巻十 2094〜2238

花を詠む
2094 さを鹿の 心(あひ)()ふ (あき)(はぎ)の しぐれの降るに 散らくし()しも   
2095 (ゆふ)されば 野辺の(あき)(はぎ) うら若み 露にぞ枯るる 秋待ちかてに
右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。
2096 ()(くず)(はら) (なび)く秋風 吹くごとに ()()大野(おほの)の (はぎ)の花散る   故地 
2097 (かり)がねの 来鳴かむ日まで 見つつあらむ この(はぎ)(はら)に 雨な降りそね
2098 奥山に 住むとふ鹿の (よひ)さらず 妻どふ(はぎ)の 散らまく惜しも
2099 白露の 置かまく惜しみ (あき)(はぎ)を 折りのみ折りて 置きや枯らさむ
2100 秋田刈る (かり)(いほ)の宿り にほふまで 咲ける(あき)(はぎ) 見れど()かぬか
2101 我が(ころも) ()れるにはあらず 高松(たかまつ)の 野辺行きしかば (はぎ)の摺れるぞ
2102 この(ゆふへ) 秋風吹きぬ 白露に 争ふ(はぎ)の 明日咲かむ見む
2103 秋風は 涼しくなりぬ 馬()めて いざ野に行かな (はぎ)の花見に
2104 (あさ)(がほ)は 朝露()ひて 咲くといへど (ゆふ)(かげ)にこそ 咲きまさりけれ   
2105 春されば (かすみ)(がく)りて 見えざりし (あき)(はぎ)咲きぬ 折りてかざさむ
2106 ()(ぬか)()の 野辺の(あき)(はぎ) 時なれば 今盛りなり 折りてかざさむ
2107 ことさらに (ころも)()らじ をみなへし ()()()の萩に にほひて()らむ   
2108 秋風は ()く疾く吹き() (はぎ)の花 散らまく惜しみ (きほ)ひ立たむ見む
2109 我がやどの (はぎ)(うれ)長し 秋風の 吹きなむ時に 咲かむと思ひて
2110 人皆は (はぎ)を秋と言ふ よし我れは ()(ばな)(うれ)を 秋とは言はむ
2111 玉梓(たまづさ)の 君が使(つかひ)の ()()()る この(あき)(はぎ)は 見れど飽かぬかも
2112 我がやどに 咲ける(あき)(はぎ) 常ならば 我が待つ人に 見せましものを
2113 手もすまに 植ゑしもしるく ()で見れば やどの(はつ)(はぎ) 咲きにけるかも
2114 我がやどに 植ゑ()ほしたる (あき)(はぎ)を ()れか(しめ)()す 我れに知らえず
2115 手に取れば (そで)さへにほふ をみなへし この(しら)(つゆ)に 散らまく()しも
2116 白露に 争ひかねて 咲ける(はぎ) 散らば惜しけむ 雨な降りそね
2117 娘子(をとめ)らに 行き逢ひの早稲(わせ)を 刈る時に なりにけらしも (はぎ)の花咲く   
2118 朝霧の たなびく小野(をの)の (はぎ)の花 今か散るらむ いまだ()かなくに
2119 恋しくは 形見にせよと 我が()()が 植ゑし(あき)(はぎ) 花咲きにけり
2120 (あき)(はぎ)に 恋(つく)さじと 思へども しゑやあたらし またも逢はめやも
2121 秋風は 日に()に吹きぬ 高円(たかまと)の 野辺の(あき)(はぎ) 散らまく()しも   故地
2122 ますらをの 心はなくて (あき)(はぎ)の 恋のみにやも なづみてありなむ
2123 我が待ちし 秋は(きた)りぬ しかれども (はぎ)の花ぞも いまだ咲かずける
2124 見まく()り 我が待ち恋ひし (あき)(はぎ)は 枝もしみみに 花咲きにけり
2125 春日(かすが)()の (はぎ)し散りなば (あさ)()()の 風にたぐひて ここに散り()
2126 (あき)(はぎ)は (かり)に逢はじと 言へればか 声を聞きては 花に散りぬる
2127 秋さらば 妹に見せむと 植ゑし(はぎ) (つゆ)(しも)()ひて 散りにけるかも

