巻十六 3824〜3889

長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)が歌八首
3824 さし(なべ)に 湯()かせ子ども 櫟津(いちひつ)の ()(ばし)より()む (きつね)()むさむ   故地

右の一首は、伝へて云はく、「あるとき、もろもろ(つど)ひて宴飲す。時に、()(ろう)(さん)(かう)にして、(きつね)(こゑ)聞こゆ。すなはち、(もろ)(ひと)意吉麻呂(おきまろ)(いざな)ひて曰はく、「この饌具(せんぐ)雑器(ざふき)狐声(こせい)河橋(かけう)等の物に()けて、ただに歌を作れ」といへれば、すなはち、声に(こた)へてこの歌を作る」といふ。

行縢(むかばき)蔓菁(あをな)食薦(すごも)屋梁(うつはり)()む歌
3825 ()(ごも)敷き (あを)()()()む (うつはり)に (むか)(ばき)()けて 休めこの君

荷葉(はちすば)()む歌   
3826 (はち)(すば)は かくこそあるもの ()()()()が (いへ)なるるものは (うも)の葉にあらし

双六(すぐろく)(さえ)()む歌
3827 (いち)()の目 のみにはあらず ()(ろく)(さむ) ()さへありけり 双六(すぐろく)

()(かう)(たふ)(かわや)(くそ)(ふな)(やつこ)()む歌
3828 (かう)()れる (たふ)にな寄りそ (かは)(くま)の (くそ)(ふな)()める いたき()

()()(ひしほ)(ひる)(たひ)()()()む歌
3829 醤酢(ひしほす)に (ひる)()()てて 鯛願ふ 我れにな見えそ 水葱(なぎ)(あつもの)   

玉掃(たまばはき)(かま)天木香(むろ)(なつめ)()む歌   
3830 玉箒(たまばはき) ()()(かま)麻呂(まろ) むろの木と (なつめ)(もと)と かき()かむため    

(しら)(さぎ)の木を()ひて飛ぶを()む歌
3831 (いけ)(がみ)の 力士(りきじ)(まひ)かも 白鷺(しらさぎ)の (ほこ)()ひ持ちて 飛び渡るらむ

忌部首(いむべのおびと)、数種の物を()む歌一首 名は忘失せり
3832 からたちと (うまら)刈り()け 倉建てむ (くそ)遠くまれ (くし)造る()()    

境部王(さかひべのおほきみ)、数種の物を()む歌一首 穂積親王(ほづみのみこ)の子なり
3833 (とら)に乗り (ふる)()を越えて (あを)(ふち)に 蛟龍(みつち)()()む (つるぎ)大刀(たち)もが

作主の(つばひ)らかにあらぬ歌一首
3834 (なし)(なつめ) (きみ)(あは)つぎ ()(くず)の (のち)()はむと (あふひ)花咲く     

新田部親王(にひたべのみこ)(たてまつ)る歌一首 いまだ(つばひ)らかにあらず
3835 (かつ)()()の 池は我れ知る (はちす)なし しか言ふ君が (ひげ)なきごとし   故地 

右は、ある人聞きて曰はく、「新田部親王(にひたべのみこ)(みやこ)の裏に出遊(いでま)す。勝間田(かつまた)の池御見(みそこなは)して、御心の(うち)感緒()づ。その池より(かへ)りて、怜愛(れんあい)に忍びず。時に、婦人(ふじん)に語りて曰はく、『今日(けふ)遊行(あそ)びて、勝間田の池を見る。水影濤々(たうたう)にして、蓮花灼々(しやくしやく)にあり。y怜(おもしろ)きこと(はらわた)()ち、え言ふべくあらず』といふ。すなはち、婦人この戯歌(きか)を作り、もはら吟詠す」といふ。

(こび)(ひと)(そし)る歌一首
3836 奈良(なら)(やま)の (この)()(かしは)の 両面(ふたおも)に かにもかくにも (こび)(ひと)(とも)   

