巻十九 4240〜4292

春日(かすが)にして神を祭る日に、藤原太后(ふぢはらのおほきさき)の作らす歌一首
すなはち、入唐(にふたう)大使(たいし)藤原朝臣清河(ふぢはらのあそみきよかは)に賜ふ 参議従四位下遣唐使

4240 大船に ()(かぢ)しじ()き この()()を (から)(くに)()る (いは)へ神たち

大使藤原朝臣清河(ふじはらのあそみきよかは)が歌一首
4241 春日(かすが)()に (いつ)くみもろの (うめ)の花 (さか)えてあり待て 帰り()るまで   

大納言藤原家にして、入唐(にうたう)使()()(せん)する(うたげ)の日の歌一首 すなはち主人(あろじ)(まへつきみ)作る
4242 (あま)(くも)の 行き帰りなむ ものゆゑに 思ひぞ我がする 別れ悲しみ

民部少輔(みんぶのせうふ)多治比真人土作(たぢひのまひとはにし)が歌一首
4243 住吉(すみのえ)に (いつ)(はふり)が (かむ)(ごと)と 行くとも()とも 船は早けむ

大使藤原朝臣清河(ふじはらのあそみきよかは)が歌一首
4244 あらたまの 年の()長く 我が思へる ()らに恋ふべき 月(ちか)づきぬ

天平五年に、入唐(にふたうし)使に贈る歌一首并せて短歌 作主いまだ(つばひ)らかにあらず   故地
4245 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波(なには)(くだ)り 住吉(すみのえ)の 御津(みつ)(ふな)乗り (ただ)渡り 日の入る国に ()けらゆる 我が背の君を かけまくの ゆゆし(かしこ)き 住吉の 我が大御神(おほみかみ) 船の()に (うしは)きいまし 船艫(ふなども)に み立たしまして さし寄らむ 磯の崎々 ()()てむ (とま)り泊りに 荒き風 波にあはせず (たひら)けく ()て帰りませ もとの朝廷(みかど)

反歌一首
4246 沖つ波 ()(なみ)な越しそ 君は船 ()ぎ帰り来て ()()つるまで

阿倍朝臣老人(あへのあそみおきな)、唐に(つか)はさえし時に、母に奉る悲別の歌一首
4247 (あま)(くも)の そきへの(きは)み 我が思へる 君に別れむ 日近くなりぬ

右の(くだり)の歌、(でん)(しよう)する人は越中(こしのみちのなか)大目(だいさくわん)高安倉人種麻呂(たかあくらじんしゅまろ)ぞ。ただし、年月の(つぎて)は、聞きし時のまにまにここに()す。

七月の十七日をもちて、少納言(せうなごん)(せん)(にん)す。よりて、悲別の歌を作り、朝集使(てうしふし)(じよう)久米朝臣広繩(くめのあそみひろつな)(たち)(おく)(のこ)す二首

すでに(ろく)(さい)()に満ち、たちまちに遷替(せんたい)(とき)()ふ。ここに、(ふる)きを別るる(かな)しびは、心中に鬱結(むすぼ)ほれ、H(なみた)(のご)ふ袖は、何をもちてか()()さむ。よりて悲歌二首を作り、もちて莫忘(ばくぼう)の志を(のこ)す。その詞に曰はく、

4248 あらたまの 年の()長く (あひ)()てし その(こころ)()き 忘らえめやも
4249 (いは)()()に (あき)(はぎ)しのぎ 馬()めて (はつ)()(がり)だに せずや別れむ   故地 

右は、八月の四日に贈る。

すなはち、大帳使(だいちやうし)に付き、八月の五日を取りて京師(みやこ)に入らむとす。これによりて、四日をもちて、(こく)(ちゆう)(そなへ)(すけ)内蔵伊美吉繩麻呂(くらのいみきつなまろ)(たち)()けて(せん)す。時に大伴宿禰家持が作る歌一首
4250 しなざかる (こし)(いつ)(とせ) 住み住みて 立ち別れまく ()しき(よひ)かも

五日の(へい)(たん)に道に(のぼ)る。よりて、国司の次官(すけ)()()の諸僚皆共に()(おく)る。時に、射水(いみづ)(こほり)大領(だいりやう)安努君広島(あののきみひろしま)が門前の林中に(あらかじ)(せん)(さん)(うたげ)()く。ここに、大帳使(だいちやうし)大伴宿禰家持、内蔵伊美吉繩麻呂(くらのいみきつなまろ)(さかづき)(ささ)ぐる歌に(こた)ふる一首
4251 (たま)(ほこ)の 道に出で立ち 行く我れは 君が(こと)()を ()ひてし行かむ

