春日にして神を祭る日に、藤原太后の作らす歌一首 すなはち、入唐大使藤原朝臣清河に賜ふ 参議従四位下遣唐使 4240 大船に 真楫しじ貫き この我子を 唐国へ遣る 斎へ神たち 大使藤原朝臣清河が歌一首 4241 春日野に 斎くみもろの 梅の花 栄えてあり待て 帰り来るまで ☆花 大納言藤原家にして、入唐使等を餞する宴の日の歌一首 すなはち主人卿作る 4242 天雲の 行き帰りなむ ものゆゑに 思ひぞ我がする 別れ悲しみ 民部少輔多治比真人土作が歌一首 4243 住吉に 斎く祝が 神言と 行くとも来とも 船は早けむ 大使藤原朝臣清河が歌一首 4244 あらたまの 年の緒長く 我が思へる 子らに恋ふべき 月近づきぬ 天平五年に、入唐使に贈る歌一首并せて短歌 作主いまだ詳らかにあらず ☆故地 4245 そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波に下り 住吉の 御津に船乗り 直渡り 日の入る国に 任けらゆる 我が背の君を かけまくの ゆゆし畏き 住吉の 我が大御神 船の舳に 領きいまし 船艫に み立たしまして さし寄らむ 磯の崎々 漕ぎ泊てむ 泊り泊りに 荒き風 波にあはせず 平けく 率て帰りませ もとの朝廷に 反歌一首 4246 沖つ波 辺波な越しそ 君は船 漕ぎ帰り来て 津に泊つるまで 阿倍朝臣老人、唐に遣はさえし時に、母に奉る悲別の歌一首 4247 天雲の そきへの極み 我が思へる 君に別れむ 日近くなりぬ 右の件の歌、伝誦する人は越中の大目高安倉人種麻呂ぞ。ただし、年月の次は、聞きし時のまにまにここに載す。 七月の十七日をもちて、少納言に遷任す。よりて、悲別の歌を作り、朝集使掾久米朝臣広繩が館に贈り貽す二首
すでに六載の期に満ち、たちまちに遷替の運に値ふ。ここに、旧きを別るる悽しびは、心中に鬱結ほれ、Hを拭ふ袖は、何をもちてか能く旱さむ。よりて悲歌二首を作り、もちて莫忘の志を遺す。その詞に曰はく、 4248 あらたまの 年の緒長く 相見てし その心引き 忘らえめやも 4249 石瀬野に 秋萩しのぎ 馬並めて 初鳥猟だに せずや別れむ ☆故地 ☆花 右は、八月の四日に贈る。 すなはち、大帳使に付き、八月の五日を取りて京師に入らむとす。これによりて、四日をもちて、国廚の饌を介内蔵伊美吉繩麻呂が館に設けて餞す。時に大伴宿禰家持が作る歌一首 4250 しなざかる 越に五年 住み住みて 立ち別れまく 惜しき宵かも 五日の平旦に道に上る。よりて、国司の次官已下の諸僚皆共に視送る。時に、射水の郡の大領安努君広島が門前の林中に預め餞饌の宴を設く。ここに、大帳使大伴宿禰家持、内蔵伊美吉繩麻呂の盞を捧ぐる歌に和ふる一首 4251 玉桙の 道に出で立ち 行く我れは 君が事跡を 負ひてし行かむ 正税帳使、掾久米朝臣広繩、事畢り、任に退る。たまさかに越前の国の掾大伴宿禰池主が館にして遇ひ、よりて共に飲楽す。時に、久米朝臣広繩、萩の花を矚て作る歌一首 4252 君が家に 植ゑたる萩の 初花を 折りてかざさな 旅別るどち 大伴宿禰家持が和ふる歌一首 4253 立ちて居て 待てど待ちかね 出でて来し 君にここに逢ひ かざしつる萩 預め作る侍宴応詔の歌一首 并せて短歌京に向ふ路の上にして、興に依りて 4254 蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐船浮かべ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と 神ながら 我が大君の 天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男の 