長忌寸意吉麻呂が歌八首 3824 さし鍋に 湯沸かせ子ども 櫟津の 檜橋より来む 狐に浴むさむ ☆故地 右の一首は、伝へて云はく、「あるとき、もろもろ集ひて宴飲す。時に、夜漏三更にして、狐の声聞こゆ。すなはち、衆諸、意吉麻呂を誘ひて曰はく、「この饌具、雑器、狐声、河橋等の物に関けて、ただに歌を作れ」といへれば、すなはち、声に応へてこの歌を作る」といふ。 行縢、蔓菁、食薦、屋梁を詠む歌 3825 食薦敷き 青菜煮て来む 梁に 行縢懸けて 休めこの君 荷葉を詠む歌 ☆花 3826 蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家なるるものは 芋の葉にあらし 双六の頭を詠む歌 3827 一二の目 のみにはあらず 五六三 四さへありけり 双六の頭 香、塔、厠、屎、鮒、奴を詠む歌 3828 香塗れる 塔にな寄りそ 川隈の 屎鮒食める いたき女奴 酢、醤、蒜、鯛、水葱を詠む歌 3829 醤酢に 蒜搗き合てて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱の羮 ☆花 玉掃、鎌、天木香、棗を詠む歌 ☆花 3830 玉箒 刈り来鎌麻呂 むろの木と 棗が本と かき掃かむため ☆花 ☆花 白鷺の木を啄ひて飛ぶを詠む歌 3831 池神の 力士舞かも 白鷺の 桙啄ひ持ちて 飛び渡るらむ 忌部首、数種の物を詠む歌一首 名は忘失せり 3832 からたちと 茨刈り除け 倉建てむ 屎遠くまれ 櫛造る刀自 ☆花 ☆花 境部王、数種の物を詠む歌一首 穂積親王の子なり 3833 虎に乗り 古屋を越えて 青淵に 蛟龍捕り来む 剣大刀もが 作主の詳らかにあらぬ歌一首 3834 梨棗 黍に粟つぎ 延ふ葛の 後も逢はむと 葵花咲く ☆花 ☆花 ☆花 新田部親王に献る歌一首 いまだ詳らかにあらず 3835 勝間田の 池は我れ知る 蓮なし しか言ふ君が 鬚なきごとし ☆故地 ☆花 右は、ある人聞きて曰はく、「新田部親王、堵の裏に出遊す。勝間田の池を御見して、御心の中に感緒づ。その池より還りて、怜愛に忍びず。時に、婦人に語りて曰はく、『今日遊行びて、勝間田の池を見る。水影濤々にして、蓮花灼々にあり。y怜きこと腸を断ち、え言ふべくあらず』といふ。すなはち、婦人この戯歌を作り、もはら吟詠す」といふ。 佞人を謗る歌一首 3836 奈良山の 児手柏の 両面に かにもかくにも 佞人が伴 ☆花 右の歌一首は、博士、消奈行文大夫作る。
3837 ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に 溜まれる水の 玉に似たる見む 右の歌一首は、伝へて云はく、「右兵衛のものあり。姓名は、詳らかにあらず、歌作の芸を多能なり。時に、府家に酒食を備へ設けて、府の官人らに饗宴す。ここに、饌食は、盛るに皆蓮葉をもちてす。諸人、酒酣にして、歌駱駅す。すなはち、兵衛を誘ひて云はく、「その蓮葉に関けて、歌を作れ」といへれば、すなはち、声に応へてこの歌を作る」といふ。 無心所著の歌二首 3838 我妹子が 額に生ふる 双六の 特負の牛の 鞍の上の瘡 3839 我が背子が 犢鼻にする つぶれ石の 吉野の山に 氷魚ぞ懸有 右の歌は、舎人親王、侍座に令せて曰はく、もし由る所なき歌を作る人あらば、賜ふに銭帛をもちてせむ」といふ。時に、大舎人安倍朝臣子祖父、すなはちこの歌を作りて献上る。すなはち、募れる物銭、二千文をもちて賜ふ。 池田朝臣、大神朝臣奥守を嗤ふ歌一首 池田朝臣が名、忘失せり 3840 寺々の 女餓鬼申さく 大神の 男餓鬼賜りて その子産まはむ 大神朝臣奥守が報へて嗤ふ歌一首 3841 仏造る ま朱足らずは 水溜まる 池田の朝臣が 鼻の上を掘れ 或いは云はく 平群朝臣が嗤ふ歌一首 3842 童ども 草はな刈りそ 八穂蓼を 穂積の朝臣が 腋草を刈れ 穂積朝臣が和ふる歌一首 3843 いづくにぞ ま朱掘る岡 薦畳 平群の朝臣が 鼻の上を掘れ 黒き色を嗤咲ふ歌一首 3844 ぬばたまの 斐太の大黒 見るごとに 巨勢の小黒し 思ほゆるかも ☆故地 答ふる歌一首 3845 駒造る 土師の志婢麻呂 白くあれば うべ欲しからむ その黒き色を 右の歌は、伝へて云はく、「大舎人、土師宿禰水通といふものあり。字は、志婢麻呂よいふ。時に、大舎人、巨勢朝臣豊人、字は正月麻呂といふものと、巨勢斐太朝臣、名・字は忘れたり。島村大夫が男なり、と二人、ともに、こもこも顔黒き色なり。