正税帳使(せいせいちやうし)(じやう)久米朝臣広繩(くめのあさみひとつな)、事(をは)り、(にん)退(まか)る。たまさかに越前(こしのみちのくち)の国の(じよう)大伴宿禰池主(いけぬし)(たち)にして()ひ、よりて共に飲楽す。時に、久米朝臣広繩、萩の花を()て作る歌一首
4252 君が家に 植ゑたる(はぎ)の 初花を 折りてかざさな 旅別るどち

大伴宿禰家持が(こた)ふる歌一首
4253 立ちて()て 待てど待ちかね ()でて()し 君にここに()ひ かざしつる(はぎ)

(あらかじ)め作る()(えん)(おう)(せう)の歌一首 (あは)せて短歌京に向ふ路の上にして、興に依りて
4254 蜻蛉島(あきづしま) 大和(やまと)の国を (あま)(くも)に (いは)(ふね)浮かべ (とも)()に ()(かい)しじ()き い()ぎつつ 国見しせして (あま)()りまし (はら)(たひら)げ 千代(ちよ)(かさ)ね いや()()ぎに 知らし()る (あま)()(つぎ)と (かむ)ながら 我が大君(おほきみ)の (あめ)(した) (をさ)めたまへば もののふの 八十(やそ)(とも)()の ()でたまひ 整へたまひ ()す国の 四方(よも)の人をも あぶさはず (めぐ)みたまへば いにしへゆ なかりし(しるし) (たび)まねく (まを)したまひぬ ()(むだ)きて 事なき御代(みよ)と 天地(あめつち) ()(つき)とともに 万代(よろづよ)に (しる)し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に ()したまひ (あき)らめたまひ (さか)みづき (さか)ゆる今日(けふ)の あやに(たふと)

反歌一首
4255 秋の花 種々(くさぐさ)にあれど 色ごとに 見し(あき)らむる 今日(けふ)(たふと)

左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)寿()くために(あらかじ)め作る歌一首
4256 いにしへに 君の()()()て (つか)へけり 我が(おほ)(ぬし)(なな)()(まを)さね

十月の二十二日に、左大弁(さだいべん)紀飯麻呂朝臣(きのいひまろのあそみ)が家にして(うたげ)する歌三首
4257 ()(つか)(ゆみ) 手に取り持ちて (あさ)(がり)に 君は立たしぬ (たな)(くら)の野に   故地

右の一首は、治部卿(ぢぶきやう)船王(ふねのおほきみ)伝誦(でんしょう)す。()()京都(みやこ)の時の歌。いまだ作主を(つまひ)らかにせず。

4258 明日香川 (かは)()を清み (おく)()て 恋ふれば都 いや遠そきぬ

右の一首は、左中弁(さちゆうべん)中臣朝臣清麻呂(なかとみのあそみきよまろ)(でん)(しよう)す。古京の時の歌。

4259 十月(かむなづき) しぐれの(つね)か 我が()()が やどの黄葉(もみちば) 散りぬべく見ゆ

右の一首は、少納言(せうなごん)大伴宿禰家持、時に当りて(なし)の黄葉を()てこの歌を作る。   

壬申(じんしん)の年の乱の平定(しづ)まりし以後(のち)の歌二首
4260 大君は 神にしませば (あか)(こま)の (はら)()()()を 都と()しつ

右の一首は、大将軍贈右大臣大伴卿(おほとものまへつきみ)が作

4261 大君は 神にしませば 水鳥(みづとり)の すだく()(ぬま)を 都と()しつ
作者いまだ(つばひ)らかにあらず
右の(くだり)の二首は、天平勝宝四年の二月の二日に聞く。すなはちここに()す。


閏の三月に、衛門督(ゑもんのかみ)大伴古慈悲宿禰(おほとものこしびのすくね)が家にして、入唐副使(にふたうふくし)同じき胡麻呂宿禰(こまろのすくね)()(せん)する歌二首
4262 (から)(くに)に ()()らはして 帰り()む ますら健男(たけを)に ()()(たてまつ)

