巻十二 2841〜2963

萬葉集 巻第十二

(せい)(じゅつ)(しん)(しょ)

2841 我が()()が (あさ)()の姿 よく見ずて 今日(けふ)(あひだ)を 恋ひ暮らすかも
2842 我が心 ともしみ思ふ 新夜(あらたよ)の 一夜(ひとよ)もおちず (いめ)に見えこそ
2843 (うつく)しと 我が思ふ(いも)を 人(みな)の 行くごと見めや 手にまかずして
2844 このころの ()()らえぬは (しき)(たへ)の ()(まくら)まきて 寝まく()りこそ
2845 忘るやと 物語(ものがた)りして 心()り 過ぐせど過ぎず なほ恋ひにけり
2846 夜も寝ず 安くもあらず (しろ)(たへ)の (ころも)()かじ (ただ)に逢ふまでに
2847 (のち)も逢はむ 我にな恋ひそと (いも)は言へど 恋ふる(あひだ)に 年は()につつ
2848 (ただ)に逢はず あるはうべなり (いめ)にだに 何しか人の (こと)(しげ)けむ
2849 ぬばたまの その(いめ)にをし 見え()ぐや (そで)()る日なく 我れは恋ふりを
2850 うつつには (ただ)には逢はず (いめ)にだに 逢ふと見えこそ 我が恋ふらくに

寄物(きぶつ)陳思(ちんし)
2851 人の見る (うへ)は結びて 人の見ぬ (した)(ひも)()けて 恋ふる日ぞ多き
2852 (ひと)(ごと)の (しげ)き時には 我妹子(わぎもこ)し (ころも)なりせば 下に着ましを
2853 ()(たま)つく をちをし()ねて 思へこそ 一重(ひとへ)(ころも) ひとり着て()
2854 (しろ)(たへ)の 我が(ひも)()の ()えぬ()に (こひ)結びせむ 逢はむ日までに
2855 新治(にひばり)の 今作る道 さやかにも 開きてけるかも (いも)(うへ)のことを
2856 (やま)(しろ)の 石田(いはた)(もり)に 心おそく ()()けしたれや (いも)に逢ひかたき   故地
2857 (すが)の根の ねもころごろに 照る日にも ()めや我が袖 (いも)に逢はずして
2858 (いも)に恋ひ ()ねぬ(あした)に 吹く風は (いも)にし()れば 我れさへに触れ
2859 明日香(あすか)(がは) (たか)(かは)()きて ()しものを まこと今夜(こよひ)は 明けずも行かぬか
2860 ()(つり)(がは) (みな)(そこ)絶えず 行く水の ()ぎてぞ恋ふる この年ころを
2861 (いそ)(うへ)に ()ふる小松(こまつ)の 名を()しみ 人に知らえず 恋ひわたるかも
或本の歌に()はく  岩の(うへ)に 立てる小松(こまつ)の 名を()しみ 人には言はず 恋ひわたるかも
2862 山川の (みづ)(かげ)()ふる (やま)(すげ)の やまずも妹は 思ほゆるかも   
2863 (あさ)()()に 立ち(かむ)さぶる (すが)の根の ねもころ()がゆゑ 我が恋ひなくに   故地
右の二十三首は、柿本朝臣人麻呂が歌集に出づ。

(せい)(じゅつ)(しん)(しょ)