ここに、土師宿禰水通、この歌を作りて嗤咲へれば、巨勢朝臣豊人、これを聞き、すなはち和ふる歌を作りて、酬へ咲ふ」といふ。 戯れて僧を嗤ふ歌一首 3846 法師らが 鬚の剃り杭 馬繋ぎ いたくな引きそ 法師は泣かむ 法師が報ふる歌一首 3847 檀越や しかもな言ひそ 里長が 課役徴らば 汝も泣かむ 夢の裏に作る歌一首 3848 あらき田の 鹿猪田の稲を 倉に上げて あなひねひねし 我が恋ふらくは ☆花 右の一首は、忌部首黒麻呂、夢の裏にこの恋歌を作りて、友に贈る。覚きて誦習せしむるに、前のごとし。 世間の無常を厭ふ歌二首 3849 生き死にの 二つの海を 厭はしみ 潮干の山を 偲ひつるかも 3850 世間の 繁き仮廬に 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも 右の二首は、河原寺の仏堂の裏に、倭琴の面に在り。 3851 心をし 無何有の郷に 置きてあらば 藐孤射の山を 見まく近けむ 右の歌一首 3852 鯨魚取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ 右の歌一首痩人を嗤咲ふ歌二首 3853 石麻呂に 我れ物申す 夏痩せに よしといふものぞ 鰻捕り喫せ 3854 痩す痩すも 生けらばあらむを はたやはた 鰻を捕ると 川に流るな 右は、吉田連老、字は石麻呂といふ。いはゆる仁敬が子なり。その老、人となりて、身体いたく痩せたり。多く喫ひ飲めども、形、飢饉に似たり。これによりて、大伴宿禰家持、いささかにこの歌を作りて、もちて戯咲を為す。 高宮王、数種の物を詠む歌二首 3855 莢に 延ひおほとれる 屎葛 絶ゆることなく 宮仕へせむ ☆花 ☆花 3856 波羅門の 作れる小田を 食む烏 瞼腫れて 幡桙に居り 夫君に恋ふる歌一首 3857 飯食めど うまくもあらず 行きゆけど 安くもあらず あかねさす 君が心し 忘れかねつも ☆花 右の歌一首は、伝へて云はく、「佐為王に近習する婢あり。時に、宿直に遑あらず、夫君に遭ひかたし。感情馳せ結ぼれ、係恋まことに深し。ここに、当宿の夜に、夢の裏に相見て、覚き寤めて探り抱くに、かつて手に触るることなし。すなはち、哽咽ひ歔欷きて、高き声にこの歌を吟詠す。よりて、王聞きて哀慟し、永く侍宿を免す」といふ。 3858 このころの 我が恋力 記し集め 功に申さば 五位の冠 3859 このころの 我が恋力 賜らずは 京兆に 出でて訴へむ 右の歌二首 筑前の国の志賀の白水郎の歌十首 ☆故地 3860 大君の 遣はさなくに さかしらに 行きし荒雄ら 沖に袖振る 3861 荒雄らを 来むか来じかと 盛りて 門に出で立ち 待てど来まさず 3862 志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄らが よすかの山と 見つつ偲はむ 3863 荒雄らが 行きにし日より 志賀の海人の 大浦田沼は 寂しくもあるか 3864 官こそ さしても遣らめ さかしらに 行きし荒雄ら 波に袖振る 3865 荒雄らは 妻子が業をば 思はずろ 年の八年を 待てど来まさず 3866 沖つ鳥 鴨といふ船の 帰り来ば 也良の崎守 早く告げこそ 3867 沖つ鳥 鴨といふ船は 也良の崎 たみて漕ぎ来と 聞こえ来ぬかも 3868 沖行くや 赤ら小舟に つと遣らば けだし人見て 開き見むかも 3869 大船に 小船引き添へ 潜くとも 志賀の荒雄に 潜き逢はめやも 右は、神亀年中に、大宰府筑前の国宗像の郡の百姓、宗形部津麻呂を差して、対馬送粮の船の柁師に宛つ。時に、津麻呂、滓屋の郡志賀の村の白水郎、荒雄がもとに詣りて、語りて曰はく、「我れ小事有り。けだし許さじか」といふ。荒雄答へて曰はく、「我れ郡を異にすといへども、船を同じくすること、日久し。志は兄弟より篤く、殉死することありとも、あにまた辞びめや」といふ。津麻呂曰はく、「府の官、我れを差して、対馬送粮の船の柁師に宛てたれど容歯衰老し、海路にあへず。ことさらに来りて祗候す。願はくは、相替ることを垂れよ」といふ。ここに、荒雄許諾し、つひにその事に従ふ。肥前の国松浦の県の美禰良久の崎より船を発だし、ただに対馬をさして海を渡る。すなはち、たちまちに天暗冥く、暴風は雨を交へ、ついに順風なく、海中に沈み没りぬ。これによりて、妻子ども犢慕にあへずして、この歌を裁作る。或いは、筑前の国の守、山上臣億良、妻子が傷みに悲感び、志を述べてこの歌を作るといふ。 ☆故地 3870 紫の 粉潟の海に 潜く鳥 玉潜き出ば 我が玉にせむ右の歌一首