右の歌一首は、博士(はかせ)消奈行文大夫(せなのぎやうもんのまへつきみ)作る。

3837 ひさかたの 雨も降らぬか (はち)(すば)に ()まれる水の 玉に似たる見む 

右の歌一首は、伝へて云はく、「右兵衛(うひやうゑ)のものあり。姓名は、(つばひ)らかにあらず、歌作の(わざ)を多能なり。時に、府家(ふか)酒食(しゆし)を備へ()けて、府の官人らに饗宴す。ここに、饌食(せんし)は、盛るに皆蓮葉(はちすば)をもちてす。諸人(もろひと)、酒(たけなは)にして、()()(らく)(えき)す。すなはち、兵衛を(いざな)ひて云はく、「その蓮葉に()けて、歌を作れ」といへれば、すなはち、声に(こた)へてこの歌を作る」といふ。

()(しん)(しよ)(ぢやく)の歌二首
3838 我妹子(わぎもこ)が (ひたひ)()ふる 双六(すぐろく)の 特負(ことひ)の牛の (くら)(うへ)(かさ)
3839 我が()()が 犢鼻(たふさき)にする つぶれ石の 吉野の山に 氷魚(ひを)懸有(さがれる)

右の歌は、舎人親王(とねりのみこ)()()(おほ)せて()はく、もし()る所なき歌を作る人あらば、賜ふに(ぜん)(ばく)をもちてせむ」といふ。時に、大舎人(おほとねり)安倍朝臣子祖父(あへのあそみこおほぢ)、すなはちこの歌を作りて献上(たてまつ)る。すなはち、(つの)れる物銭、二千文をもちて賜ふ。

池田朝臣(いけだのあそみ)大神朝臣奥守(おほみわのあそみおきもり)(わら)ふ歌一首 池田朝臣が名、忘失せり
3840 (てら)々の ()()()(まを)さく (おほ)(みわ)の ()()()(たば)りて その子()まはむ

大神朝臣奥守(おほみわのあそみおきもり)(こた)へて(わら)ふ歌一首
3841 仏造る ま(そほ)足らずは 水()まる 池田(いけだ)朝臣(あそ)が 鼻の(うへ)を掘れ

或いは云はく
平群朝臣(へぐりのあそみ)(わら)ふ歌一首

3842 (わらは)ども 草はな()りそ ()()(たで)を 穂積(ほづみ)()()が (わき)(くさ)を刈れ

穂積朝臣(ほづみのあそみ)(こた)ふる歌一首
3843 いづくにぞ ま(そほ)掘る岡 (こも)(たたみ) 平群(へぐり)朝臣(あそ)が 鼻の(うへ)を掘れ

黒き色を嗤咲(わら)ふ歌一首
3844 ぬばたまの 斐太(ひだ)大黒(おほぐろ) 見るごとに 巨勢(こせ)小黒(をぐろ)し 思ほゆるかも   故地

答ふる歌一首
3845 (こま)造る 土師(はにし)()()()() 白くあれば うべ()しからむ その黒き色を

右の歌は、伝へて云はく、「(おほ)舎人(とねり)土師宿禰水通(はにしのすくねみみち)といふものあり。(あざな)は、志婢麻呂よいふ。時に、大舎人、巨勢朝臣豊人(こせのあそみとよひと)、字は正月麻呂(むつきまろ)といふものと、巨勢斐太朝臣(こせひだのあそみ)、名・字は忘れたり。島村大夫(しまむらのまへつきみ)(をのこ)なり、と二人(ふたり)、ともに、こもこも顔黒き色なり。ここに、土師宿禰水通、この歌を作りて嗤咲へれば、巨勢朝臣豊人、これを聞き、すなはち(こた)ふる歌を作りて、(こた)(わら)ふ」といふ。

