巻十一 2517〜2618

(せい)(じゅつ)(しん)(しょ)

2517 たらちねの (はは)(さは)らば いたづらに (いまし)も我れも 事のなるべき
2518 我妹子(わぎもこ)が 我れを送ると (しろ)(たへ)の (そで)()つまでに 泣きし思ほゆ
2519 奥山の 真木(まき)板戸(いたど)を 押し開き しゑや()()ね (のち)は何せむ
2520 ()(こも)の 一重(ひとへ)を敷きて さ()れども 君とし()れば 寒けくもなし
2521 かきつはた ()つらふ君を いささめに 思ひ()でつつ 嘆きつるかも   
2522 (うら)めしと 思ふさなはに ありしかば (よそ)のみぞ見し 心は思へど
2523 ()つらふ 色には()でず すくなくも 心のうちに 我が思はなくに
2524 我が()()に (ただ)に逢はばこそ 名は立ため (こと)(かよ)ひに 何かそこゆゑ
2525 ねもころに 片思(かたもひ)すれか このころの 我が心どの 生けるともなき
2526 待つらむに 至らば(いも)が (うれ)しみと ()まむ姿を ()きて(はや)見む
2527 ()れそこの 我がやど()呼ぶ たらちねの 母に(ころ)はえ 物思ふ我れを
2528 ()()は 千夜(ちよ)にもありとも 我が()()が 思ひ()ゆべき 心は持たじ
2529 (いへ)(びと)は 道もしみみに (かよ)へども 我が待つ(いも)が 使(つかひ)()ぬかも
2530 あらたまの ()()竹垣(たかがき) (あみ)()ゆも 妹し見えなば 我れ恋ひめやも
2531 我が()()が その名()らじと たまきはる (いのち)は捨てつ 忘れたまふな
2532 おほならば ()が見むとかも ぬばたまの 我が黒髪(くろかみ)を (なび)けて()らむ
2533 (おも)忘れ いかなる人の するものぞ 我れはしかねつ ()ぎてし思へば
2534 (あひ)思はぬ 人のゆゑにか あらたまの 年の()長く 我が恋ひ()らむ
2535 おほろかの 心は思はじ 我がゆゑに 人に言痛(こちた)く 言はれしものを
2536 (いき)()に (いも)をし思へば 年月の 行くらむ(わき)も 思ほえぬかも
2537 たらちねの (はは)に知らえず 我が持てる 心はよしゑ 君がまにまに
2538 ひとり()と (こも)()ちめやも 綾席(あやむしろ) ()になるまでに 君をし待たむ
2539 (あひ)見ては 千年(ちとせ)やいぬる いなをかも 我れやしか思ふ 君待ちかてに
2540 振分(ふりわ)けの 髪を(みじか)み (あを)(くさ)を 髪にたくらむ (いも)をしぞ思ふ
2541 (もとほ)り (ゆき)()の里に (いも)を置きて 心(そら)にあり (つち)は踏めども
2542 若草(わかくさ)の (にひ)()(まくら)を まきそめて ()をや(へだ)てむ (にく)くあらなくに
2543 我が恋ふる ことも語らひ (なぐさ)めむ 君が使(つかひ)を 待ちやかねてむ
2544 うつつには 逢ふよしもなし (いめ)にだに ()なく見え君 (こひ)に死ぬべし
2545 ()そかれと 問はば答へむ すべをなみ 君が使(つかひ)を 帰しつるかも
2546 思はぬに 至らば(いも)が (うれ)しみと ()まむ(まよ)()き 思ほゆるかも
2547 かくばかり 恋ひむものぞと 思はねば (いも)()(もと)を まかぬ()もありき
2548 かくだにも 我れは恋ひなむ 玉梓(たまづさ)の 君が使を 待ちやかねてむ
2549 妹に恋ひ 我が泣く涙 (しき)(たへ)の ()(まくら)通り (そで)さへ濡れぬ
2550 立ちて思ひ ()てもぞ思ふ (くれなゐ)の (あか)()(すそ)()き いにし姿を
2551 思ひにし あまりにしかば すべをなみ ()でてぞ行きし その(かど)を見に
2552 心には 千重(ちへ)しくしくに 思へども 使(つかひ)()らむ すべの知らなく
