巻十七 3890〜3956

萬葉集 巻第十七

天平二年(かのえ)(うま)の冬の十一月に、大宰帥(だざいのそち)大伴卿(おほとものまへつきみ)大納言(だいなごん)()けらえて、帥を兼ぬること(もと)のごとし、京に上る時に、{従(けんじゆう)(とう)、別に海路(うみつぢ)を取りて京に入る。ここに()(りよ)悲傷(かな)しび、おのもおのも所心(おもひ)()べて作る歌十首

3890 ()()()を ()()松原(まつばら)よ 見わたせば ()()娘子(をとめ)ども (たま)()()るみゆ

右の一首は、三野連石守(みののむらじいそもり)作る。

3891 (あら)()の海 潮干(しほひ)(しほ)()ち 時はあれど いづれの時か 我が恋ひざらむ
3892 (いそ)ごとに 海人(あま)(つり)(ふね) ()てにけり 我が船泊てむ 磯の知らなく
3893 昨日(きのふ)こそ (ふな)()はせしか 鯨魚(いさな)()り ()()()(なだ)を 今日(けふ)見つるかも   故地
3894 淡路島(あわぢしま) ()渡る船の (かぢ)()にも 我れは忘れず 家をしぞ思ふ
3898. (おほ)(ふね)の 上にし()れば (あま)(くも)の たどきも知らず 歌ひこそ()()
3899. ()()娘子(をとめ) (いざ)()く火の おぼほしく (つの)松原(まつばら) 思ほゆるかも

3895. たまはやす 武庫(むこ)の渡りに (あま)(つた)ふ 日の(くれ)()けば (いへ)をしぞ(おも)
3896. 家にても たゆたふ(いのち) 波の上に 思ひし()れば 奥は知らずも
3897. (おほ)(うみ)の 奥かも知らず ()()れを いつ()まさむと 問ひし子らはも
右の九首の作者は、姓名を(つばひ)らかにせず。

十年の七月の七日の夜に、(ひと)天漢(あまのがは)を仰ぎて、いささかに(おもひ)を述ぶる一首
3900 織女(たなばた)し (ふな)()りすらし まそ鏡 清き月夜(つくよ)に 雲立ちわたる

右の一首は、大伴宿禰家持作る。

大宰(ださい)の時の梅花(ばいくわ)()ひて(こた)ふる(あらた)しき歌六首   
3901 み冬()ぎ 春は(きた)れど (うめ)の花 君にしあらねば ()く人もなし
3902 (うめ)の花 み山としみに ありともや かくのみ君は 見れど()かにせむ
3903 春雨に ()えし(やなぎ)か (うめ)の花 ともに(おく)れぬ (つね)の物かも   
3904 (うめ)の花 いつは折らじと いとはねど 咲きの盛りは ()しきものなり
3905 遊ぶ(うち)の 楽しき庭に (うめ)(やなぎ) 折りかざしてば 思ひなみかも
3906 ()(その)()の (もも)()(うめ)の 散る花し (あめ)に飛び(あが)り 雪と降りけむ

右は、十二年の十二月の九日に、大伴宿禰家持作る。

()()の原の新都を()むる歌一首 (あは)せて短歌   故地
3907 (やま)(しろ)の ()()の都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉(もみちば)にほひ ()ばせる (いづみ)の川の (かみ)つ瀬に (うち)(はし)渡し (よど)()には (うき)(はし)渡し あり(かよ)ひ (つか)へまつらむ 万代(よろづよ)までに   故地

反歌
3908 たたなめて (いづみ)の川の 水脈(みを)絶えず (つか)へまつらむ 大宮(おほみや)ところ

右は、天平十三年の二月に、右馬頭(みぎのうまのかみ)境部宿禰老麻呂(さかひべのすくねおゆまろ)作る。

霍公鳥(ほととぎす)()む歌二首
3909 (たちばな)は (とこ)(はな)にもが ほととぎす 住むと来鳴かば 聞かぬ日なけむ   
3910 玉に()く (あふち)を家に 植ゑたらば 山ほととぎす ()れず()むかも   

右は、四月の二日に、大伴宿禰書持(おほとものすくねふみもち)、奈良の(いへ)より兄家持に贈る。

(たう)(きつ)初めて咲き、霍公鳥(ほととぎす)(かけ)()く。この時候に(むか)ひ、あに志を()べざらめや。よりて、三首の短歌を作り、もちて(うつ)(けつ)(こころ)を散らさまくのみ。
3911 あしひきの 山辺(やまへ)()れば ほととぎす ()()立ち()き 鳴かぬ日はなし
3912 ほととぎす (なに)の心ぞ (たちばな)の 玉()く月し 来鳴き(とよ)むる
3913 ほととぎす (あふち)の枝に 行きて()ば 花は散らむな 玉と見るまで

右は、四月の三日に、内舎人(うどねり)大伴宿禰家持、()()の京より(おとひと)書持(ふみもち)(こた)へ送る。

霍公鳥(ほととぎす)を思ふ歌一首 田口朝臣馬長(たのくちのあそみうまをさ)作る
3914 ほととぎす 今し来鳴かば 万代(よろづよ)に 語り()ぐべく 思ほゆるかも