撫でたまひ 整へたまひ 食す国の 四方の人をも あぶさはず 恵みたまへば いにしへゆ なかりし瑞 度まねく 申したまひぬ 手抱きて 事なき御代と 天地 日月とともに 万代に 記し継がむぞ やすみしし 我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき 栄ゆる今日の あやに貴さ 反歌一首 4255 秋の花 種々にあれど 色ごとに 見し明らむる 今日の貴さ 左大臣橘卿を寿くために預め作る歌一首 4256 いにしへに 君の三代経て 仕へけり 我が大主は七代申さね 十月の二十二日に、左大弁紀飯麻呂朝臣が家にして宴する歌三首 4257 手束弓 手に取り持ちて 朝猟に 君は立たしぬ 棚倉の野に ☆故地 右の一首は、治部卿船王伝誦す。久邇の京都の時の歌。いまだ作主を詳らかにせず。 4258 明日香川 川門を清み 後れ居て 恋ふれば都 いや遠そきぬ 右の一首は、左中弁中臣朝臣清麻呂伝誦す。古京の時の歌。 4259 十月 しぐれの常か 我が背子が やどの黄葉 散りぬべく見ゆ 右の一首は、少納言大伴宿禰家持、時に当りて梨の黄葉を矚てこの歌を作る。 ☆花 壬申の年の乱の平定まりし以後の歌二首 4260 大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居を 都と成しつ 右の一首は、大将軍贈右大臣大伴卿が作。 4261 大君は 神にしませば 水鳥の すだく水沼を 都と成しつ 作者いまだ詳らかにあらず 右の件の二首は、天平勝宝四年の二月の二日に聞く。すなはちここに載す。
閏の三月に、衛門督大伴古慈悲宿禰が家にして、入唐副使同じき胡麻呂宿禰等を餞する歌二首 4262 唐国に 行き足らはして 帰り来む ますら健男に 御酒奉る 右の一首は、多治比真人鷹主、副使大伴胡麻呂宿禰を寿く。 4263 櫛も見じ 屋内も掃かじ 草枕 旅行く君を 斎ふと思ひて作者いまだ詳らかにあらず 右の件の歌、伝誦するは大伴宿禰村上、同じき清継等ぞ。
従四位上高麗朝臣福信に勅して難波に遣はし、酒肴を入唐使藤原朝臣清河等に賜ふ御歌一首 并せて短歌 4264 そらみつ 大和の国は 水の上は 地行くごとく 船の上は 床に居るごと 大神の 斎へる国ぞ 四つの船 船の舳並べ 平けく 早渡り来て 返り言 奏さむ日に 相飲まむ酒ぞ この豊御酒は 反歌一首 4265 四つの船 早帰り来と しらか付く 我が裳の裾に 斎ひて待たむ 右は、勅使を発遣し、并せて酒を賜ふ。楽宴の日月、詳審らかにすること得ず。 詔に応ふるために、儲けて作る歌一首 并せて短歌 4266 あしひきの 八つ峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして 豊の宴 見す今日の日は もののふの 八十伴の男の 島山に 赤る橘 うずに刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ ☆花 反歌一首 4267 天皇の 御代万代に かくしこそ 見し明らめめ 立つ年のはに 右の二首は、大伴宿禰家持作る。 天皇、太后、共に大納言藤原家に幸す日に、黄葉せる沢蘭一株を抜き取りて、内侍佐々貴山君に持たしめ、大納言藤原卿と陪従の大夫等とに遣はし賜ふ御歌一首 命婦誦みて曰はく、 4268 この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に 我が見し草は もみちたりけり 十一月の八日に、左大臣橘朝臣が宅に在して肆宴したまふ歌四首 ☆故地 4269 よそのみに 見ればありしを 今日見ては 年に忘れず 思ほえむかも 右の一首は太上天皇の御歌。 