3871 角島の 瀬戸のわかめは 人の共 荒かりしかど 我れとは和海藻 ☆故地 右の歌一首
3872 我が門の 榎の実もり食む 百千鳥 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ 3873 我が門に 千鳥しば鳴く 起きよ起きよ 我が一夜夫 人に知らゆな 右の歌二首 3874 射ゆ鹿を 認ぐ川辺の にこ草の 身の若かへし さ寝し子らはも 右の歌一首 3875 琴酒を 押垂小野ゆ 出づる水 ぬるくは出でず 寒水の 心もけやに 思ほゆる 音の少なき 道に逢はぬかも 少なきよ 道に逢はさば 色げせる 菅笠小笠 我がうなげる 玉の七つ緒 取り替へも 申さむものを 少なき 道に逢はぬかも 右の歌一首 豊前の国の白水郎の歌一首 3876 豊国の 企救の池なる 菱の末を 摘むとや妹が み袖濡れけむ ☆故地 ☆花 豊後の国の白水郎の歌一首 3877 紅に 染めてし衣 雨降りて にほひはすとも うつろはめやも 能登の国の歌三首 3878 はしたての 熊木のやらに 新羅斧 落し入れ わし かけてかけて な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし ☆故地 右の歌一首は、伝へて云はく、「ある愚人、斧、海の底に堕ちて、鉄の沈み、水に浮く理なきことを解らず。いささかにこの歌を作り、口吟びて喩と為す」といふ。 3879 はしたての 熊木酒屋に まぬらる奴 わし さすひ立て 率て来なましを まぬらる奴 わし 右の一首 3880 香島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児の刀自 父にあへつや 身女児の刀自 ☆故地 越中の国の歌四首 3881 大野道は 茂道茂路 茂くとも 君し通はば 道は広けむ 3882 渋谿の 二上山に 鷲ぞ子産といふ 翳にも 君のみために 鷲ぞ子産といふ ☆故地 3883 弥彦 おのれ神さび 青雲の たなびく日すら 小雨そほ降る ☆故地 3884 弥彦 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ 裘着て 角つきながら 乞食者が詠ふ歌二首 3885 いとこ 汝背の君 居り居りて 物にい行くとは 韓国の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来 その皮を 畳に刺し 八重畳 平群の山に 四月と 五月との間に 薬猟 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟が本に 梓弓 八つ手挟み ひめ鏑 八つ手挟み 鹿待つち 我が居る時に さを鹿の 来立ち嘆かく たちまちに 我れは死ぬべし 大君に 我れは仕へむ 我が角は み笠のはやし 我が耳は み墨坩 我が目らは ますみの鏡 我が爪は み弓の弓弭 我が毛らは み筆はやし 我が皮は み箱の皮に 我が肉は み膾はやし 我が肝も み膾はやし 我がみげは み塩のはやし 老いたる奴 我が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさに 申しはやさに 右の歌一首は、鹿のために痛みを述べて作る。 3886 おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻繩はくれ あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝剥ぎ垂れ 天照るや 日の異に干し さひづるや 韓臼に搗き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂を からく垂れ来て 陶人の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ ?ひはやすも ?ひはやすも 右の歌一首は、蟹のために痛みを述べて作る。 怕ろしき物の歌三首 3887 天なるや ささらの小野に 茅草刈り 草刈りばかに 鶉を立つも ☆花 3888 沖つ国 うしはく君の 塗り屋形 丹塗りの屋形 神の門渡る 3889 人魂の さ青なる君が ただひとり 逢へりし雨夜の 葉非左し思ほゆ |