萬葉集 巻第十五
新羅に遣はさえし使人等、別れを悲しびて贈答し、また海路にして情を慟みして思ひを陳べ、并せて所に当りて誦ふ古歌
3578 武庫の浦の 入江の洲鳥 羽ぐくもる 君を離れて 恋に死ぬべし ☆故地 3579 大船に 妹乗るものに あらませば 羽ぐくみ持ちて 行かましものを 3580 君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ 3581 秋さらば 相見むものを 何しかも 霧に立つべく 嘆きしまさむ 3582 大船を 荒海に出だし います君 障むことなく 早帰りませ 3583 ま幸くて 妹が斎はば 沖つ波 千重に立つとも 障りあらめやも 3584 別れなば うら悲しけむ 我が衣 下にを着ませ 直に逢ふまでは 3585 我妹子が 下にも着よと 贈りたる 衣の紐を 我れ解かめやも 3586 我がゆゑに 思ひな痩せそ 秋風の 吹かむその月 逢はむものゆゑ 3587 栲衾 新羅へいます 君が目を 今日か明日かと 斎ひて待たむ 3588 はろはろに 思ほゆるかも しかれども 異しき心を 我が思はなくに 右の十一首は贈答。
3589 夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ我が来る 妹が目を欲り ☆故地 右の一首は秦間満。
3590 妹に逢はず あらばすべなみ 岩根踏む 生駒の山を 越えてぞ我が来る 右の一首は、しましく私家に還りて思ひを陳ぶ。
3591 妹とありし 時はあれども 別れては 衣手寒き ものにぞありける 3592 海原に 浮寝せむ夜は 沖つ風 いたくな吹きそ 妹もあらなくに 3593 大伴の 御津に船乗り 漕ぎ出ては いづれの島に 廬りせむ我れ 右の三首は、発つに臨む時に作る歌。
3594 潮待つと ありける船を 知らずして 悔しく妹を 別れ来にけり 3595 朝開き 漕ぎ出て来れば 武庫の浦の 潮干の潟に 鶴が声すも 3596 我妹子が 形見に見むを 印南都麻 白波高み 外にかも見む 3597 わたつみの 沖つ白波 立ち来らし 海人娘子ども 島隠るみゆ 3598 ぬばたまの 夜は明けぬらし 多麻の浦に あさりする鶴 鳴き渡るなり ☆故地 3599 月読の 光を清み 神島の 磯間の浦ゆ 船出す我れは ☆故地 3600 離れ磯に 立てるむろの木 うたがたも 久しき時を 過ぎにけるかも ☆花 3601 しましくも ひとりありうる ものにあれや 島のむろの木 離れてあるらむ 右の八首は、船に乗りて海に入り、路の上にして作る歌。
所に当りて誦詠する古歌 3602 あをによし 奈良の都に たなびける 天の白雲 見れど飽かぬかも 右の一首は、雲を詠む。 3603 青楊の 枝伐り下ろし ゆ種蒔き ゆゆしき君に 恋ひわたるかも ☆花 3604 妹が袖 別れて久に なりぬれど 一日も妹を 忘れて思へや 3605 わたつみの 海に出でたる 飾磨川 絶えむ日にこそ 我が恋やまめ 右の三首は恋の歌。 3606 玉藻刈る 処女を過ぎて 夏草の 野島が崎に 廬りす我れは ☆故地 柿本朝臣人麻呂が歌には「敏馬を過ぎて」といふ。また「船近づきぬ」といふ。 3607 白栲の 藤江の浦に 漁りする 海人とや見らむ 旅行く我れを ☆故地 柿本朝臣人麻呂が歌には「荒栲の」といふ。また「鱸釣る 海人とか見らむ」といふ。 3608 天離る 鄙の長道を 恋ひ来れば 明石の門より 家のあたり見ゆ ☆故地 柿本朝臣人麻呂が歌には「大和島見ゆ」といふ。 3609 武庫の海の 庭よくあらし 漁りする 海人の釣船 波の上ゆ見ゆ 柿本朝臣人麻呂が歌には「笥飯の海の」といふ。