右の一首は、多治比真人鷹主(たぢひのまひとたかぬし)、副使大伴胡麻呂宿禰を寿()く。

4263 (くし)も見じ 屋内(やぬち)()かじ 草枕(くさまくら) 旅()く君を (いは)ふと()ひて作者いまだ(つばひ)らかにあらず

右の(くだり)の歌、(でん)(しよう)するは大伴宿禰村上(おほとものすくねむらかみ)、同じき清継(きよつぐ)()ぞ。

従四位上高麗朝臣福信(こまのあそみふくしん)(みことのり)して難波(なには)(つか)はし、(しゆ)(かう)を入唐使藤原朝臣清河(ふぢはらのあそみきよかは)()に賜ふ御歌一首 (あは)せて短歌
4264 そらみつ 大和(やまと)の国は 水の(うへ)は (つち)行くごとく 船の(うへ)は (とこ)()るごと 大神(おほかみ)の (いは)へる国ぞ ()つの(ふね) (ふな)()並べ (たひら)けく 早渡り来て (かへ)(こと) (まを)さむ日に (あひ)()まむ()ぞ この(とよ)御酒(みき)

反歌一首
4265 四つの船 早帰り()と しらか付く 我が()(すそ)に (いは)ひて待たむ

右は、勅使を発遣(いだしつかは)し、并せて酒を賜ふ。(らく)(えん)の日月、詳審(つばひ)らかにすること得ず。

(みことのり)(こた)ふるために、()けて作る歌一首 (あは)せて短歌
4266 あしひきの ()()の上の (つが)の木の いや()()ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代(よろづよ)に 国知らさむと やすみしし 我が大君(おほきみ)の (かむ)ながら 思ほしめして (とよ)(あかり) ()今日(けふ)の日は もののふの 八十(やそ)(とも)()の 島山に (あか)(たちばな) うずに()し (ひも)()()けて 千年(ちとせ)寿()き 寿き(とよ)もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが(たふと)さ   

反歌一首
4267 天皇(すめろき)の 御代(みよ)万代(よろづよ)に かくしこそ ()(あき)らめめ 立つ年のはに

右の二首は、大伴宿禰家持作る。

天皇(すめらみこと)太后(おほきさき)、共に大納言藤原家に(いでま)す日に、黄葉(もみち)せる沢蘭(さはあららぎ)一株(ひともと)を抜き取りて、内侍(ないし)佐々貴山君(ささきのやまのきみ)に持たしめ、大納言藤原卿(ふぢはらのまへつきみ)陪従(べいじゆ)大夫等(だいぶら)とに(つか)はし賜ふ御歌一首
命婦(みやうぶ)()みて()はく、

4268 この(さと)は ()ぎて(しも)や置く 夏の野に 我が見し草は もみちたりけり

十一月の八日に、左大臣橘朝臣(たちばなのあそみ)(いへ)(いま)して肆宴(とよのあかり)したまふ歌四首   故地
4269 よそのみに 見ればありしを 今日(けふ)見ては 年に忘れず 思ほえむかも

右の一首は太上天皇(おほきすめらみこと)の御歌。

4270 (むぐら)()ふ (いや)しきやども (おほ)(きみ)の ()さむと知らば 玉敷かましを

右の一首は左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)

4271 (まつ)(かげ)の (きよ)浜辺(はまへ)に (たま)()かば 君来まさむか 清き浜辺に

右の一首は右大弁(うだいべん)藤原八束朝臣(ふじはらのやつかのあそみ)

4272 天地(あめつち)に ()らはし照りて 我が大君 敷きませばかも (らく)しき()(さと)()

右の一首は少納言(せうなごん)大伴宿禰家持。いまだ奏せず

二十五日に、新嘗会(にひなへのまつり)肆宴(とよのあかり)にして(みことのり)(こた)ふる歌六首
4273 天地(あめつち)と (あひ)(さか)えむと 大宮を 仕へまつれば (たふと)(うれ)しき

右の一首は大納言巨勢朝臣(こせのあそみ)

4274 (あめ)にはも 五百(いほ)(つな)()ふ 万代(よろづよ)に 国知らさむと 五百つ(つな)延ふ 古歌に似ていまだ(つばひ)らかにあらず  

右の一首は式部卿(しきびのきやう)石川年足朝臣(いしかはのとしたりのあそみ)