4270 葎延ふ 賤しきやども 大君の 座さむと知らば 玉敷かましを 右の一首は左大臣橘卿。 4271 松陰の 清き浜辺に 玉敷かば 君来まさむか 清き浜辺に 右の一首は右大弁藤原八束朝臣。 4272 天地に 足らはし照りて 我が大君 敷きませばかも 楽しき小里 右の一首は少納言大伴宿禰家持。いまだ奏せず 二十五日に、新嘗会の肆宴にして詔に応ふる歌六首 4273 天地と 相栄えむと 大宮を 仕へまつれば 貴く嬉しき 右の一首は大納言巨勢朝臣。 4274 天にはも 五百つ綱延ふ 万代に 国知らさむと 五百つ綱延ふ 古歌に似ていまだ詳らかにあらず ☆花 右の一首は式部卿石川年足朝臣。 4275 天地と 久しきまでに 万代に 仕へまつらむ 黒酒白酒を 右の一首は従三位文屋智努真人。 4276 島山に 照れる橘 うずに刺し 仕へまつるは 卿大夫たち 右の一首は右大弁藤原朝八束朝臣。 4277 袖垂れて いざ我が園に うぐひすの 木伝ひ散らす 梅の花見に 右の一首は大和の国の守藤原永手朝臣。 4278 あしひきの 山下ひかげ かづらける 上にやさらに 梅をしのはむ ☆花 右の一首は少納言大伴宿禰家持。 二十七日に、林王が宅にして、但馬の安察使橘奈良麻呂朝臣を餞する宴の歌三首 4279 能登川の 後には逢はむ しましくも 別るといへば 悲しくもあるか 右の一首は治部卿船王。 4280 立ち別れ 君がいまさば 磯城島の 人は我れじく 斎ひて待たむ 右の一首は右京少進大伴宿禰黒麻呂。 4281 白雪の 降り敷く山を 越え行かむ 君をぞもとな 息の緒に思ふ 左大臣、尾を換へて、「息の緒にする」と云ふ。しかれども、なほし喩へて、「前のごとく誦め」と曰ふ。右の一首は少納言大伴宿禰家持。 五年の正月の四日に、治部少輔石上朝臣宅嗣が家にして宴する歌三首 4282 言繁み 相問はなくに 梅の花 雪にしをれて うつろはむかも 右の一首は主人石上朝臣宅嗣。 4283 梅の花 咲けるがなかに ふふめるは 恋か隠れる 雪を待つとか 右の一首は中務大輔茨田王。 4284 新しき 年の初めに 思ふどち い群れて居れば 嬉しくもあるか 右の一首は大膳大夫道祖王。 十一日に、大雪落り積みて、尺に二寸あり。よりて拙懐を述ぶる歌三首 4285 大宮の 内にも外にも めづらしく 降れる大雪 な踏みそね惜し 4286 御園生の 竹の林に うぐひすは しば鳴きにしを 雪は降りつつ 4287 うぐひすの 鳴きし垣内に にほへりし 梅この雪に うつろふらむか 十二日に、内裏に侍ひて、千鳥の喧くを聞きて作る歌一首 4288 川洲にも 雪は降れれし 宮の内に 千鳥鳴くらし 居む所なみ 二月の十九日に、左大臣橘家の宴にして、攀ぢ折れる柳の条を見る歌一首 4289 青柳の ほつ枝攀ぢ取り かづらくは 君がやどにし 千年寿くとぞ ☆花 二十三日に、興に依りて作る歌二首 4290 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも 4291 我がやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも 二十五日に作る歌一首 4292 うらうらに 照れる春日に ひばり上り 心悲しも ひとりし思へば 春日遅々にして、??正に啼く。悽惆の意、歌にあらずしては撥ひかたきのみ。よりて、この歌を作り、もちて締緒を展ぶ。 ただし、この巻の中に作者の名字を?はずして、ただ年月所処縁起のみを録せるは、皆大伴宿禰家持が裁作る歌詞なり。 |