また「刈り薦の 乱れて出づみゆ 海人の釣舟」といふ。 3610 安胡の浦に 舟乗りすらむ 娘子らが 赤裳の裾に 潮満つらむか 柿本朝臣人麻呂が歌には「鳴呼見の浦」といふ。また「玉藻の裾に」といふ。 七夕の歌一首 3611 大船に 真楫しじ貫き 海原を 漕ぎ出て渡る 月人壮士 右は柿本朝臣人麻呂が歌。 備後の国の水調の郡の長井の浦に船泊りする夜に作る歌三首 ☆故地 3612 あをによし 奈良の都に 行く人もがも 草枕 旅行く船の 泊り告げむに 旋頭歌なり 右の一首は大判官。 3613 海原を 八十島隠り 来ぬれども 奈良の都は 忘れかねつも 3614 帰るさに 妹に見せむに わたつみの 沖つ白玉 拾ひて行かな 風早の浦に船泊りする夜に作る歌二首 ☆故地 3615 我がゆゑに 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり 3616 沖つ風 いたく吹きせば 我妹子が 嘆きの霧に 飽かましものを 安芸の国の長門の島にして磯辺に船泊りして作る歌五首 ☆故地 3617 石走る 滝もとどろに 鳴く蝉の 声をし聞けば 都し思ほゆ 右の一首は大石蓑麻呂。 3618 山川の 清き川瀬に 遊べども 奈良の都は 忘れかねつも 3619 磯の間ゆ たぎつ山川 絶えずあらば またも相見む 秋かたまけて 3620 恋繁み 慰めかねて ひぐらしの 鳴く島蔭に 廬りするかも 3621 我が命を 長門の島の 小松原 幾代を経てか 神さびわたる 長門の浦より船出する夜に、月の光を仰ぎ観て作る歌三首 3622 月読の 光を清み 夕なぎに 水手の声呼び 浦み漕ぐかも 3623 山の端に 月傾けば 漁りする 海人の燈火 沖になづさふ 3624 我れのみや 夜船は漕ぐと 思へれば 沖辺の方に 楫の音すなり 古挽歌一首 并せて短歌 3625 夕されば 葦辺に騒き 明け来れば 沖になづさふ 鴨すらも 妻とたぐひて 我が尾には 霜な降りそと 白栲の 羽さし交へて うち掃ひ さ寝とふものを 行く水の 帰らぬごとく 吹く風の 見えぬがごとく 跡もなき 世の人にして 別れにし 妹が着せてし なれ衣 袖片敷きて ひとりかも寝む 反歌一首 3626 鶴が鳴き 葦辺をさして 飛び渡る あなたづたづし ひとりさ寝れば ☆花 右は、丹比大夫、亡き妻を悽愴ぶる歌。物に属きて思ひを発す歌一首并せて短歌 3627 朝されば 妹が手にまく 鏡なす 御津の浜びに 大船に 真楫しじ貫き 韓国に 渡り行かむと 直向ふ 敏馬をさして 潮待ちて 水脈引き行けば 沖辺には 白波高み 浦みより 漕ぎて渡れば 我妹子に 淡路の島は 夕されば 雲居隠りぬ さ夜更けて ゆくへを知らに 我が心 明石の浦に 船泊めて 浮寝をしつつ わたつみの 沖辺を見れば 漁りする 海人の娘子は 小舟乗り つららに浮けり 暁の 潮満ち来れば 葦辺には 鶴鳴き渡る 朝なぎに 船出をせむと 船人も 水手も声呼び にほ鳥の なづさひ行けば 家島は 雲居に見えぬ 我が思へる 心なぐやと 早く来て 見むと思ひて 大船を 漕ぎ我が行けば 沖つ波 高く立ち来ぬ 外のみに 見つつ過ぎ行き 玉の浦に 船を留めて 浜びより 浦磯を見つつ 泣く子なす 音のみし泣かゆ 手巻の玉を 家づとに 妹に遣らむと 拾ひ取り 袖には入れて 返し遣る 使なければ 持てれども 験をなみと また置きつるかも 反歌二首 3628 玉の浦の 沖つ白玉 拾へれど またぞ置きつる 見る人をなみ 3629 秋さらば 我が船泊てむ 忘れ貝 寄せ来て置けれ 沖つ白波 周防の国の玖河の郡の麻里布の浦を行く時に作る歌八首 ☆故地 3630 真楫貫き 船し行かずは 