2553 (いめ)のみに 見てすらここだ 恋ふる我は うつつに見てば ましていかにあらむ
2554 (あひ)()ては (おも)(かく)さゆる ものからに 継ぎて見まくの ()しき君かも
2555 (あさ)()を 早くな開けそ あぢさはふ 目が欲る君が 今夜(こよひ)来ませる
2556 (たま)(だれ)の ()()(たれ)()を 行きかちに ()()さずとも 君は(かよ)はせ
2557 たらちねの 母に(まを)さば 君も我れも 逢ふとはなしに 年ぞ()ぬべき
2558 (うつく)しと 思へりけらし な忘れと 結びし(ひも)の ()くらく思へば
2559 昨日(きのふ)見て 今日(けふ)こそ(へだ)て 我妹子(わぎもこ)が ここだく()ぎて 見まくし()しも
2560 人もなき ()りにし里に ある人を めぐくや君が (こひ)に死なする
2561 (ひと)(ごと)の (しげ)()()りて 逢ふともや なほ我が(うへ)に (こと)の繁けむ
2562 (さと)(びと)の (こと)()(づま)を (あら)(かき)の (よそ)にや我が見む (にく)くあらなくに
2563 人目(ひとめ)()る 君がまにまに 我れさへに 早く起きつつ ()(すそ)()れぬ
2564 ぬばたまの 妹が黒髪 今夜(こよひ)もか 我がなき床に (なび)けて()らむ
2565 (はな)ぐはし (あし)(かき)()しに ただ一目(ひとめ) (あひ)()し子ゆゑ ()たび嘆きつ   
2566 色に()でて ()ひば人見て 知りぬべし 心のうちの (こも)(づま)はも
2567 (あひ)()ては (こひ)(なぐさ)むと 人は言へど 見て(のち)にぞも (こひ)まさりける
2568 おほろかに 我れし思はば かくばかり (かた)()(かど)を (まか)()めやも
2569 思ふらむ その人なれや ぬばたまの ()ごとに君が (いめ)にし見ゆる
2570 かくのみし 恋ひば死ぬべみ たらちねの 母にも告げつ やまず(かよ)はせ
2571 ますらをは 友の(さわ)きに (なぐさ)もる 心もあらむ 我れぞ苦しき
2572 (いつは)りも 似つきてぞする いつよりか 見ぬ(ひと)(ごひ)に 人の(しに)せし
2573 心さへ (まつ)れる君に 何をかも 言はず言ひしと 我がぬすまはむ
2574 (おも)忘れ だにもえすやと ()(にぎ)りて 打てども()りず 恋という(やつこ)
2575 めづらしき 君を()えとこそ 左手(ひだりて)の (ゆみ)取る(かた)の (まよ)()()きつれ
2576 (ひと)()()り (あし)(かき)()しに 我妹子(わぎもこ)を (あひ)()しからに (こと)ぞさだ多き
2577 今だにも 目な(とも)しめそ (あひ)()ずて 恋ひむ年月(としつき) 久しけまくに
2578 (あさ)()(がみ) 我れは(けづ)らじ うるはしき 君が()(まくら) ()れてしものを
2579 (はや)行きて いつしか君を (あひ)()むと 思ひし心 今ぞなぎぬる
2580 (おも)(かた)の 忘るとあらば あづきなく (をとこ)じものや 恋ひつつ()らむ
2581 (こと)()へば 耳にたやすし すくなくも 心のうちに 我が思はなくに
2582 あづきなく 何のたはこと 今さらに 童言(わらはごと)する 老人(おいひと)にして
2583 (あひ)()ては (いく)(びさ)さにも あらなくに 年月(としつき)のごと 思ほゆるかも
2584 ますらをと 思へる我れを かくばかり 恋せしむるは ()しくはありけり
2585 かくしつつ 我が待つ(しるし) あらぬかも 世の人(みな)の (つね)にあらなくに
2586 (ひと)(ごと)を (しげ)みと君に 玉梓(たまづさ)の 使(つかひ)()らず 忘ると思ふな
