反歌
3224 ひとりのみ 見れば悲しみ 神なびの 山の黄葉 手折り来り君
右の二首
3225 天雲の 影さへ見ゆる こもりくの 泊瀬の川は 浦なみか 舟の寄り来ぬ 磯なみか 海人の釣せぬ よしゑやし 磯はなくとも 沖つ波 競ひ漕入り来 海人の釣舟
反歌
3226 さざれ波 浮きて流るる 泊瀬川 寄るべき磯の なきが寂しさ
右の二首
3227 葦原の 瑞穂の国に 手向けすと 天降りましけむ 五百万 千万神の 神代より 言ひ継ぎ来る 神なびの みもろの山は 春されば 春霞立ち 秋行けば 紅にほふ 神なびの みもろの神の 帯ばせる 明日香の川の 水脈早み 生しためかたき 石枕 苔生すまでに 新夜の 幸く通はむ 事計り 夢に見せこそ 剣大刀 斎ひ祭れる 神にしいませば
反歌
3228 神なびの みもろの山に 斎ふ杉 思ひ過ぎめや 苔生すまでに
3229 斎串立て 御瓶据ゑ奉る 祝部が うずの玉かげ 見ればともしも ☆花
右の三首
ただし、或書には、この短歌一首は載することなし。
3230 みてぐらを 奈良より出でて 水蓼 穂積に至り 鳥網張る 坂手を過ぎ 石橋の 神なび山に 朝宮に 仕へ奉りて 吉野へと 入ります見れば いにしへ思ほゆ
反歌
3231 月日は 変らひぬとも 久に経る みもろの山の 離宮ところ
右の二首
ただし、或本の歌には「古き都の 離宮ところ」といふ。
3232 斧取りて 丹生の檜山の 木伐り来て 筏に作り 真楫貫き 磯漕ぎ廻つつ 島伝ひ 見れども飽かず み吉野の 滝もとどろに 落つる白波
留まりにし 妹に見せまく 欲しき白波反歌
3233 み吉野の 滝もとどろに 落つる白波
右の二首
3234 やすみしし 我ご大君 高照らす 日の御子の きこしをす 御食つ国 神風の 伊勢の国は 国見ればしも 山見れば 高く貴し 川見れば さやけく清し 水門なす 海も広し 見わたす 島も名高し ここをしも まぐはしみかも かけまくも あやに畏き 山辺の 五十師の原に うちひさす 大宮仕へ 朝日なす まぐはしも 夕日なす うらぐはしも 春山の しなひ栄えて 秋山の 色なつかしき ももしきの 大宮人は 天地 日月とともに 万代にもが
反歌
3235 山辺の 五十師の御井は おのづから 成れる錦を 張れる山かも
右の二首
3236 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良山越えて 山背の 管木の原 ちはやぶる 宇治の渡り 滝屋の 阿後尼の原を 千年に 欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の社の 皇神に 幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を ☆故地 ☆故地
或本の歌に曰はく
3237 あをによし 奈良山過ぎて もののふの 宇治川渡り 娘子らに 逢坂山に 手向けくさ 幣取り置きて 我妹子に 淡海の海の 沖つ波 来寄る浜辺を くれくれと ひとりぞ我が来る 妹が目を欲り ☆故地
反歌
3238 逢坂を うち出でて見れば 淡海の海 白木綿花に 波立ちわたる
右の三首
3239 淡海の海 泊り八十あり 八十島の 島の崎々 あり立てる 花橘を ほつ枝に もち引き懸け 中つ枝に 斑鳩懸け 下枝に 比米を懸け 汝が母を 取らくを知らに 汝が父を 取らくを知らに いそばひ居るよ 斑鳩と比米と ☆花
右の一首
3240 大君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡りの たぎつ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向けして 我が越え行けば 楽浪の 志賀の辛崎 幸くあらば またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ 剣大刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 いかにか我がせむ ゆくへ知らずて ☆故地 ☆故地
反歌
3241 天地を 嘆き祈ひ?み 幸くあらば またかへり見む 志賀の辛崎
右の二首
ただし、この短歌は、或書には「穂積朝臣老が佐渡に配さえし時に作る歌」といふ ☆故地
3242 ももきね 美濃の国の 高北の 泳の宮に 日向ひに 行靡闕矣 ありと聞きて 我が行く道の 奥十山 美濃の山 靡けと 人は踏めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山 ☆故地