(たはぶ)れて(ほふし)(わら)ふ歌一首
3846 法師(ほふし)らが (ひげ)()(くひ) (うま)(つな)ぎ いたくな引きそ 法師は泣かむ

法師(ほふし)(こた)ふる歌一首
3847 檀越(だにをち)や しかもな言ひそ (さと)(をさ)が 課役(えだち)(はた)らば (いまし)も泣かむ

(いめ)(うら)に作る歌一首
3848 あらき()の 鹿()()()(いね)を 倉に上げて あなひねひねし 我が恋ふらくは   

右の一首は、忌部首黒麻呂(いむべのおびとくろまろ)、夢の裏にこの恋歌を作りて、友に贈る。(おどろ)きて誦習(しようしふ)せしむるに、(さき)のごとし。

世間(よのなか)の無常を(いと)ふ歌二首
3849 生き死にの 二つの海を (いと)はしみ (しほ)()の山を (しの)ひつるかも
3850 世間(よのなか)の (しげ)(かり)()に 住み住みて 至らむ国の たづき知らずも

右の二首は、河原(かはら)(でら)の仏堂の(うら)に、(やまと)(ごと)(おもて)に在り。
3851 心をし ()()()(さと)に 置きてあらば ()()()の山を 見まく近けむ

右の歌一首
3852 鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干(しほひ)て 山は枯れすれ

右の歌一首(やせ)(ひと)嗤咲(わら)ふ歌二首
3853 (いし)()()に 我れ(もの)(まを)す (なつ)()せに よしといふものぞ (むなぎ)()()
3854 ()()すも 生けらばあらむを はたやはた (むなぎ)を捕ると 川に流るな

右は、吉田連老(よしだのむらじおゆ)(あざな)(いし)麻呂(まろ)といふ。いはゆる(じん)(けい)が子なり。その(おゆ)、人となりて、身体いたく痩せたり。多く(くら)ひ飲めども、形、飢饉(ききん)に似たり。これによりて、大伴宿禰家持、いささかにこの歌を作りて、もちて戯咲(きせう)()す。

高宮王(たかみやのおほきみ)、数種の物を()む歌二首
3855 (さう)(けふ)に ()ひおほとれる (くそ)(かづら) 絶ゆることなく (みや)(つか)へせむ    
3856 波羅門(ばらもに)の 作れる小田(をだ)を ()(からす) (まなぶた)()れて (はた)(ほこ)()

(せの)(きみ)に恋ふる歌一首
3857 (いひ)()めど うまくもあらず ()きゆけど 安くもあらず あかねさす 君が心し 忘れかねつも   

右の歌一首は、伝へて云はく、「佐為王(さゐのおほきみ)に近習する(まかだち)あり。時に、宿直(とのゐ)(いとま)あらず、夫君(せのきみ)()ひかたし。感情馳せ結ぼれ、係恋(けいれん)まことに深し。ここに、当宿の夜に、(いめ)(うち)に相見て、(おどろ)()めて(さぐ)(いだ)くに、かつて手に触るることなし。すなはち、哽咽(むせ)歔欷(なげ)きて、高き声にこの歌を吟詠す。よりて、王聞きて哀慟(あいどう)し、永く侍宿(とのゐ)(ゆる)す」といふ。
3858 このころの 我が恋力(こひぢから) (しる)(あつ)め (くう)(まを)さば 五位(ごゐ)(かがふり)
3859 このころの 我が恋力(こひぢから) (たば)らずは 京兆(みさとづかさ)に ()でて(うれ)へむ

右の歌二首

筑前(つくしのみちのくち)の国の志賀(しか)白水郎(あま)の歌十首   故地
3860 (おほ)(きみ)の (つか)はさなくに さかしらに 行きし(あら)()ら 沖に(そで)振る
3861 (あら)()らを ()むか()じかと (いひ)()りて (かど)に出で立ち 待てど来まさず
3862 志賀(しか)の山 いたくな()りそ (あら)()らが よすかの山と 見つつ(しの)はむ
3863 (あら)()らが 行きにし日より 志賀(しか)()()の (おほ)(うら)()()は (さぶ)しくもあるか
3864 (つかさ)こそ さしても()らめ さかしらに 行きし(あら)()ら 波に袖振る
3865 (あら)()らは 妻子(めこ)(なり)をば 思はずろ (とし)()(とせ)を 待てど()まさず
3866 沖つ鳥 (かも)といふ船の 帰り()ば ()()(さき)(もり) 早く告げこそ
3867 沖つ鳥 (かも)といふ船は ()()(さき) たみて()()と 聞こえ()ぬかも
3868 沖行くや 赤ら小舟(をぶね)に つと()らば けだし人見て (ひら)き見むかも
3869 (おほ)(ぶね)に ()(ぶね)引き()へ (かづ)くとも 志賀(しか)(あら)()に (かづ)()はめやも