2864 我が()()を 今か今かと 待ち()るに ()()けゆけば 嘆きつるかも
2865 (たま)(くしろ) まき()(いも)も あらばこそ ()の長けくも (うれ)しくあるべき
2866 人妻(ひとづま)に 言ふは()(こと) さ(ごろも)の この(ひも)()けと 言ふは誰が(こと)
2867 かくばかり 恋ひむものぞと 知らませば その()はゆたに あらましものを
2868 恋ひつつも (のち)に逢はむと 思へこそ おのが(いのち)の 長く()りすれ
2869 今は我は 死なむよ我妹(わぎも) 逢はずして 思ひわたれば 安けくもなし
2870 我が()()が ()むと語りし ()は過ぎぬ しゑやさらさら しこり()めやも
2871 (ひと)(ごと)の (よこ)しを聞きて (たま)(ほこ)の 道にも逢はじと 言へりし我妹(わぎも)
2872 逢はなくも ()しと思へば いや増しに (ひと)(ごと)(しげ)く 聞こえ()るかも
2873 (さと)(びと)も 語り継ぐがね よしゑやし 恋ひても死なむ ()が名ならめや
2874 確かなる 使(つかひ)をなみと 心をぞ 使に()りし (いめ)に見えきや
2875 天地(あめつち)に 少し至らぬ ますらをと 思ひし我れや ()(ごころ)もなき
2876 里近く 家や()るべき この我が目の (ひと)()をしつつ 恋の(しげ)けく
2877 いつはなも 恋ひずありとは あらねども うたてこのころ 恋し(しげ)しも
2878 ぬばたまの ()ねてし(よひ)の 物思ひに ()けにし(むね)は やむ時もなし
2879 み空行く 名の()しけくも 我れはなし 逢はぬ日まねく 年の()ぬれば
2880 うつつにも 今も見てしか (いめ)のみに ()(もと)まき()と 見れば苦しも
2881 立ちて()て すべのたどきも 今はなし (いも)に逢はずて 月の()ゆけば
2882 逢はずして 恋ひわたるとも 忘れめや いや日に()には 思ひ増すとも
2883 (よそ)()にも 君が姿を 見てばこそ 我が恋やまめ (いのち)死なずは
2884 恋ひつつも 今日(けふ)はあらめど (たま)(くし)() ()けなむ明日(あす)を いかに暮らさむ
2885 ()()けて 妹を思ひ出で (しき)(たへ)の (まくら)もそよに 嘆きつるかも
2886 (ひと)(ごと)は まこと言痛(こちた)く なりぬとも そこに(さは)らむ 我れにあらなくに
2887 立ちて()て たどきも知らず 我が心 (あま)つ空なり (つち)()めども
2888 ()(なか)の 人のことばと 思ほすな まことぞ恋ひし 逢はぬ日を多み
2889 いでなぞ我が ここだく恋ふる 我妹子(わぎもこ)が 逢はじと言へる こともあらなくに
2890 ぬばたまの ()を長みかも 我が()()が (いめ)に夢にし 見えかへるらむ
2891 あらたまの 年の()長く かく恋ひば まこと我が(いのち) (また)くあらめやも
2892 思ひ()る すべのたどきも 我れはなし 逢はずてまねく 月の()ゆけば
2893 (あした)()にて (ゆふへ)は来ます 君ゆゑに ゆゆしくも我は 嘆きつるかも
2894 聞きしより 物を思へば 我が(むね)は ()れて(くだ)けて ()(ごころ)もなし
2895 (ひと)(ごと)を (しげ)言痛(こちた)み 我妹子(わぎもこ)に ()にし月より いまだ逢はぬかも
2896 うたがたも 言ひつつもあるか 我れならば (つち)には落ちず 空に()なまし
2897 いかならむ 日の時にかも 我妹子(わぎもこ)が ()引きの姿 (あさ)()に見む
2898 ひとり()て 恋ふれば苦し 玉たすき ()けず忘れむ (こと)(はか)りもが
2899 なかなかに (もだ)もあらましを あづきなく (あひ)()そめても 我れは恋ふるか
2900 我妹子(わぎもこ)が ()まひ(まよ)()き 面影(おもかげ)に かかりてもとな 思ほゆるかも
2901 あかねさす 日の暮れゆけば すべをなみ ()たび嘆きて 恋ひつつぞ()   
2902 我が恋は (よる)(ひる)わかず (もも)()なす 心し思へば いたもすべなし
2903 いとのきて (うす)(まよ)()を いたづらに ()かしめつつも 逢はぬ人かも
2904 恋ひ恋ひて (のち)も逢はむと (なぐさ)もる 心しなくは ()きてあらめやも
2905 いくばくも 生けらじ(いのち)を 恋ひつつぞ 我れは(いき)づく 人には知らえず
2906 他国(ひとくに)に よばひに行きて 大刀(たち)()も いまだ()かねば さ()()けにける
2907 ますらをの (さと)き心も 今はなし 恋の(やつこ)に 我れは死ぬべし
2908 (つね)かくし 恋ふれば苦し しましくも 心休めむ (こと)(はか)りせよ
2909 おほろかに 我れし思はば 人妻(ひとづま)に ありといふ(いも)に 恋ひつつあらめや
2910 心には 千重(ちへ)(もも)()に 思へれど (ひと)()を多み (いも)に逢はぬかも
2911 人目多み 目こそ(しの)ぶれ すくなくも 心のうちに 我が思はなくに
2912 人の見て (こと)とがめせぬ (いめ)に我れ 今夜(こよひ)至らむ やど()すなゆめ
2913 いつまでに ()かむ(いのち)ぞ おほかたは 恋ひつつあらずは 死ぬるまされり
2914 (うつく)しと 思ふ我妹(わぎも)を (いめ)に見て 起きて(さぐ)るに なきが(さぶ)しさ
2915 (いも)と言はば なめし(かしこ)し しかすがに ()けまく()しき (こと)にあるかも
