巻十一 2619〜2727

()(ぶつ)(ちん)()

2619 (あさ)(かげ)に 我が身はなりぬ 韓衣(からころも) (すそ)のあはずて 久しくなれば
2620 ()(きぬ)の 思ひ乱れて 恋ふれども なぞ()がゆゑと 問ふ人もなき
2621 ()(ころも) ()りと(いめ)に見つ うつつには いづれの人の (こと)か繁けむ
2622 志賀(しか)海人(あま)の (しほ)()(ころも) なれぬれど 恋といふものは 忘れかねつも
2623 (くれなゐ)の ()しほの(ころも) (あさ)()な なれはすれども いやめづらしも
2624 (くれなゐ)の (ふか)()めの(きぬ) 色深く ()みにしかばか 忘れかねつる
2625 逢はなくに 夕占(ゆふけ)を問ふと (ぬさ)に置くに 我が衣手(ころもで)は またぞ継ぐべき
2626 古衣(ふるころも) ()()つる人は 秋風の 立ちくる時に 物思ふものぞ
2627 はねかづら 今する(いも)を うら若み ()みみ(いか)りみ ()けし(ひも)()
2628 いにしへの 倭文(しつ)(はた)(おび)を 結び垂れ ()れといふ人も 君にはまさじ

一書の歌に()はく いにしへの ()(おり)(おび)を 結び垂れ ()れしの人も 君にはまさじ

2629 逢はずとも 我れは(うら)みじ この(まくら) 我れと思ひて まきて()ませ
2630 ()へる(ひも) ()かむ日遠み (しき)(たへ)の 我が()(まくら)は (こけ)()しにけり
2631 ぬばたまの 黒髪敷きて 長き夜を ()(まくら)(うへ)に (いも)待つらむか
2632 まそ鏡 (ただ)にし(いも)を (あひ)()ずは 我が恋やまじ 年は()ぬとも
2633 まそ鏡 手に取り持ちて (あさ)()な 見む時さへや 恋の繁けむ
2634 (さと)(どほ)み 恋ひわびにけり まそ鏡 面影(おもかげ)去らず (いめ)に見えこそ