見れど飽かぬ 麻里布の浦に 宿りせましを 3631 いつしかも 見むと思ひし 粟島を 外にや恋ひむ 行くよしをなみ 3632 大船の かし振り立てて 浜清き 麻里布の浦に 宿りかせまし 3633 粟島の 逢はじと思ふ 妹にあれや 安寐も寝ずて 我が恋ひわたる 3634 筑紫道の 可太の大島 しましくも 見ねば恋しき 妹を置きて来ぬ 3635 妹が家道 近くありせば 見れど飽かぬ 麻里布の浦を 見せましものを 3636 家人は 帰り早来と 伊波比島 斎ひ待つらむ 旅行く我れを ☆故地 3637 草枕 旅行く人を 伊波比島 幾代経るまで 斎ひ来にけむ 大島の鳴門を過ぎて再宿を経ぬる後に、追ひて作る歌二首 ☆故地 3638 これやこの 名に負ふ鳴門の 渦潮に 玉藻刈るとふ 海人娘子ども 右の一首は田辺秋庭。 3639 波の上に 浮寝せし宵 あど思へか 心悲しく 夢に見えつる 熊毛の浦に船泊りする夜に作る歌四首 ☆故地 3640 都辺に 行かむ船もが 刈り薦の 乱れて思ふ 言告げ遣らむ 右の一首は羽栗。 3641 暁の 家恋しきに 浦みより 楫の音するは 海人娘子かも 3642 沖辺より 潮満ち来らし 可良の浦に あさりする鶴 鳴きて騒きぬ 3643 沖辺より 船人上る 呼び寄せて いざ告げ遣らむ 旅の宿りを 一には「旅の宿りを いざ告げ遣らな」といふ。佐婆の海中にしてたちまちに逆風に遭ひ、漲ぎらふ浪に漂流す。経宿の後に、幸くして順風を得、豊前の国の下毛の郡の分間の浦に到着す。ここに艱難を追ひて怛みし、悽惆びて作る歌八首 3644 大君の 命畏み 大船の 行きのまにまに 宿りするかも 右の一首は雪宅麻呂。 3645 我妹子は、早も来ぬかと 待つらむを 沖にや住まむ 家づかずして 3646 浦みより 漕ぎ来し船を 風早み 沖つみ浦に 宿りするかも 3647 我妹子が いかに思へか ぬばたまの 一夜もおちず 夢にし見ゆる 3648 海原の 沖辺に燈し 漁る火は 明かして燈せ 大和島見む 3649 鴨じもの 浮寝をすれば 蜷の腸 か黒き髪に 露ぞ置きにける 3650 ひさかたの 天照る月は 見つれども 我が思ふ妹に 逢はぬころかも 3651 ぬばたまの 夜渡る月は 早も出でぬかも 海原の 八十島の上ゆ 妹があたり見む 旋頭歌なり 筑紫の館に至りて、本郷を遥かに望み、悽愴びて作る歌四首 ☆故地 3652 志賀の海人の 一日もおちず 焼く塩の からき恋をも 我れはするかも ☆故地 3653 志賀の浦に 漁りする海人 家人の 待ち恋ふらむに 明かし釣る魚 3654 可之布江に 鶴鳴き渡る 志賀の浦に 沖つ白波 立ちし来らしも 一には「満ちし来ぬらし」といふ。 3655 今よりは 秋づきぬらし あしひきの 山松蔭に ひぐらし鳴きぬ 七夕に天漢を仰ぎ観て、おのもおのも所思を陳べて作る歌三首 3656 秋萩に にほへる我が裳 濡れぬとも 君が御舟の 綱し取りてば ☆花 右の一首は大使。 3657 年ありて 一夜妹に逢ふ 彦星も 我れにまさりて 思ふらめやも 3658 夕月夜 影立ち寄り合ひ 天の川 漕ぐ舟人を 見るが羨しさ 海辺にして月を望みて作る歌九首 3659 秋風は 日に異き吹きぬ 我妹子は いつとか我れを 斎ひ待つらむ 大使の第二男。 3660 神さぶる 荒津の崎に 寄する波 間なくや妹に 恋ひわたりなむ ☆故地 右の一首は土師稲足。 3661 風の共 寄せ来る波に 漁りする 海人娘子らが 裳の裾濡れぬ 一には「海人の娘子が 裳の裾濡れぬ」といふ。 3662 天の原 振り放け見れば 夜ぞ更けにける よしゑやし ひとり寝る夜は 明けば明けぬとも 右の一首は旋頭歌なり。 