右は、神亀(じんき)年中に、大宰府筑前(つくしのみちのくち)の国宗像(むなかた)(こほり)の百姓、宗形部津麻呂(むなかたべのつまろ)を差して、対馬(つしま)送粮(そうりやう)の船の柁師(かぢとり)()つ。時に、津麻呂、滓屋(かすや)の郡志賀(しか)の村白水郎(あま)荒雄(あらを)がもとに(いた)りて、語りて曰はく、「我れ小事有り。けだし許さじか」といふ。荒雄答へて曰はく、「我れ郡を(こと)にすといへども、船を同じくすること、日久し。(こころ)兄弟(けいてい)より篤く、殉死することありとも、あにまた(いな)びめや」といふ。津麻呂曰はく、「府の(つかさ)、我れを差して、対馬送粮の船の柁師に宛てたれど容歯(ようし)衰老(すいらう)し、海路(うみぢ)にあへず。ことさらに来りて祗候(しこう)す。願はくは、(あひ)(かは)ることを()れよ」といふ。ここに、荒雄許諾(ゆる)し、つひにその事に従ふ。肥前(ひのみちのくち)の国松浦(まつら)(あがた)美禰良久(みねらく)の崎より船を()だし、ただに対馬をさして海を渡る。すなはち、たちまちに天暗冥(くら)く、暴風は雨を(まじ)へ、ついに順風なく、海中に沈み()りぬ。これによりて、妻子(めこ)ども犢慕(とくぼ)にあへずして、この歌を裁作(つく)る。或いは、筑前の国の(かみ)、山上臣億良、妻子が(いた)みに悲感(かなし)び、志を述べてこの歌を作るといふ。   故地
3870 (むらさき)の ()(がた)の海に (かづ)く鳥 玉潜き()ば 我が玉にせむ右の歌一首

3871 (つの)(しま)の 瀬戸のわかめは 人の(むた) 荒かりしかど 我れとは()()()   故地

右の歌一首

3872 ()(かど)の ()()もり()む (もも)千鳥(ちとり) 千鳥(ちとり)()れど (きみ)()まさぬ
3873 我が(かど)に 千鳥しば鳴く 起きよ起きよ 我が(ひと)()(づま) 人に知らゆな

右の歌二首

3874 ()鹿(しし)を (つな)川辺(かはへ)の にこ(ぐさ)の 身の若かへし さ()()らはも

右の歌一首

3875 (こと)(さけ)を (おし)(たれ)小野(をの)ゆ ()づる水 ぬるくは()でず (さむ)(みづ)の 心もけやに 思ほゆる (おと)(すく)なき 道に()はぬかも 少なきよ 道に逢はさば (いろ)げせる (すが)(かさ)()(がさ) 我がうなげる 玉の七つ() 取り()へも (まを)さむものを 少なき 道に逢はぬかも

右の歌一首

豊前(とよのみちのくち)の国の白水郎(あま)の歌一首
3876 (とよ)(くに)の ()()の池なる (ひし)(うれ)を ()むとや(いも)が み(そで)()れけむ   故地 

豊後(とよのみちのしり)の国の白水郎(あま)の歌一首
3877 (くれなゐ)に 染めてし(ころも) 雨降りて にほひはすとも うつろはめやも

能登(のと)の国の歌三首
3878 はしたての (くま)()のやらに 新羅(しらき)(をの) (おと)し入れ わし かけてかけて な()かしそね (うき)()づるやと見む わし   故地

右の歌一首は、伝へて云はく、「ある愚人(おろかひと)(をの)、海の底に()ちて、(くろがね)の沈み、水に浮く(ことわり)なきことを(さと)らず。いささかにこの歌を作り、口吟(くちずさ)びて(さとし)()す」といふ。
3879 はしたての (くま)()酒屋(さかや)に まぬらる(やつこ) わし さすひ立て ()()なましを まぬらる奴 わし

