 相競ひ 妻どひしけむ 葦屋の 菟原娘子の 奥城を 我が立ち見れば 長き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと 玉桙の 道の辺近く 岩構へ 造れる塚を 天雲の そくへの極み この道を 行く人ごとに 行き寄りて い立ち嘆かひ ある人は 哭にも泣きつつ 語り継ぎ 偲ひ継ぎくる 娘子らが 奥城ところ 我れさへに 見れば悲しも いにしへ思へば 反歌 1802 いにしへの 信太壮士の 妻どひし 莵原娘子の 奥城ぞこれ 1803 語り継ぐ からにもここだ 恋しきを 直目に見けむ いにしへ壮士 弟の死にけるを哀しびて作る歌一首 并せて短歌 1804 父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟の命は 朝露の 消やすき命 神の共 争ひかねて 葦原の 瑞穂の国に 家なみや また帰り来ぬ 遠つ国 黄泉の境に 延ふ蔦の おのが向き向き 天雲の 別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ 射ゆ鹿の 心を痛み 葦垣の 思ひ乱れて 春鳥の 哭のみ泣きつつ あぢさはふ 夜昼知らず かぎろひの 心燃えつつ 悲しび別る ☆花 反歌 1805 別れても まやも逢ふべく 思ほえば 心乱れて 我れ恋ひめやも 1806 あしひきの 荒山中に 送り置きて 帰らふ見れば 心苦しも 右の七首は、田辺福麻呂が歌集に出づ。 葛飾の真間娘子を詠む歌一首 并せて短歌 ☆故地 1807 鶏が鳴く 東の国に いにしへに ありけることと今までに 絶えず言ひける 葛飾の 真間の手児奈が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも 反歌 1808 勝鹿の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ 菟原娘子が墓を見る歌一首 并せて短歌 ☆故地 1809 葦屋の 菟原娘子の 八年子の 片生ひの時ゆ 小放りに 髪たくまでに 並び居る 家にも見えず 虚木綿の 隠りて居れば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士 菟原壮士の 伏屋焚き すすし競ひ 相よばひ しける時は 焼大刀の 手かみ押しねり 白真弓 靫取り負ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競ひし時に 我妹子が 母に語らく しつたまき いやしき我が故 ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉に待たむと 隠り沼の 下延へ置きて うち嘆き 妹が去ぬれば 茅渟壮士 その夜夢に見 とり続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い 天仰ぎ 叫びおらば 地を踏み きかみたけびて もころ男に 負けてはあらじと 懸け佩きの 小大刀取り佩き ところづら 尋め行きければ 親族どち い行き集ひ 長き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと 娘子墓 中に造り置き このもかのもに 造り置ける 壮士墓故縁聞きて 知らねども 新喪のごとも 哭泣きつるかも 反歌 1810 葦屋の 菟原娘子の 奥城を 行き来と見れば 哭のみし泣かゆ 1811 墓の上の 木の枝靡けり 聞きしごと 茅渟壮士にし 寄りにけらしも 右の五首は、高橋連虫麻呂が歌集の中に出づ |