3663 わたつみの 沖つ繩海苔 来る時と 妹が待つらむ 月は経につつ 3664 志賀の浦に 漁りする海人 明け来れば 浦み漕ぐらし 楫の聞こゆ 3665 妹を思ひ 寐の寝らえぬに 暁の 朝霧隠り 雁がねぞ鳴く 3666 夕されば 秋風寒し 我妹子が 解き洗ひ衣 行きて早着む 3667 我が旅は 久しくあらし この我が着る 妹が衣の 垢つく見れば 筑前の国の志麻の郡の韓亭に至り、船泊りして三日を経ぬ。時に夜月の光、皎々として流照す。たちまちにこの華に対し、旅情悽噎す。おのもおのも心緒を陳べ、いささかに裁る歌六首 ☆故地 3668 大君の 遠の朝廷と 思へれど 日長くしあれば 恋ひにけるかも 右の一首は大使。 3669 旅にあれど 夜は火燈し 居る我れを 闇にや妹が 恋ひつつあるらむ 右の一首は大判官。 3670 韓亭 能許の浦波 立たぬ日は あれども家に 恋ひぬ日はなし 3671 ぬばたまの 夜渡る月に あらませば 家なる妹に 逢ひて来ましを 3672 ひさかたの 月は照りたり 暇なく 海人の漁りは 燈し合へりみゆ 3673 風吹けば 沖つ白波 畏みと 能許の亭に あまた夜ぞ寝る 引津の亭に船泊りして作る歌 ☆故地 3674 草枕 旅を苦しみ 恋ひ居れば 可也の山辺に さを鹿鳴くも 3675 沖つ波 高く立つ日に あへりきと 都の人は 聞きてけむかも 右の二首は大判官。 3676 天飛ぶや 雁を使に 得てしかも 奈良の都に 言告げ遣らむ 3677 秋の野を にほはす萩は 咲けれども 見る験なし 旅にしあれば 3678 妹を思ひ 寐の寝らえぬに 秋の野に さを鹿鳴きつ 妻思ひかねて 3679 大船に 真楫しじ貫き 時待つと 我れは思へど 月ぞ経にける 3680 夜を長み 寐の寝らえぬに あしひきの 山彦響め さを鹿鳴くも 肥前の国の松浦の郡の狛島の亭に船泊りする夜に、海浪を遥かに望み、おのもおのも旅の心を慟みして作る歌七首 ☆故地 3681 帰り来て 見むと思ひし 我がやどの 秋萩すすき 散りにけむかも ☆花 右の一首は秦田麻呂。 3682 天地の 神を祈ひつつ 我れ待たむ 早来ませ君 待たば苦しも 右の一首は娘子。 3683 君を思ひ 我が恋ひまくは あらたまの 立つ月ごとに 避くる日もあらじ 3684 秋の夜を 長みにかあらむ なぞここば 寐の寝らえぬも ひとり寝ればか 3685 足日女 御船泊てけむ 松浦の海 妹が待つべき 月は経につつ 3686 旅なれば 思ひ絶えても ありつれど 家にある妹し 思ひ悲しも 3687 あしひきの 山飛び越ゆる 雁がねは 都に行かば 妹に逢ひて来ね 壱岐の島に至りて、雪連宅満のたちまちに鬼病に遭ひて死去にし時に作る歌一首 并せて短歌 ☆故地 3688 天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の 斎ひ待たねか 正身かも 過ちしけむ 秋さらば 帰りまさむと たらちねの 母に申して 時も過ぎ 月も経ぬれば 今日か来む 明日かも来むと 家人は 待ち恋ふらむに 遠の国 いまだも着かず 大和をも 遠く離りて 岩が根の 荒き島根に 宿りする君 反歌二首 3689 石田野に 宿りする君 家人の いづらと我れを 問はばいかに言はむ 3690 世間は 常かくのみと 別れぬる 君にやもとな 我が恋ひ行かむ 右の三首は挽歌。 