右は、伝へて云はく、「ある時に交遊(かういう)(しふ)(えん)す。この日ここに、霍公鳥(ほととぎす)()かず。よりて、(くだり)の歌を作り、もちて思慕(しぼ)(こころ)()ぶ」といふ。ただし、(うたげ)する所(あは)せて年月、いまだ詳審(つばひ)らかにすること得ず。

山部宿禰赤人春鶯(しゆんあう)()む歌一首   故地
3915 あしひきの (やま)(たに)越えて ()づかさに 今は鳴くらむ うぐひすの声

右は、年月と所処と、いまだ詳審(つばひ)らかにすること得ず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載(きさい)す。

十六年の四月の五日に、(ひと)平城(なら)故宅(もとついへ)()りて作る歌六首
3916 (たちばな)の にほへる()かも ほととぎす 鳴く()の雨に うつろひぬらむ
3917 ほととぎす ()(ごゑ)なつかし (あみ)ささば 花は過ぐとも ()れずか鳴かむ
3918 (たちばな)の にほへる園に ほととぎす 鳴くと人()ぐ (あみ)ささましを
3919 あをによし 奈良の都は ()りぬれど もとほととぎす 鳴かずあらなくに
3920 (うづら)鳴く (ふる)しと人は 思へれど (はな)(たちばな)の にほふこのやど
3921 かきつはた (きぬ)()り付け ますらをの ()()(かり)する 月は来にけり   

右の六首の歌は、天平十六年の四月の五日に、(ひと)平城(なら)故郷(こきやう)旧宅(もとついへ)()りて、大伴宿禰家持作る。

天平十八年の正月に、白雪(さは)()り、(つち)()むこと()(すん)。時に、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)大納言(だいなごん)藤原豊成朝臣(ふぢはらのとよなりあそみ)また諸王(しよわう)諸臣(しよしん)たちを()て、太上天皇(おほきすめらみこと)の御在所、中宮の西院なり、に参入(まゐ)り、(つか)へまつりて雪を()く。ここに(みことのり)(くだ)し、大臣参議(あは)せて諸王は、(おほ)殿(との)の上に(さもら)はしめ、諸卿(しよきやう)大夫(だいふ)は、南の(ほそ)殿(どの)に侍はしめて、すなはち酒を賜ひ肆宴(とよのあかり)したまふ。(みことのり)して(のりたま)はく、「(いまし)(しよ)(わう)(きやう)たち、いささかにこの雪を()して、おのもおのもその歌を奏せ」とのりたま( )

左大臣橘宿禰(たちばなのすくね)(みことのり)(こた)ふる歌一首

3922 降る雪の 白髪(しろかみ)までに (おほ)(きみ)に (つか)へまつれば (たふと)くもあるか

紀朝臣清人(きのあそみきよひと)(みことのり)(こた)ふる歌一首
3923 (あめ)(した) すでに(おほ)ひて 降る雪の 光を見れば (たふと)くもあるか

紀朝臣男梶(きのあそみをかぢ)(みことのり)(こた)ふる歌一首
3924 山の(かひ) そことも見えず 一昨日(をとつひ)も 昨日(きのふ)今日(けふ)も 雪の降れれば

葛井連諸会(ふぢゐのむらじもろあひ)(みことのり)(こた)ふる歌一首
3925 (あらた)しき 年の(はじ)めに (とよ)(とし) しるすとならし 雪の降れるは

大伴宿禰家持、(みことのり)(こた)ふる歌一首
3926 大宮の (うち)にも()にも 光るまで 降れる白雪 見れど()かぬかも

藤原豊成朝臣 巨勢奈弖麻呂朝臣(こせのなてまろのあそみ) 大伴牛養宿禰(おほとものうしかひのすくね) 藤原仲麻呂朝臣(ふぢはらのなかまろあそみ) 三原王(みはらのおほきみ) 智奴王(ちぬのおほきみ) 船王(ふねのおほきみ) 邑知王(おほちのおほきみ) 小田王(をだのおほきみ) 林王(はやしのおほきみ) 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ) 小田朝臣諸人(をだのあそみもろひと) 小野朝臣綱手(をののあそみつなて) 高橋朝臣国足(たかはしのあそみくにたり) 太朝臣徳太理(おほのあそみとこたり) 高丘連河内(たかをかのむらじかふち) 秦忌寸朝元(はたのいみきてうぐわん) 楢原造東人(ならはらのみやつこあづまひと)
右の(くだり)(わう)(きやう)たち、(みことのり)(こた)へて歌を作り、(つぎて)によりて奏す。その時に記さずして、その歌()()せたり。ただし、秦忌寸朝元は、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)(たはぶ)れて云はく、「歌を()するに()へずは、(じや)をもちてこれを(あか)へ」といふ。これによりて(もだ)してやみぬ。

大伴宿禰家持、天平十八年の(うるふ)の七月をもちて、越中(こしのみちのなか)の国の(かみ)()けらゆ。すなはち七月を取りて任所に(おもぶ)く。時に、(をば)大伴氏(おほともうぢの)坂上郎女(さかのうへのいらつめ)、家持に贈る歌二首

