花を詠む 2094 さを鹿の 心相思ふ 秋萩の しぐれの降るに 散らくし惜しも ☆花 2095 夕されば 野辺の秋萩 うら若み 露にぞ枯るる 秋待ちかてに 右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 2096 真葛原 靡く秋風 吹くごとに 阿太の大野の 萩の花散る ☆故地 ☆花 2097 雁がねの 来鳴かむ日まで 見つつあらむ この萩原に 雨な降りそね 2098 奥山に 住むとふ鹿の 宵さらず 妻どふ萩の 散らまく惜しも 2099 白露の 置かまく惜しみ 秋萩を 折りのみ折りて 置きや枯らさむ 2100 秋田刈る 仮盧の宿り にほふまで 咲ける秋萩 見れど飽かぬかも 2101 我が衣 摺れるにはあらず 高松の 野辺行きしかば 萩の摺れるぞ 2102 この夕 秋風吹きぬ 白露に 争ふ萩の 明日咲かむ見む 2103 秋風は 涼しくなりぬ 馬並めて いざ野に行かな 萩の花見に 2104 朝顔は 朝露負ひて 咲くといへど 夕影にこそ 咲きまさりけれ ☆花 2105 春されば 霞隠りて 見えざりし 秋萩咲きぬ 折りてかざさむ 2106 沙額田の 野辺の秋萩 時なれば 今盛りなり 折りてかざさむ 2107 ことさらに 衣は摺らじ をみなへし 佐紀野の萩に にほひて居らむ ☆花 2108 秋風は 疾く疾く吹き来 萩の花 散らまく惜しみ 競ひ立たむ見む 2109 我がやどの 萩の末長し 秋風の 吹きなむ時に 咲かむと思ひて 2110 人皆は 萩を秋と言ふ よし我れは 尾花が末を 秋とは言はむ 2111 玉梓の 君が使の 手折り来る この秋萩は 見れど飽かぬかも 2112 我がやどに 咲ける秋萩 常ならば 我が待つ人に 見せましものを 2113 手もすまに 植ゑしもしるく 出で見れば やどの初萩 咲きにけるかも 2114 我がやどに 植ゑ生ほしたる 秋萩を 誰れか標刺す 我れに知らえず 2115 手に取れば 袖さへにほふ をみなへし この白露に 散らまく惜しも 2116 白露に 争ひかねて 咲ける萩 散らば惜しけむ 雨な降りそね 2117 娘子らに 行き逢ひの早稲を 刈る時に なりにけらしも 萩の花咲く ☆花 2118 朝霧の たなびく小野の 萩の花 今か散るらむ いまだ飽かなくに 2119 恋しくは 形見にせよと 我が背子が 植ゑし秋萩 花咲きにけり 2120 秋萩に 恋尽さじと 思へども しゑやあたらし またも逢はめやも 2121 秋風は 日に異に吹きぬ 高円の 野辺の秋萩 散らまく惜しも ☆故地 2122 ますらをの 心はなくて 秋萩の 恋のみにやも なづみてありなむ 2123 我が待ちし 秋は来りぬ しかれども 萩の花ぞも いまだ咲かずける 2124 見まく欲り 我が待ち恋ひし 秋萩は 枝もしみみに 花咲きにけり 2125 春日野の 萩し散りなば 朝東風の 風にたぐひて ここに散り来ね 2126 秋萩は 雁に逢はじと 言へればか 声を聞きては 花に散りぬる 2127 秋さらば 妹に見せむと 植ゑし萩 露霜負ひて 散りにけるかも 雁を詠む 2128 秋風に 大和へ越ゆる 雁がねは いや遠ざかる 雲隠りつつ 2129 明け暮れの 朝霧隠り 鳴きて行く 雁は我が恋 妹に告げこそ 2130 我がやどに 鳴きし雁がね 雲の上に 今夜鳴くなり 国へかも行く 2131 さを鹿の 妻どふ時に 月をよみ 雁が音聞こゆ 今し来らしも 2132 天雲の 外に雁は音 聞きしより はだれ霜降り 寒しこの夜は 2133 秋の田の 我が刈りばかの 過ぎぬれば 雁が音聞こゆ 冬かたまけて 2134 葦辺なる 荻の葉さやぎ 秋風の 吹き来るなへに 雁鳴き渡る ☆花 2135 おしてる 難波堀江の 葦辺には 雁寝たるかも 霜の降らくに 2136 秋風に 山飛び越ゆる 雁がねの 声遠ざかる 雲隠るらし 2137 朝に行く 雁の鳴く音は 我がごとく 物思へかも 声に悲しき 2138 鶴がねの 今朝鳴くなへに 雁がねは いづくさしてか 雲隠るらむ 2139 ぬばたまの 夜渡る雁は おほほしく 幾夜を経てか おのが名を告る 2140 あらたまの 年の経ゆけば 率ふと 夜渡る我れを 問ふ人や誰れ