右の一首は、上に柿本朝臣人麻呂が歌の中に見ゆ。ただし、句々(あひ)(かは)れるをもちてのゆゑに、ここに()す。


2635 剣大刀(つるぎたち) 身に()()ふる ますらをや 恋といふものを (しの)びかねてむ
2636 剣大刀(つるぎたち) (もろ)()(うへ)に 行き触れて 死にかもしなむ 恋ひつつあらずは
2637 うち(はな)ひ 鼻をぞひつる 剣大刀(つるぎたち) 身に()(いも)し 思ひけらしも
2638 梓弓(あづさゆみ) (すゑ)のはら()に ()(がり)する 君が()(づる)の 絶えむと思へや
2639 葛城(かつらき)の ()()(ひこ)真弓(まゆみ) 新木(あらき)にも 頼めや君が 我が名()りけむ   故地 
2640 梓弓(あづさゆみ) 引きみ(ゆる)へみ ()ずは()ず ()()そをなぞ ()ずは()ばそを
2641 (とき)(もり)の 打ち()(つづみ) ()みみれば 時にはなりぬ 逢はなくもあやし
2642 燈火(ともしび)の 蔭にかがよふ うつせみの (いも)()まひし 面影(おもかげ)に見ゆ
2643 (たま)(ほこ)の 道行き疲れ 稲席(いなむしろ) しきても君を 見むよしもがも
2644 小墾田(をはりだ)の (いた)()の橋の (こほ)れなば (けた)より行かむ な恋ひそ我妹(わぎも)
2645 (みや)()引く (いづみ)(そま)に 立つ(たみ)の 休む時なく 恋ひわたるかも   故地
2646 住吉(すみのえ)の ()(もり)()(びき)の ()()()の 浮かれか行かむ 恋ひつつあらずは
2647 手作りを 空ゆ引き越し (とほ)みこそ ()(こと)()るらめ ()ゆと(へだ)てや
2648 かにかくに 物は思はじ 飛騨(ひだ)(ひと)の 打つ(すみ)(なは)の ただ(ひと)(みち)
2649 あしひきの 山田()(をぢ)が 置く鹿()()の (した)(こが)れのみ 我が恋ひ()らく
2650 そき板もち ()ける板目の あはざらば いかにせむとか 我が寝そめけむ
2651 難波(なには)(ひと) (あし)()()()の ()してあれど おのが妻こそ (つね)めづらしき    
2652 (いも)が髪 ()(たか)()()の 放れ(ごま) 荒びにけらし 逢はなく思へば
2653 馬の(おと)の とどともすれば (まつ)(かげ)に ()でてぞ見つる けだし君かも
2654 君に恋ひ ()ねぬ(あさ)()に ()が乗れる 馬の()(おと)ぞ 我れに聞かする
2655 (くれなゐ)の (すそ)()く道を 中に置きて 我れか(かよ)はむ 君か来まさむ
2656 (あま)()ぶや (かる)(やしろ)の (いは)(つき) 幾代(いくよ)まであらむ (こも)(づま)ぞも
2657 (かむ)なびに ひもろき立てて (いは)へども 人の心は まもりあへぬもの
2658 (あま)(くも)の 八重(やえ)(くも)(がく)り 鳴る神の (おと)のみにやも 聞きわたりなむ
2659 (あらそ)へば 神も(にく)ます よしゑやし よそふる君が 憎くあらなくに
2660 ()(なら)べて ()()ませと ちはやぶる 神の(やしろ)を ?()まぬ日はなし
2661 (たま)ぢはふ 神も我れをば ()()てこそ しゑや(いのち)の ()しけくもなし
2662 我妹子(わぎもこ)に またも逢はむと ちはやぶる 神の(やしろ)を ?()まぬ目はなし
2663 ちはやぶる 神の()(かき)も 越えぬべし 今は我が名の ()しけくもなし
2664 (ゆふ)(づく)() 暁闇(あかときやみ)の (あさ)(かげ)に 我が身はなりぬ ()を思ひかねて
2665 月しあれば ()くらむわきも 知らずして 寝て我が()しを 人見けむかも
2666 (いも)が目の 見まく()しけく 夕闇(ゆふやみ)の ()()(ごも)れる 月待つごとし
2667 ()(そで)もち (とこ)うち(はら)ひ 君待つと ()りし(あひだ)に 月かたぶきぬ
2668 (ふた)(かみ) (かく)らふ月の ()しけれど (いも)手本(たもと)を ()るるこのころ   故地
2669 我が()()が ()()け見つつ 嘆くらむ 清き月夜(つくよ)に 雲なたなびき
2670 まそ(かがみ) 清き月夜(つくよ)の ゆつりなば 思ひはやまず 恋こそまさめ
2671 今夜(こよひ)の 有明(ありあけ)月夜(つくよ) ありつつも 君をおきては 待つ人もなし
2672 この山の (みね)に近しと 我が見つる 月の空なる 恋もするかも
2673 ぬばたまの ()(わた)る月の ゆつりなば さらにや妹に 我が恋ひ()らむ
2674 朽網(くたみ)(やま) (ゆふ)()る雲の 薄れゆかば 我れは恋ひなむ 君が目を()
2675 君が着る ()(かさ)の山に ()る雲の 立てば()がるる 恋もするかも
2676 ひさかたの (あま)()ぶ雲に ありてしか 君を(あひ)()む おつる日なしに
2677 ()()の内ゆ あらしの風の 吹きぬれば 帰りは知らに 嘆く()ぞ多き
2678 はしきやし 吹かぬ風ゆゑ (たま)(くし)() 開けてさ()にし 我れぞ(くや)しき
2679 (まど)()しに 月おし照りて あしひきの あらし吹く()は 君をしぞ思ふ
2680 (かは)千鳥(ちどり) 住む沢の(うへ)に 立つ霧の いちしろけむな (あひ)()ひそめてば
2681 我が()()が 使(つかひ)を待つと 笠も着ず ()でつつぞ見し 雨の降らくに
2682 (から)(ころも) 君にうち着せ 見まく()り 恋ひぞ暮らしし 雨の降る日を
2683 (をち)(かた)の 埴生(はにふ)小屋(をや)に 小雨(こさめ)降り (とこ)さへ()れぬ 身に添へ我妹(わぎも)
2684 笠なみと 人には言ひて (あま)(つつ)み ()まりし君が 姿し思ほゆ
2685 (いも)(かど) 行き過ぎかねつ ひさかたの 雨も降らぬか そをよしにせむ
2686 夕占(ゆふけ)問ふ 我が衣手(ころもで)に 置く露を 君に見せむと 取れば()につつ
2687 (さくら)()の ()()(した)(くさ) 露しあれば ()かしてい行け 母は知るとも
2688 待ちかねて 内には()らじ (しろ)(たへ)の 我が(ころも)()に 露は置きぬとも
2689 朝露の ()やすき我が身 老いぬとも またをちかへり 君をし待たむ
2690 (しろ)(たへ)の 我が衣手に 露は置けど 妹は逢はなく たゆたひにして
2691 かにかくに 物は思はじ (あさ)(つゆ)の 我が身ひとつは 君がまにまに
2692 (ゆふ)()りの (しも)置きにけり (あさ)()()に いたくし踏みて 人に知らゆな
2693 かくばかり 恋ひつつあらずは (あさ)()に (いも)が踏むらむ (つち)にあらましを
2694 あしひきの 山鳥の尾の (ひと)()越え (ひと)()見し子に 恋ふべきものか
2695 我妹子(わぎもこ)に 逢ふよしをなみ 駿河(するが)なる 富士(ふじ)高嶺(たかね)の 燃えつつかあらむ
2696 (あら)(くま)の 住むといふ山の ()()()(やま) ()めて問ふとも ()が名は()らじ
2697 (いも)が名も 我が名も立たば ()しみこそ 富士(ふじ)高嶺(たかね)の 燃えつつわたれ