2587 大原(おほはら)の ()りにし里に (いも)を置きて 我れ()ねかねつ (いめ)に見えこそ
2588 夕されば 君()まさむと 待ちし()の なごりぞ今も ()ねかてにする
2589 相思(あひおも)はず 君はあるらし ぬばたまの (いめ)にも見えず うけひて()れど
2590 (いは)()踏み 夜道(よみち)行かじと 思へれど (いも)によりては (しの)びかねつも
2591 (ひと)(ごと)の 繁き()()ると 逢はずあらば つひにや子らが (おも)忘れなむ
2592 恋ひ死なむ (のち)は何せむ 我が(いのち) 生ける日にこそ 見まく()りすれ
2593 (しき)(たへ)の (まくら)(とよ)みて ()ねらえず 物思ふ今夜(こよひ) (はや)も明けぬかも
2594 行かぬ我を ()むとか(よる)も (かど)()さず あはれ我妹子(わぎもこ) 待ちつつあるらむ
2595 (いめ)にだに 何かも見えぬ 見ゆれども 我れかも(まと)ふ 恋の(しげ)きに
2596 (なぐさ)もる 心はなしに かくのみし 恋ひやわたらむ (つき)()()
2597 いかにして 忘れむものぞ 我妹子(わぎもこ)に 恋はまされど 忘らえなくに
2598 遠くあれど 君にぞ恋ふる (たま)(ほこ)の (さと)(ひと)(みな)に 我れ恋ひめやも
2599 (しるし)なき 恋をもするか (ゆふ)されば 人の手まきて ()らむ子ゆゑに
2600 (もも)()しも 千代(ちよ)しも生きて あらめやも 我が思ふ(いも)を 置きて嘆かむ
2601 うつつにも (いめ)にも我れは 思はずき ()りたる君に ここに逢はむとは
2602 黒髪(くろかみ)の 白髪(しろかみ)までと 結びてし 心ひとつを 今()かめやも
2603 心をし 君に(まつ)ると 思へれば よしこのころは 恋ひつつをあらむ
2604 思ひ()でて ()には泣くとも いちしろく 人の知るべく 嘆かすなゆめ
2605 (たま)(ほこ)の 道行きぶりに 思はぬに (いも)(あひ)()て 恋ふるころかも
2606 (ひと)()多み (つね)かくのみし さもらはば いづれの時か 我が恋ひずあらむ
2607 (しき)(たへ)の 衣手(ころもで)()れて 我を待つと あるらむ子らは 面影(おもかげ)に見ゆ
2608 (いも)(そで) 別れし日より (しろ)(たへ)の 衣(かた)()き 恋ひつつぞ寝る
2609 (しろ)(たへ)の 袖はまゆひぬ 我妹子(わぎもこ)が 家のあたりを やまず振りしに
2610 ぬばたまの 我が黒髪(くろかみ)を 引きぬらし 乱れてさらに 恋ひわたるかも
2611 今さらに 君が()(まくら) まき()めや 我が(ひも)()を ()けつつもとな
2612 (しろ)(たへ)の 袖を触れてよ 我が()()に 我が恋ふらくは やむ時もなし
2613 夕占(ゆふけ)にも (うら)にも()れる 今夜(こよひ)だに 来まさぬ君を いつとか待たむ
2614 (まよ)()()き (した)いふかしみ 思へるに いにしへ人を (あひ)()つるかも

或本の歌に曰はく (まよ)()()き ()れをか見むと 思ひつつ ()長く恋ひし (いも)に逢へるかも  一書の歌に曰はく (まよ)()()き (した)いふかしみ 思へりし (いも)が姿を 今日(けふ)見つるか
2615 (しき)(たへ)の (まくら)をまきて 妹と我れと ()()はなくて 年ぞ()にける
2616 奥山の 真木(まき)(いた)()を (おと)(はや)み (いも)があたりの 霜の(うへ)()
2617 あしひきの (やま)(さくら)()を ()け置きて 我が待つ君を ()れか(とど)むる
2618 月夜(つくよ)よみ (いも)に逢はむと 直道(ただち)から 我れは来つれど ()()けにける

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