(かり)を詠む
2128 秋風に 大和(やまと)へ越ゆる (かり)がねは いや(とほ)ざかる (くも)(がく)りつつ
2129 明け暮れの 朝霧(こも)り 鳴きて行く (かり)は我が恋 (いも)に告げこそ
2130 我がやどに 鳴きし(かり)がね 雲の(うへ)に 今夜(こよひ)鳴くなり 国へかも行く
2131 さを鹿の (つま)どふ時に 月をよみ (かり)()聞こゆ 今し()らしも
2132 (あま)(くも)の (よそ)(かり)() 聞きしより はだれ(しも)()り 寒しこの夜は
2133 秋の田の 我が刈りばかの 過ぎぬれば (かり)()聞こゆ 冬かたまけて
2134 (あし)()なる (をぎ)の葉さやぎ 秋風の 吹き来るなへに (かり)鳴き渡る   
2135 おしてる 難波(なには)堀江(ほりえ)の (あし)()には (かり)寝たるかも 霜の降らく
2136 秋風に 山飛び越ゆる (かり)がねの 声(とほ)ざかる (くも)(がく)るらし
2137 朝に行く (かり)の鳴く()は 我がごとく 物思へかも 声に悲しき
2138 (たづ)がねの 今朝(けさ)鳴くなへに (かり)がねは いづくさしてか (くも)(がく)るらむ
2139 ぬばたまの ()(わた)(かり)は おほほしく 幾夜(いくよ)()てか おのが名を()
2140 あらたまの 年の()ゆけば (あども)ふと ()渡る我れを 問ふ人や()

鹿鳴(ろくめい)を詠む
2141 このころの 秋の朝明(あさけ)に (きり)(ごも)り 妻呼ぶ鹿(しか)の 声のさやけさ
2142 さを鹿の 妻ととのふと 鳴く声の 至らむ(きは) (なび)(はぎ)(はら)
2143 君に恋ひ うらぶれ()れば (しき)の野の (あき)(はぎ)しのぎ さを鹿鳴くも
2144 (かり)()ぬ (はぎ)は散りぬと さを鹿の 鳴くなる声も うらぶれにけり
2145 (あき)(はぎ)の 恋も尽きねば さを鹿の 声い()ぎい継ぎ 恋こそまされ
2146 山近く 家や()るべき さを鹿の 声を聞きつつ ()ねかてぬかも
2147 山の()に い行くさつ()は 多かれど 山にも野にも さを鹿鳴くも
2148 あしひきの 山より()せば さを鹿の 妻呼ぶ声を 聞かましものを
2149 (やま)()には さつ()のねらひ (かしこ)けど を鹿鳴くなり 妻が目を()
2150 (あき)(はぎ)の 散りゆく見れば おほほしみ 妻恋すらし さを鹿鳴くも
2151 山遠き 都にしあれば さを鹿の 妻呼ぶ声は (とも)しくもあるか
2152 (あき)(はぎ)の 散り過ぎゆかば さを鹿は わび鳴きせむな 見ずはともしみ
2153 (あき)(はぎ)の 咲きたる野辺は さを鹿ぞ 露を()けつつ 妻どひしける
2154 なぞ鹿の わび鳴きすなる けだしくも 秋野の(はぎ)や (しげ)く散るらむ
2155 (あき)(はぎ)の 咲きたる野辺の さを鹿は 散らまく()しみ 鳴き行くものを
2156 あしひきの 山の()(かげ)に 鳴く鹿の 声聞かすやも 山田()らす子

(せみ)を詠む
2157 (ゆふ)(かげ)に 来鳴くひぐらし ここだくも 日ごとに聞けば ()かぬ声かも

(こほろぎ)を詠む
2158 秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの (あさ)()(もと)に こほろぎ鳴くも   
2159 蔭草(かげくさ)の ()ひたるやどの 夕影に 鳴くこほろぎは 聞けど()かぬかも
2160 (には)(くさ)に (むら)(さめ)降りて こほろぎの 鳴く声聞けば 秋づきにけり

(かはづ)を詠む
2161 吉野(よしの)の (いは)もとさらず 鳴くかはづ うべも鳴きけり 川をさやけみ
2162 (かむ)なびの 山下(とよ)み 行く水に かはづ鳴くなり 秋と言はむや
2163 草枕 旅に物思ひ 我が聞けば (ゆふ)かたまけて 鳴くかはづかも
2164 瀬を早み 落ちたぎちたる 白波に かはづ鳴くなり (あさ)(よひ)ごとに
2165 (かみ)()に かはづ妻呼ぶ (ゆふ)されば 衣手(ころもで)(さむ)み 妻まかむとか

鳥を詠む
2166 妹が手を 取石(とろし)の池の 波の間ゆ 鳥が()()に鳴く 秋過ぎぬらし
2167
 秋の野の ()(ばな)(うれ)に 鳴くもずの 声聞きけむか 片聞け我妹(わぎも)   