右の一首
3243 娘子らが 麻笥に垂れたる 続麻なす 長門の浦に 朝なぎに 満ち来る潮の 夕なぎに 寄せ来る波の その潮の いやますますに その波の いやしくしくに 我妹子に 恋ひつつ来れば 阿胡の海の 荒磯の上に 浜菜摘む 海人娘子らが うなげる 領巾も照るがに 手に巻ける 玉もゆららに 白栲の 袖振る見えつ 相思ふらしも ☆故地
反歌
3244 阿胡の海の 荒磯の上の さざれ波 我が恋ふらくは やむ時もなし
右の二首
3245 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てるをち水 い取り来て 君に奉りて をち得てしかも
反歌
3246 天なるや 月日のごとく 我が思へる 君が日に異に 老ゆらく惜しも
右の二首
3247 沼名川の 底なる玉 求めて 得し玉かも 拾ひて 得し玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜しも ☆故地
右の一首
相聞
3248 磯城島の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども 藤波の 思ひまつはり 若草の 思ひつきにし 君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を ☆花
反歌
3249 磯城島の 大和の国に 人ふたり ありとし思はば 何か嘆かむ
右の二首
3250 蜻蛉島 大和の国は 神からと 言挙げせぬ国 しかれども 我れは言挙げす 天地の 神もはなはだ 我が思ふ 心知らずや 行く影の 月も経ゆけば 玉かぎる 日も重なりて 思へかも 胸の苦しき 恋ふれかも 心の痛き 末つひに 君に逢はずは 我が命の 生けらむ極み 恋ひつつも 我れは渡らむ まそ鏡 直目に君を 相見てばこそ 我が恋やまめ
反歌
3251 大船の 思ひ頼める 君ゆゑに 尽す心は 惜しけくもなし
3252 ひさかたの 都を置きて 草枕 旅行く君を いつとか待たむ
柿本朝臣人麻呂が歌集の歌に曰はく
3253 葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我がする 言幸く ま幸くませと 障みなく 幸くいまさば 荒磯波 ありても見むと 百重波 千重波しきに 言挙げす我れは 言挙げす我れは
反歌
3254 磯城島の 大和の国は 言霊の 助くる国ぞ ま幸くありこそ
右の五首
3255 古ゆ 言ひ継ぎけらく 恋すれば 苦しきものと 玉の緒の 継ぎては言へど 娘子らが 心を知らに そを知らむ よしのなければ 夏麻引く 命かたまけ 刈り薦の 心もしのに 人知れず もとなぞ恋ふる 息の緒にして
反歌
3256 しくしくに 思はず人は あるらめど しましくも我は 忘らえぬかも
3257 直に来ず こゆ巨勢道から 石橋踏み なづみぞ我が来し 恋ひてすべなみ ☆故地
或本には、この歌一首をもちて、「紀伊の国の 浜に寄るといふ 鰒玉 拾ひにと言ひて 行きし君 いつ来まさむ」の歌の反歌となす。具らかには下に見ゆ。ただし、古本によりてまた重ねてここに載す。
右の三首
3258 あらたまの 年は来さりて 玉梓の 使の来ねば 霞立つ 長き春日を 天地に 思ひ足らはし たらちねの 母が飼ふ蚕の 繭隠り 息づきわたり 我が恋ふる 心のうちに 人に言ふ ものにしあらねば 松が根の 待つこと遠み 天伝ふ 日の暮れぬれば 白栲の 我が衣手も 通りて濡れぬ
反歌
3259 かくのみし 相思はずあらば 天雲の 外にぞ君は あるべくありける
右の二首
3260 小治田の 年魚道の水を 間なくぞ 人は汲むといふ 時じくぞ 人は飲むといふ 汲む人の 間なきがごと 飲む人の 時じきがごと 我妹子に 我が恋ふらくは やむ時もなし ☆故地
反歌
3261 思ひ遣る すべのたづきも 今はなし 君に逢はずて 年の経ぬれば
今案ふるに、この反歌は「君に逢はず」と謂へれば理に合はず。よろしく「妹に逢はず」と言ふべし。
或本の反歌に曰はく
3262 瑞垣の 久しき時ゆ 恋すれば 我が帯緩ふ 朝宵ごとに
右の三首
3263 こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち 下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け 真杭には 真玉を懸け 真玉なす 我が思ふ妹も 鏡なす 我が思ふ妹も ありといはばこそ 国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ
古事記に検すに、曰はく、「件りの歌は木梨軽太子が自ら死にし時に作る所なり」といふ。
反歌
3264 年渡る までにも人は ありといふを いつの間にぞも 我が恋ひにける
或書の反歌に曰はく
3265 世間を 厭しと思ひて 家出せし 我れや何にか 還りてならむ
右の三首
3266 春されば 花咲きををり 秋づけば 丹のほにもみつ 味酒を 神なび山の 帯にせる 明日香の川の 早き瀬に 生ふる玉藻の うち靡き 心に寄りて 朝露の 消なば消ぬべく 恋ひそくも しるくも逢へる 隠り妻かも ☆故地
反歌
3267 明日香川 瀬々の玉藻の うち靡き 心は妹に 寄りにけるかも
右の二首
3268 みもろの 神なび山ゆ との曇り 雨は降り来ぬ 天霧らひ 風さへ吹きぬ 大口の 真神の原ゆ 思ひつつ 帰りにし人 家に至りきや
反歌
3269 帰りにし 人を思ふと ぬばたまの その夜は我れも 寐も寝かねてき
右の二首
3270 さし焼かむ 小屋の醜屋に かき棄てむ 破れ薦を敷きて 打ち折らむ 醜の醜手を さし交へて 寝らむ君ゆゑ あかねさす 昼はしみらに ぬばたまの 夜はすがらに この床に ひしと鳴るまで 嘆きつるかも ☆花
反歌
3271 我が心 焼くも我れなり はしきやし 君に恋ふるも 我が心から
右の二首
3272 うちはへて 思ひし小野は 遠からず その里人の 標結ふと 聞きてし日より 立てらくの たづきも知らに 居らくの 奥処も知らに にきびしに 我が家すらを 草枕 旅寝のごとく 思ふそら 苦しきものを 嘆くそら 過ぐしえぬものを 天雲の ゆくらゆくらに 葦垣の 思ひ乱れて 乱れ麻の つかさをなみと 我が恋ふる 千重の一重も 人知れず もとなや恋ひむ 息の緒にして
反歌
3273 二つなき 恋をしすれば 常の帯を 三重結ぶべく 我が身はなりぬ
右の二首
3274 為むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床の 根延へる門を 朝には 出で居て嘆き 夕には 入り居て偲ひ 白栲の 我が衣手を 折り返し ひとりし寝れば ぬばたまの 黒髪敷きて 人の寝る 味寐は寝ずて 大船の ゆくらゆくらに 思ひつつ 我が寝る夜らを 数みもあへむかも
反歌
3275 ひとり寝る 夜を数へむと 思へども 恋の繁きに 心もなし
右の二首
3276 百足らず 山田の道を 波雲の 愛し妻と 語らがず 別れし来れば 早川の 行きも知らず 衣手の 帰りも知らず 馬じもの 立ちてつまづき 為むすべの たづきを知らに もののふの 八十の心を 天地に 思ひ足らはし 魂合はば 君来ますやと 我が嘆く 八尺の嘆き 玉桙の 道来る人の 立ち留まり いかにと問はば 答へ遣る たづきを知らに さ丹つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの 山より出づる 月待つと 人には言ひて 君待つ我れを
反歌
3277 寐も寝ずに 我が思ふ君は いづくへに 今夜誰れとか 待てど来まさぬ
右の二首
3278 赤駒を 馬屋に立て 黒駒を 馬屋に立てて そを飼ひ 我が行くごとく 思ひ妻 心に乗りて 高山の 峰のたをりに 射目立てて 鹿猪待つごとく 床敷きて 我が待つ君を 犬な吠えそね
反歌
3279 葦垣の 末かき別けて 君越ゆと 人にな告げそ 事はたな知れ ☆花
右の二首
3280 我が背子は 待てど来まさず 天の原 振り放け見れば ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更けて あらしの吹けば 立ち待てる 我が衣手に 降る雪は 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 慰むる 心を持ちて ま袖もち 床うち掃ひ うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜を ☆花
或本の歌に曰はく
3281 我が背子は 待てど来まさず 雁が音も 響みて寒し ぬばたまの 夜も更けにけり さ夜更くと あらしの吹けけば 立ち待つに 我が衣手に 置く霜も 氷にさえわたり 降る雪も 凍りわたりぬ 今さらに 君来まさめや さな葛 後も逢はむと 大船の 思ひ頼めど うつつには 君には逢はず 夢にだに 逢ふと見えこそ 天の足り夜に
反歌
3282 衣手に あらしの吹きて 寒き夜を 君来まさずは ひとりかも寝む
3283 今さらに 恋ふとも君に 逢はめやも 寝る夜をおちず 夢に見えこそ
右の四首