鹿鳴を詠む 2141 このころの 秋の朝明に 霧隠り 妻呼ぶ鹿の 声のさやけさ 2142 さを鹿の 妻ととのふと 鳴く声の 至らむ極み 靡け萩原 2143 君に恋ひ うらぶれ居れば 敷の野の 秋萩しのぎ さを鹿鳴くも 2144 雁は来ぬ 萩は散りぬと さを鹿の 鳴くなる声も うらぶれにけり 2145 秋萩の 恋も尽きねば さを鹿の 声い継ぎい継ぎ 恋こそまされ 2146 山近く 家や居るべき さを鹿の 声を聞きつつ 寐ねかてぬかも 2147 山の辺に い行くさつ男は 多かれど 山にも野にも さを鹿鳴くも 2148 あしひきの 山より来せば さを鹿の 妻呼ぶ声を 聞かましものを 2149 山辺には さつ男のねらひ 畏けど を鹿鳴くなり 妻が目を欲り 2150 秋萩の 散りゆく見れば おほほしみ 妻恋すらし さを鹿鳴くも 2151 山遠き 都にしあれば さを鹿の 妻呼ぶ声は 乏しくもあるか 2152 秋萩の 散り過ぎゆかば さを鹿は わび鳴きせむな 見ずはともしみ 2153 秋萩の 咲きたる野辺は さを鹿ぞ 露を別けつつ 妻どひしける 2154 なぞ鹿の わび鳴きすなる けだしくも 秋野の萩や 繁く散るらむ 2155 秋萩の 咲きたる野辺の さを鹿は 散らまく惜しみ 鳴き行くものを 2156 あしひきの 山の常蔭に 鳴く鹿の 声聞かすやも 山田守らす子 蝉を詠む 2157 夕影に 来鳴くひぐらし ここだくも 日ごとに聞けば 飽かぬ声かも 蟋を詠む 2158 秋風の 寒く吹くなへ 我がやどの 浅茅が本に こほろぎ鳴くも ☆花 2159 蔭草の 生ひたるやどの 夕影に 鳴くこほろぎは 聞けど飽かぬかも 2160 庭草に 村雨降りて こほろぎの 鳴く声聞けば 秋づきにけり 蝦を詠む 2161 み吉野の 岩もとさらず 鳴くかはづ うべも鳴きけり 川をさやけみ 2162 神なびの 山下響み 行く水に かはづ鳴くなり 秋と言はむや 2163 草枕 旅に物思ひ 我が聞けば 夕かたまけて 鳴くかはづかも 2164 瀬を早み 落ちたぎちたる 白波に かはづ鳴くなり 朝夕ごとに 2165 上つ瀬に かはづ妻呼ぶ 夕されば 衣手寒み 妻まかむとか 鳥を詠む 2166 妹が手を 取石の池の 波の間ゆ 鳥が音異に鳴く 秋過ぎぬらし 2167 秋の野の 尾花が末に 鳴くもずの 声聞きけむか 片聞け我妹 ☆花
露を詠む 2168 秋萩に 置ける白露 朝な朝な 玉としぞ見る 置ける白露 2169 夕立の 雨降るごとに 春日野の 尾花が上の 白露思ほゆ 2170 秋萩の 枝もとををに 露霜置き 寒くも時は なりにけるかも 2171 白露と 秋萩とには 恋ひ乱れ 別くことかたき 我が心かも 2172 我がやどの 尾花押しなべ 置く露に 手触れ我妹子 散らまくも見む 2173 白露を 取らば消ぬべし いざ子ども 露に競ひて 萩の遊びせぬ 2174 秋田刈る 仮盧を作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける 2175 このころの 秋風寒し 萩の花 散らす白露 置きにけらしも 2176 秋田刈る 盧動くなり 白露し 置く穂田なしと 告げに来ぬらし 山を詠む 2177 春は萌え 夏は緑に 紅の まだらに見ゆる 秋の山かも 黄葉を詠む 2178 妻ごもる 矢野の神山 露霜に にほひそめたり 散らまく惜しも ☆故地 ☆故地 2179 朝露に にほひそめたる 秋山に しぐれな降りそ ありわたるがね 右の二首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 2180 九月の しぐれの雨に 濡れ通り 春日の山は 色づきにけり 2181 雁が音の 寒き朝明の 露ならし 春日の山を もみたすものは 2182 このころの 暁露に 我がやどの 萩の下葉は 色づきにけり 2183 雁がねは 今は来鳴きぬ 我が待ちし 黄葉早継げ 待たば苦しも 2184 秋山を ゆめ人懸くな 忘れにし その黄葉の 思ほゆらくに 2185 大坂を 我が越え来れば 二上に 黄葉流る しぐれ降りつつ ☆故地 2186 秋されば 置く白露に 我が門の 浅茅が末葉 色づきにけり ☆花 2187 妹が袖 巻来の山の 朝露に にほふ黄葉の 散らまく惜しも 2188 黄葉の にほひは繁し しかれども 妻梨の木を 手折りかざさむ ☆花 2189 露霜の 寒き夕の 秋風に もみちにけらし 妻梨の木は 2190 我が門の 浅茅色づく 吉隠の 浪柴の野の 黄葉散るらし 2191 雁が音を 聞きつるなへに 高松の 野の上の草ぞ 色づきにける 2192 我が背子が 白栲衣 