露を詠む
2168 (あき)(はぎ)に 置ける白露 (あさ)()な 玉としぞ見る 置ける白露
2169 夕立の 雨降るごとに 春日野の ()(ばな)(うへ)の 白露思ほゆ
2170 (あき)(はぎ)の 枝もとををに (つゆ)(しも)置き 寒くも時は なりにけるかも
2171 白露と (あき)(はぎ)とには 恋ひ乱れ ()くことかたき 我が心かも
2172 我がやどの ()(ばな)押しなべ 置く露に ()()我妹子(わぎもこ) 散らまくも見む
2173 白露を 取らば()ぬべし いざ子ども 露に(きほ)ひて (はぎ)の遊びせぬ
2174 秋田刈る (かり)(いほ)を作り 我が()れば (ころもで)手寒く 露ぞ置きにける
2175 このころの 秋風寒し (はぎ)の花 散らす白露 置きにけらしも
2176 秋田刈る (いほ)動くなり 白露し 置く()()なしと ()げに()ぬらし

山を詠む
2177 春は()え 夏は緑に (くれなゐ)の まだらに見ゆる 秋の山かも

黄葉(もみち)を詠む
2178 (つま)ごもる ()()(かむ)(やま) (つゆ)(しも)に にほひそめたり 散らまく()しも   故地 故地
2179 (あさ)(つゆ)に にほひそめたる 秋山に しぐれな降りそ ありわたるがね
右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。
2180 (なが)(つき)の しぐれの雨に ()れ通り 春日(かすが)の山は 色づきにけり

2181 (かり)()の 寒き(あさ)()の (つゆ)ならし 春日(かすが)の山を もみたすものは
2182 このころの 暁露(あかときつゆ)に 我がやどの (はぎ)(した)()は 色づきにけり
2183 (かり)がねは 今は来鳴きぬ 我が待ちし 黄葉(もみち)(はや)()げ 待たば苦しも
2184 秋山を ゆめ人()くな 忘れにし その黄葉(もみちば)の 思ほゆらくに
2185 大坂(おほさか)を 我が越え()れば (ふた)(かみ)に 黄葉(もみちば)流る しぐれ降りつつ   故地
2186 秋されば 置く白露に 我が(かど)の (あさ)()(うら)() 色づきにけり   
2187 (いも)(そで) (まき)()の山の 朝露に にほふ黄葉(もみち)の 散らまく()しも
2188 (もみ)(ちば)の にほひは(しげ)し しかれども (つま)(なし)の木を ()()りかざさむ   
2189 (つゆ)(しも)の 寒き(ゆふへ)の 秋風に もみちにけらし (つま)(なし)の木は
2190 我が(かど)の (あさ)()色づく (よな)(ばり)の (なみ)(しば)の野の 黄葉(もみち)散るらし
2191 (かり)()を 聞きつるなへに 高松(たかまつ)の ()()の草ぞ 色づきにける
2192 我が()()が (しろ)(たへ)(ころも) 行き()れば にほひぬべくも もみつ山かも
2193 秋風の 日に()に吹けば (みづ)(くき)の (をか)()の葉も 色づきにけり
2194 (かり)がねの 来鳴きしなへに 韓衣(からころも) (たつ)()の山は もみちそめたり
2195 (かり)がねの 声聞くなへに 明日よりは 春日(かすが)の山は もみちそめなむ
2196 しぐれの雨 間なくし降れば 真木(まき)の葉も 争ひかねて 色づきにけり
2197 いちしろく しぐれの雨は 降らなくに (おほ)()の山は 色づきにけり
「大城」といふものは筑前(つくしのみちのくち)の国の()(かさ)(こほり)の大野山の(いただき)にあり、(なづ)けて「大城」といふ
2198 風吹けば 黄葉(もみち)散りつつ すくなくも (あが)の松原 清くあらなくに
2199 物思ふと (こも)らひ()りて 今日(けふ)見れば 春日(かすが)の山は 色づきにけり
2200 (なが)(つき)の (しら)(つゆ)()ひて あしひきの 山のもみたむ 見まくしもよし
2201 (いも)がりと 馬に(くら)置きて 生駒(いこま)(やま) うち越え()れば 黄葉(もみち)散りつつ   故地
2202 黄葉(もみち)する 時になるらし 月人(つきひと)の (かつら)(えだ)の 色づく見れば
2203 里ゆ()に 霜は置くらし 高松(たかまつ)の 野山(のやま)づかさの 色づく見れば
2204 秋風の 日に()に吹けば 露を(おも)み (はぎ)の下葉は 色づきにけり
2205 (あき)(はぎ)の 下葉もみちぬ あらたまの 月の()ぬれば 風をいたみかも
2206 まそ鏡 (みな)(ぶち)(やま)は 今日(けふ)もかも (しら)(つゆ)置きて 黄葉(もみち)散るらむ
2207 我がやどの (あさ)()色づく (よな)(ばり)の (なつ)()(うへ)に しぐれ降るらし
2208 (かり)がねの 寒く鳴きしゆ (みづ)(くき)の 岡の(くず)()は 色づきにけり   
2209 (あき)(はぎ)の 下葉の黄葉(もみち) 花に()ぎ 時過ぎゆかば (のち)恋ひむかも
2210 明日香(あすか)(かは) 黄葉(もみちば)流る 葛城(かづらぎ)の 山の()の葉は 今し散るらし   故地
2211 (いも)(ひも) ()くと(むす)びて 龍田(たつた)(やま) 今こそもみち そめてありけり
2212 (かり)がねの 寒く鳴きしゆ 春日(かすが)なる ()(かさ)の山は 色づきにけり
2213 このころの 暁露(あかときつゆ)に 我がやどの 秋の(はぎ)(はら) 色づきにけり
2214 (ゆふ)されば (かり)の越え行く 龍田(たつた)(やま) しぐれに(きほ)ひ 色づきにけり
2215 ()()けて しぐれな降りそ (あき)(はぎ)の (もと)()の黄葉 散らまく()しも
2216 故郷(ふるさと)の (はつ)黄葉(もみちば)を ()()り持ち 今日(けふ)ぞ我が()し 見ぬ人のため
2217 君が家の 黄葉(もみちば)(はや) 散りにけり しぐれの雨に ()れにけらしも
2218 一年(ひととせ)に ふたたび行かぬ 秋山を 心に()かず 過ぐしつるかも