右の一首
3880 ()(しま)()の (つくゑ)(しま)の しただみを い(ひり)ひ持ち来て 石もち つつき(やぶ)り 早川(はやかは)に (あら)(すす)ぎ (から)(しほ)に こごと()み (たか)(つき)()り ()に立てて 母にあへつや ()()()()() 父にあへつや ()()()()()   故地

越中(こしのみちのなか)の国の歌四首
3881 (おほ)()()は (しげ)()(しげ)(みち) (しげ)くとも (きみ)(かよ)はば (みち)は広けむ
3882 (しぶ)谿(たに)の (ふた)(かみ)(やま)に (わし)()()といふ (さしは)にも 君のみために 鷲ぞ子産といふ   故地
3883 弥彦(いやひこ) おのれ(かむ)さび (あを)(くも)の たなびく日すら 小雨(こさめ)そほ降る   故地
3884 弥彦(いやひこ) (かみ)(ふもと)に 今日(けふ)らもか 鹿(しか)()すらむ (かはごろも)着て (つの)つきながら

乞食者(ほかひひと)(うた)ふ歌二首
3885 いとこ ()()の君 ()()りて 物にい行くとは 韓国(からくに)の 虎といふ神を ()()りに ()つ捕り持ち() その皮を (たたみ)()し 八重(やえ)(たたみ) 平群(へぐり)の山に ()(づき)と 五月(さつき)との()に 薬猟(くすりがり) (つか)ふる時に あしひきの この片山(かたやま)に 二つ立つ (いちひ)(もと)に 梓弓(あづさゆみ) ()()(ばさ)み ひめ(かぶら) 八つ手挟み 鹿(しし)待つち 我が()る時に さを鹿(しか)の 来立ち嘆かく たちまちに 我れは死ぬべし 大君(おほきみ)に 我れは(つか)へむ 我が(つの)は み(かさ)のはやし 我が耳は み(すみ)(つほ) 我が目らは ますみの鏡 我が(つめ)は み弓の()(はず) 我が毛らは み(ふみて)はやし 我が皮は み箱の皮に 我が(しし)は み(なます)はやし 我が(きも)も み膾はやし 我がみげは み(しほ)のはやし ()いたる(やつこ) 我が身一つに (なな)()(はな)()く 八重(やへ)花咲くと (まを)しはやさに (まを)しはやさ

( )右の歌一首は、鹿のために痛みを述べて作る。
3886 おしてるや 難波(なには)()()に (いほ)作り (なま)りて()る (あし)(がに)を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや (あきら)けく 我が知ることを (うた)(びと)と 我を召すらめや (ふえ)()きと 我を召すらめや (こと)()きと 我を召すらめや かもかくも (みこと)()けむと 今日(けふ)今日(けふ)と 飛鳥(あすか)に至り 置くとも (おく)()に至り つかねども 都久野(つくの)に至り (ひむがし)の 中の御門(みかど)ゆ ()()り来て (みこと)受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ (はな)(なは)はくれ あしひきの この片山(かたやま)の もむ(にれ)を 五百(いほ)()()()れ (あま)()るや 日の()()し さひづるや 韓臼(からうす)()き 庭に立つ ()(うす)()き おしてるや 難波(なには)小江(をえ)の (はつ)(たり)を からく()れ来て (すゑ)(ひと)の 作れる(かめ)を 今日(けふ)行きて 明日(あす)取り持ち() 我が目らに (しほ)()りたまひ ?(きた)ひはやすも ?(きた)ひはやす( )

(みぎ)(うた)(1)(くび)は、(かに)のために(いた)みを()べて(つく)る。

(おそ)ろしき物の歌三首
3887 (あめ)なるや ささらの小野(をの)に ()(がや)()り (かや)刈りばかに (うづら)を立つも   
3888 沖つ国 うしはく君の ()屋形(やかた) ()()りの屋形 神の()渡る
3889 (ひと)(だま)の さ()なる君が ただひとり 逢へりし(あま)()の 葉非左し思ほゆ

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