或歌に曰はく 君が名も 我が名も立たば ()しみこそ 富士(ふじ)高嶺(たかね)の 燃えつつも()


2698 行きて見て ()れば恋しき (あさ)()(がた) 山()しに置きて ()ねかてぬかも
2699 ()()(ひと)の (やな)打ち渡す 瀬を早み 心は思へど (ただ)に逢はぬかも   故地
2700 玉かぎる (いわ)(かき)(ふち)の (こも)りには 伏して死ぬとも ()が名は()らじ
2701 明日香(あすか)(がは) 明日(あす)も渡らむ 石橋(いしばし)の 遠き心は 思ほえぬかも   故地
2702 明日香(あすか)(かは) 水行きまさり いや()()に 恋のまさらば ありかつましじ
2703 (こも)刈る 大野(おほの)川原(がはら)の ()(ごも)りに 恋ひ()(いも)が (ひも)解く我れは
2704 あしひきの 山下(とよ)み 行く水の 時ともなきに 恋ひわたるかも
2705 はしきやし 逢はぬ君ゆゑ いたづらに この川の瀬に (たま)()()らしつ
2706 (はつ)()(がは) 早み早瀬を むすび上げて ()かずや(いも)と 問ひし君はも   故地
2707 青山の (いは)(かき)(ぬま)の ()(ごも)りに 恋ひやわたらむ 逢ふよしをなみ
2708 しなが(とり) 猪名山(ゐなやま)(とよ)に 行く水の 名のみ()そりし (こも)(づま)はも
2709 我妹子(わぎもこ)に 我が恋ふらくは 水ならば しがらみ越して 行くべく思ほゆ
2710 (いぬ)(かみ)の 鳥籠(とこ)の山にある ()()()(がは) いさとを聞こせ 我が名()らすな   故地
2711 奥山の ()の葉(がく)りて 行く水の (おと)聞きしより (つね)忘らえず
2712 (こと)()くは 中は(よど)ませ ()()(がは) 絶ゆといふことを ありこすなゆめ
2713 明日香(あすか)(がは) 行く()を早み 早けむと 待つらむ(いも)を この日暮らしつ
2714 もののふの 八十(やそ)宇治(うぢ)(かは)の 早き瀬に 立ちえぬ恋も 我れはするかも   故地
2715 (かむ)なびの 打廻(うちみ)の崎の (いは)(ぶち)の (こも)りてのみや 我が恋ひ()らむ
2716 高山ゆ 出で来る水の 岩に触れ (くだ)けてぞ思ふ (いも)に逢はぬ()
2717 (あさ)東風(ごち)に ゐで越す波の (よそ)()にも 逢はぬものゆゑ 滝もとどろに
2718 高山の 岩もとたぎち 行く水の (おと)には立てじ 恋ひて死ぬとも
2719 (こも)()の (した)に恋ふれば ()()らず 人に語りつ ()むべきものを
2720 水鳥の (かも)の住む池の (した)()なみ いぶせき君を 今日(けふ)見つるかも
2721 (たま)()刈る ゐでのしがらみ 薄みかも 恋に(よど)める 我が心かも
2722 我妹子(わぎもこ)が 笠のかりての ()()()()に 我れは入りぬと (いも)()げこそ
2723 あまたあらぬ 名をしも()しみ (うも)()の (した)ゆぞ恋ふる ゆくへ知らずて
2724 秋風の ()()の浦みの 木屑(こつみ)なす 心は寄りぬ (のち)は知らねど
2725 (しら)真砂(まなご) ()()埴生(はにふ)の 色に()でて 言はなくのみぞ 我が恋ふらくは
2726 風吹かぬ 浦に波立ち なき名をも 我れは()へるか 逢ふとはなしに
2727 ()()(しま)の (なつ)()の浦に 寄する波 (あひだ)も置きて 我が思はなくに

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