水田を詠む
2219 あしひきの 山田作る子 ()でずとも (なは)だに()へよ ()ると知るがね
2220 さを鹿の 妻呼ぶ山の (をか)()なる 早稲田(わさだ)()らじ (しも)は降るとも
2221 我が(かど)の ()る田を見れば ()()(うち)の (あき)(はぎ)すすき 思ほゆるかも   

川を詠む
2222 夕さらず かはづ鳴くなる 三輪(みわ)(がは)の 清き瀬の(おと)を 聞かくしよしも

月を詠む
2223 (あめ)の海に 月の舟()け 桂楫(かつらかぢ) ()けて()ぐみゆ 月人(つきひと)壮士(をとこ)
2224 この()らは さ()()けぬらし (かり)()の 聞こゆる空ゆ 月立ち渡る
2225 我が()()が かざしの(はぎ)に 置く露を さやかに見よと 月は照るらし
2226 心なき 秋の(つく)()の 物思ふと ()()らえぬに 照りつつもとな
2227 思はぬに しぐれの雨は 降りたれど (あま)(くも)晴れて 月夜(つくよ)さやけし
2228 (はぎ)の花 咲きのををりを 見よとかも 月夜(つくよ)の清き 恋まさらくに
2229 白露を 玉になしたる (なが)(つき)の 有明(ありあけ)月夜(つくよ) 見れど()かぬかも

風を詠む
2230 恋ひつつも (いね)()かき()け 家()れば (とも)しくもあらず 秋の(ゆふ)(かぜ)
2231 (はぎ)の花 咲きたる野辺(のへ)に ひぐらしの 鳴くなるなへに 秋の風吹く
2232 秋山の ()の葉もいまだ もみたねば 今朝(けさ)吹く風は 霜も置きぬべく

()を詠む
2233 高松(たかまつ)の この(みね)()に (かさ)立てて ()(さか)りたる 秋の()のよさ

雨を詠む
2234 (ひと)()には 千重(ちへ)しくしくに 我が恋ふる (いも)があたりに しぐれ降るみゆ

右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。


2235 秋田刈る 旅の(いほ)りに しぐれ降り 我が袖濡れぬ ()す人なしに
2236 玉たすき ()けぬ時なく 我が恋ふる しぐれし降らば ()れつつも行かむ
2237 黄葉(もみちば)を 散らすしぐれの 降るなへに ()さへぞ寒き ひとりし()れば

霜を詠む
2238 (あま)飛ぶや (かり)(つばさ)の (おほ)()の いづく()りてか 霜の降りけむ

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