2916 玉かつま 逢はむと言ふは ()れなるか 逢へる時さへ (おも)(かく)しする
2917 うつつにか (いも)が来ませる (いめ)にかも 我れか(まど)へる 恋の(しげ)きに
2918 おほかたは 何かも恋ひむ (こと)()げせず (いも)に寄り寝む 年は近きを
2919 ふたりして 結びし(ひも)を ひとりして 我れは()きみじ (ただ)に逢ふまでは
2920 ()へむ(いのち) ここは思はず ただしくも (いも)に逢はざる ことをしぞ思ふ
2921 たわや()は 同じ心に しましくも やむ時もなく 見てむとぞ思ふ
2922 (ゆふ)されば 君に逢はむと 思へこそ 日の暮るらくも (うれ)しくありけれ
2923 ただ今日(けふ)も 君には逢はめど (ひと)(ごと)を (しげ)み逢はずて 恋ひわたるかも
2924 世の中に 恋(しげ)けむと 思はねば 君が手本(たもと)を まかぬ()もありき
2925 みどり子の ためこそ乳母(おも)は 求むと言へ ()飲めや君が 乳母求むらむ
2926 (くや)しくも ()いにけるかも 我が()()が 求むる乳母(おも)に 行かましものを
2927 うらぶれて ()れにし(そで)を またまかば 過ぎにし(こひ)い 乱れ()むかも
2928 おのがじし 人死にすらし (いも)に恋ひ 日に()()せぬ 人に知らえず
2929 (よひ)々に 我が立ち待つに けだしくも 君()まさずは 苦しかるべし
2930 生ける世に 恋といふものを (あひ)()ねば 恋のうちにも 我れぞ苦しき
2931 思ひつつ ()れば苦しも ぬばたまの (よる)(いた)らば 我れこそ行かめ
2932 心には 燃えて思へど うつせみの (ひと)()(しげ)み (いも)に逢はぬかも
2933 (あひ)思はず 君はまさめど (かた)(こひ)に 我れはぞ恋ふる 君が姿に
2934 あぢさはふ 目は()かざらね たづさはり (こと)とはなくも 苦しくありけり
2935 あらたまの 年の()長く いつまでか 我が恋ひ()らむ (いのち)知らずて
2936 今は我は 死なむよ我が() 恋すれば 一夜(ひとよ)一日(ひとひ)も 安けくもなし
2937 (しろ)(たへ)の 袖折り返し 恋ふればか 妹が姿の (いめ)にし見ゆる
2938 (ひと)(ごと)を (しげ)言痛(こちた)み 我が()()を 目には見れども 逢ふよしもなし
2939 (こひ)と言へば (うす)きことなり しかれども 我れは忘れじ 恋ひは死ぬとも
2940 なかなかに 死なば安けむ ()づる日の 入るわき知らぬ 我れし苦しも
2941 思ひ()る たどきも我れは 今はなし (いも)に逢はずて 年の()ゆけば
2942 我が()()に 恋ふとにしあらし みどり()の ()()きをしつつ ()ねかてなくは
2943 我が(いのち)の 長く()しけく (いつは)りを よくする人を (とら)ふばかりを
2944 (ひと)(ごと)を (しげ)みと(いも)に 逢はずして 心のうちに 恋ふるこのころ
2945 玉梓(たまづさ)の 君の使(つかひ)を 待ちし()の なごりぞ今も ()ねぬ()の多き
2946 (たま)(ほこ)の ()に行き逢ひて (よそ)()にも 見ればよき()を いつとか待たむ
2947 思ひにし あまりにしかば すべをなみ 我れは言ひとき ()むべきものを
或本の歌には 「(かど)()でて 我が()()すを 人見けむかも」といふ。一には「すべをなみ ()でてぞ行きし 家のあたり見に」といふ。柿本朝臣人麻呂が歌集には「にほ鳥の なづさひ()しを 人見けむかも」といふ。
2948 明日の日は その(かど)行かむ ()でて見よ 恋ひたる姿 あまたしるけむ
2949 うたて()に 心いぶせし (こと)(はか)り よくせ我が背子(せこ) 逢へる時だに
2950 我妹子(わぎもこ)が ()()()の姿 見てしより 心(そら)なり (つち)()めども
2951 海石榴市(つばきち)の 八十の(ちまた)に 立ち(なら)し 結びし(ひも)を ()かまく()しも
2952 我が(いのち)し (おとろ)へぬれば (しろ)(たへ)の 袖のなれにし 君をしぞ思ふ
2953 君に恋ひ 我が泣く涙 (しろ)(たへ)の 袖さへ()ちて せむすべもなし
2954 今よりは 逢はじとすれや (しろ)(たへ)の 我が(ころも)()の ()る時もなき
2955 (いめ)かと 心(まと)ひぬ 月まねく ()れにし君が (こと)(かよ)へば
2956 あらたまの 年月(としつき)かねて ぬばたまの (いめ)に見えけり 君が姿は
2957 今よりは 恋ふとも(いも)に 逢はめやも (とこ)()去らず (いめ)に見えこそ
2958 人の見て (こと)とがめせぬ (いめ)にだに やまず見えこそ 我が恋やまむ
2959 うつつには (こと)も絶えたり (いめ)にだに ()ぎて見えこそ (ただ)に逢ふまでに
2960 うつせみの (うつ)し心も 我れはなし (いも)(あひ)()ずて 年の()ゆけば
2961 うつせみの (つね)のことばと 思へども ()ぎてし聞けば 心(まど)ひぬ
2962 (しろ)(たへ)の (そで)()れて()る ぬばたまの 今夜(こよひ)(はや)も ()けなば明けなむ
2963 (しろ)(たへ)の ()(もと)ゆたけく 人の()る (うま)()()ずや 恋ひわたりなむ

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