4275 天地(あめつち)と 久しきまでに 万代(よろずよ)に 仕へまつらむ (くろ)()(しろ)()

右の一首は従三位文屋智努真人(ふみやのちののまひと)

4276 島山に 照れる(たちばな) うずに()し 仕へまつるは 卿大夫(まへつきも)たち

右の一首は右大弁(うだいべん)藤原朝八束朝臣(ふぢはらのやつかあそみ)

4277 ()れて いざ我が園に うぐひすの ()(づた)ひ散らす (うめ)の花見に

右の一首は大和の国の(かみ)藤原永手朝臣(ふぢはらのながてあそみ)

4278 あしひきの 山下(やました)ひかげ かづらける (うへ)にやさらに 梅をしのはむ   

右の一首は少納言(せうなごん)大伴宿禰家持。

二十七日に、林王(はやしのおほきみ)(いへ)にして、但馬(たぢま)安察使(あんせつし)橘奈良麻呂朝臣(たちばなのならまろあそみ)(せん)する(うたげ)の歌三首
4279 能登川(のとがは)の (のち)には()はむ しましくも 別るといへば 悲しくもあるか

右の一首は治部卿(ぢぶきやう)船王(ふねのおほきみ)

4280 立ち別れ 君がいまさば ()()(しま)の 人は()れじく (いは)ひて待たむ

右の一首は右京少進(うきやうのせうしん)大伴宿禰黒麻呂(おほとものすくねくろまろ)

4281 白雪(しらゆき)の 降り敷く山を ()()かむ 君をぞもとな (いき)()に思ふ

左大臣、()()へて、「息の緒にする」と云ふ。しかれども、なほし(をし)へて、「前のごとく()め」と()ふ。右の一首は少納言(せうなごん)大伴宿禰家持。

五年の正月の四日に、治部少輔(ぢぶのせうふ)石上朝臣宅嗣(いそのかみのあそみやかつぐ)が家にして(うたげ)する歌三首
4282 (こと)(しげ)み (あい)()はなくに 梅の花 雪にしをれて うつろはむかも

右の一首は主人(あろじ)石上朝臣宅嗣。

4283 (うめ)の花 咲けるがなかに ふふめるは (こひ)(こも)れる 雪を待つとか

右の一首は中務大輔(なかつかさのだいふ)茨田王(まむたのおほきみ)

4284 (あらた)しき 年の初めに 思ふどち い群れて()れば (うれ)しくもあるか

右の一首は大膳大夫(だいぜんのだいぶ)道祖王(ふなどのおほきみ)

十一日に、大雪()り積みて、尺に二寸あり。よりて拙懐(せつくわい)を述ぶる歌三首
4285 大宮の (うち)にも()にも めづらしく 降れる大雪 な()みそね()
4286 ()(その)()の 竹の林に うぐひすは しば鳴きにしを 雪は降りつつ
4287 うぐひすの 鳴きし(かき)()に にほへりし (うめ)この雪に うつろふらむか

十二日に、内裏(うち)(さもら)ひて、千鳥(ちどり)()くを聞きて作る歌一首
4288 (かは)()にも 雪は降れれし 宮の内に 千鳥鳴くらし ()む所なみ

二月の十九日に、左大臣橘家の(うたげ)にして、()ぢ折れる(えだ)を見る歌一首
4289 青柳(あをやぎ)の ほつ()()ぢ取り かづらくは 君がやどにし 千年(ちとせ)寿()くとぞ   

二十三日に、興に依りて作る歌二首
4290 春の野に (かすみ)たなびき うら(がな)し この(ゆふ)(かげ)に うぐひす鳴くも
4291 我がやどの いささ(むら)(たけ) 吹く風の (おと)のかそけき この(ゆうへ)かも

二十五日に作る歌一首
4292 うらうらに ()れる(はる)()に ひばり(あが)り 心(かな)しも ひとりし(おも)へば

春日遅々(ちち)にして、??(うぐひす)(ただ)()く。悽惆(せいちう)の意、歌にあらずしては(はら)かたきのみ。よりて、この歌を作り、もちて締緒(ていしよ)()ぶ。
ただし、この巻の中に作者の名字()?()はずして、ただ年月所処(しよしよ)縁起(えんぎ)のみを(しる)せるは、皆大伴宿禰家持が裁作(つく)る歌詞なり。

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