行き触れば にほひぬべくも もみつ山かも 2193 秋風の 日に異に吹けば 水茎の 岡の木の葉も 色づきにけり 2194 雁がねの 来鳴きしなへに 韓衣 龍田の山は もみちそめたり 2195 雁がねの 声聞くなへに 明日よりは 春日の山は もみちそめなむ 2196 しぐれの雨 間なくし降れば 真木の葉も 争ひかねて 色づきにけり 2197 いちしろく しぐれの雨は 降らなくに 大城の山は 色づきにけり 「大城」といふものは筑前の国の御笠の郡の大野山の頂にあり、号けて「大城」といふ 2198 風吹けば 黄葉散りつつ すくなくも 吾の松原 清くあらなくに 2199 物思ふと 隠らひ居りて 今日見れば 春日の山は 色づきにけり 2200 九月の 白露負ひて あしひきの 山のもみたむ 見まくしもよし 2201 妹がりと 馬に鞍置きて 生駒山 うち越え来れば 黄葉散りつつ ☆故地 2202 黄葉する 時になるらし 月人の 桂の枝の 色づく見れば 2203 里ゆ異に 霜は置くらし 高松の 野山づかさの 色づく見れば 2204 秋風の 日に異に吹けば 露を重み 萩の下葉は 色づきにけり 2205 秋萩の 下葉もみちぬ あらたまの 月の経ぬれば 風をいたみかも 2206 まそ鏡 南淵山は 今日もかも 白露置きて 黄葉散るらむ 2207 我がやどの 浅茅色づく 吉隠の 夏身の上に しぐれ降るらし 2208 雁がねの 寒く鳴きしゆ 水茎の 岡の葛葉は 色づきにけり ☆花 2209 秋萩の 下葉の黄葉 花に継ぎ 時過ぎゆかば 後恋ひむかも 2210 明日香川 黄葉流る 葛城の 山の木の葉は 今し散るらし ☆故地 2211 妹が紐 解くと結びて 龍田山 今こそもみち そめてありけり 2212 雁がねの 寒く鳴きしゆ 春日なる 御笠の山は 色づきにけり 2213 このころの 暁露に 我がやどの 秋の萩原 色づきにけり 2214 夕されば 雁の越え行く 龍田山 しぐれに競ひ 色づきにけり 2215 さ夜更けて しぐれな降りそ 秋萩の 本葉の黄葉 散らまく惜しも 2216 故郷の 初黄葉を 手折り持ち 今日ぞ我が来し 見ぬ人のため 2217 君が家の 黄葉は早 散りにけり しぐれの雨に 濡れにけらしも 2218 一年に ふたたび行かぬ 秋山を 心に飽かず 過ぐしつるかも 水田を詠む 2219 あしひきの 山田作る子 秀でずとも 縄だに延へよ 守ると知るがね 2220 さを鹿の 妻呼ぶ山の 岡辺なる 早稲田は刈らじ 霜は降るとも 2221 我が門の 守る田を見れば 佐保の内の 秋萩すすき 思ほゆるかも ☆花 川を詠む 2222 夕さらず かはづ鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくしよしも 月を詠む 2223 天の海に 月の舟浮け 桂楫 懸けて漕ぐみゆ 月人壮士 2224 この夜らは さ夜更けぬらし 雁が音の 聞こゆる空ゆ 月立ち渡る 2225 我が背子が かざしの萩に 置く露を さやかに見よと 月は照るらし 2226 心なき 秋の月夜の 物思ふと 寐の寝らえぬに 照りつつもとな 2227 思はぬに しぐれの雨は 降りたれど 天雲晴れて 月夜さやけし 2228 萩の花 咲きのををりを 見よとかも 月夜の清き 恋まさらくに 2229 白露を 玉になしたる 九月の 有明の月夜 見れど飽かぬかも 風を詠む 2230 恋ひつつも 稲葉かき別け 家居れば 乏しくもあらず 秋の夕風 2231 萩の花 咲きたる野辺に ひぐらしの 鳴くなるなへに 秋の風吹く 2232 秋山の 木の葉もいまだ もみたねば 今朝吹く風は 霜も置きぬべく 芳を詠む 2233 高松の この嶺も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ 雨を詠む 2234 一日には 千重しくしくに 我が恋ふる 妹があたりに しぐれ降るみゆ 右の一首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。 2235 秋田刈る 旅の盧りに しぐれ降り 我が袖濡れぬ 干す人なしに 2236 玉たすき 懸けぬ時なく 我が恋ふる しぐれし降らば 濡れつつも行かむ 2237 黄葉を 散らすしぐれの 降るなへに 夜さへぞ寒き ひとりし寝れば
霜を詠む 2238 天飛ぶや 雁の翼の 覆ひ羽の いづく漏りてか 霜の降りけむ |