3691 天地と ともにもがもと 思ひつつ ありけむものを はしけやし 家を離れて 波の上ゆ なづさひ来にて あらたまの 月日も来経ぬ 雁がねも 継ぎて来鳴けば たらちねの 母も妻らも 朝露に 裳の裾ひづち 夕霧に 衣手濡れて 幸くしも あるらむごとく 出で見つつ 待つらむものを 世間の 人の嘆きは 相思はぬ 君にあれやも 秋萩の 散らへる野辺の 初尾花 仮盧に葺きて 雲離れ 遠き国辺の 露霜の 寒き山辺に 宿りせるらむ 反歌二首 3692 はしけやし 妻も子どもも 高々に 待つらむ君や 山隠れぬる 3693 黄葉の 散りなむ山に 宿りぬる 君を待つらむ 人し悲しも 右の三首は葛井連子老が作る挽歌。 3694 わたつみの 畏き道を 安けくも なく悩み来て 今だにも 喪なく行かむと 壱岐の海人部の ほつての占部を 肩焼きて 行かむとするに 夢のごと 道の空道に 別れする君 反歌二首 3695 昔より 言ひけることに 韓国の からくもここに 別れするかも 3696 新羅へか 家にか帰る 壱岐の島 行かむたどきも 思ひかねつも 右の三首は六鯖が作る挽歌。対馬の島の浅茅の浦に至りて船泊りする時に、順風を得ず、経停すること五箇日なり。ここに、物華を瞻望し、おのもおのも慟みする心を陳べて作る歌三首 ☆故地 3697 百船の 泊つる対馬の 浅茅山 しぐれの雨に もみたひにけり 3698 天離る 鄙にも月は 照れれども 妹ぞ遠くは 別れ来にける 3699 秋されば 置く露霜に あへずして 都の山は 色づきぬらむ 竹敷の浦に船泊りする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首 3700 あしひきの 山下光る 黄葉の 散りの乱ひは 今日にもあるかも 右の一首は大使。 3701 竹敷の 黄葉を見れば 我妹子が 待たむと言ひし 時ぞ来にける 右の一首は副使。 3702 竹敷の 浦みの黄葉 我れ行きて 帰り来るまで 散りこすなゆめ 右の一首は大判官。 3703 竹敷の 宇敝可多山は 紅の 八しほの色に なりにけるかも 右の一首は少判官。 3704 黄葉の 散らふ山辺ゆ 漕ぐ船の にほひにめでて 出でて来にけり 3705 竹敷の 玉藻靡かし 漕ぎ出なむ 君がみ船を いつとか待たむ 右の二首は対馬の娘子。名は玉槻。 3706 玉敷ける 清き渚を 潮満てば 飽かず我れ行く 帰るさに見む 右の一首は大使。 3707 秋山の 黄葉をかざし 我が居れば 浦潮満ち来 いまだ飽かなくに 右の一首は副使。 3708 物思ふと 人には見えじ 下紐の 下ゆ恋ふるに 月ぞ経にける 右の一首は大使。 3709 家づとに 貝を拾ふと 沖辺より 寄せ来る波に 衣手濡れぬ 3710 潮干なば またも我れ来む いざ行かむ 沖つ潮騒 高く立ち来ぬ 3711 我が袖は 手本通りて 濡れぬとも 恋忘れ貝 取らずは行かじ 3712 ぬばたまの 妹が干すべく あらなくに 我が衣手を 濡れていかにせむ 3713 黄葉は 今はうつろふ 我妹子が 待たむと言ひし 時の経ゆけば 3714 秋されば 恋しみ妹を 夢にだに 久しく見むを 明けにけるかも 3715 ひとりのみ 着寝る衣の 紐解かば 誰れかも結はゆ 家遠くして 3716 天雲の たゆたひ来れば 九月の 黄葉の山も うつろひにけり 3717 旅にても 喪なく早来と 我妹子が 結びし紐は なれにけるかも 筑紫を廻り来て、海路にして京に入らむとし、播磨の国の家島に至りし時に作る歌五首 ☆故地 3718 家島は 名にこそありけれ 海原を 我が恋ひ来つる 妹もあらなくに 3719 草枕 旅に久しく あらめやと 妹に言ひしを 年の経ぬらく 3720 我妹子を 行きて早見む 淡路島 雲居に見えぬ 家づくらしも 3721 ぬばたまの 夜明かしも船は 漕ぎ行かな 御津の浜松 待ち恋ひぬらむ 3722 大伴の 御津の泊りに 船泊てて 龍田の山を いつか越え行かむ |