3927 草枕(くさまくら) (たび)()く君を (さき)くあれと 斎瓮(いはひへ)()ゑつ ()(とこ)()
3928 今のごと (こひ)しく君が 思ほえば いかにかもせむ するすべのなさ

さらに越中(こしのみちのなか)の国に贈る歌二首

3929 旅に()にし 君しも継ぎて (いめ)に見ゆ ()(かた)(こひ)の (しげ)ければか
3930 (みち)(なか) 国つみ神は (たび)()きも し知らぬ君を (めぐ)みたまはな

()

平群氏女郎(へぐりうぢのいらつめ)、越中守大伴宿禰家持に贈る歌十二首

3931 君により 我が名はすでに 龍田(たつた)(やま) 絶ちたる恋の (しげ)きころかも
3932 須磨(すま)(ひと)の 海辺(うみへ)(つね)去らず 焼く塩の (から)き恋をも ()れはするかも   故地
3933 ありあちて (のち)も逢はむと 思へこそ 露の(いのち)も 継ぎつつ渡れ
3934 なかなかに 死なば安けむ 君が目を 見ず(ひさ)ならば すべなかるべし
3935 (こも)()の (した)ゆ恋ひあまり 白波の いちしろく()でぬ 人の知るべく
3936 草枕(くさまくら) 旅にしばしば かくのみや 君を()りつつ ()が恋ひ()らむ
3937 草枕(くさまくら) 旅()にし君が 帰り()む 月日を知らむ すべの知らなく
3938 かくのみや ()が恋ひ()らむ ぬばたまの (よる)(ひも)だに ()()けずして
3939 里近く 君が()りなば 恋ひめやと もとな思ひし ()れぞ(くや)しき
3940 万代(よろづよ)に 心は解けて ()()()が ()みし手見つつ (しの)びかねつも
3941 うぐひすの ()くくら(たに)に うちはめて 焼けは死ぬとも 君をし待たむ
3942 (まつ)の花 (はな)(かず)にしも 我が()()が 思へらなくに もとな咲きつつ

右の(くだり)の十二首の歌は、時々(よりより)便(べん)使()に寄せて()()せたり。一度(ひとたび)に送るところにあらず。

八月の七日の夜に、(かみ)大伴宿禰家持が(たち)(つど)ひて(うたげ)する歌

3943 秋の田の 穂向き見がてり 我が背子が ふさ()()()る をみなへしかも   

右の一首は、守大伴宿禰家持作る。

3944 をみなへし 咲きたる野辺を 行き(めぐ)り 君を思ひ出 た(もとほ)()
3945 秋の()は (あかとき)寒し (しろ)(たへ)の (いも)(ころもで)手 着むよしもがも
3946 ほととぎす 鳴きて過ぎにし (をか)びから 秋風吹きぬ よしもあらなくに

右の三首は、(じよう)大伴宿禰池主(おほとものすくねいけぬし)作る。

3947 今朝(けさ)(あさ)() 秋風寒し (とほ)つ人 (かり)が来鳴かむ 時近みかも
3948 (あま)(ざか)る (ひな)に月()ぬ しかれども ()ひてし(ひも)を ()きも()けなくに

右の二首は、(かみ)大伴宿禰家持作る。

3949 (あま)(ざか)る (ひな)にある我れを うたがたも (ひも)()()けて 思ほしらめや

右の一首は、(じよう)大伴宿禰池主(おほとものすくねいけぬし)作る。

3950 家にして ()ひてし(ひも)を ()()けず 思ふ心を ()れか知らむ

右の一首は、守大伴宿禰家持作る。

3951 ひぐらしの 鳴きぬる時は をみなへし 咲きたる野辺を 行きつつ見べし

右の一首は、大目(だいさくわん)秦忌寸八千島(はだのいみきやちしま)

古歌一首 大原高安真人(おほはらのたかやすのまひと)作る。年月(つばひ)らかにあらず。ただし、聞きし時のまにまに、ここに記載す。

3952 妹が家に ()()()(もり)の (ふぢ)(はな) 今()む春も (つね)かくし見む   故地 故地 故地  

右の一首、(でん)(しよう)するは僧玄勝(げんしよう)ぞ。

3953 (かり)がねは 使(つかひ)()むと (さわ)くらむ 秋風(さむ)み その川の()
3954 ()めて いざ打ち()かな (しぶ)谿(たに)の 清き(いそ)みに 寄する波()に   故地

右の二首は、(かみ)大伴宿禰家持。

3955 ぬばたまの ()()けぬらし (たま)(くし)() (ふた)(がみ)(やま)に 月かたぶきぬ

右の一首は史生(ししやう)土師宿禰道良(はにしのすくねみちよし)

大目(だいさくわん)秦忌寸八千島(はだのいみきやちしま)(たち)にして(うたげ)する歌一首

3956 ()()(あま)の (つり)する舟は 今こそば 舟棚(ふなだな)打ちて あへて()()め   故地

右は、(たち)(きやく)(をく)は、()ながらにして(そう)(かい)を望む。よりて主人(あるじ)八千島この歌を作る。

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