巻二十 4321〜4394

天平勝宝七歳乙未(きのとひつじ)の二月に、(あひ)(かは)りて筑紫(つくし)(つか)はさゆる諸国の防人(さきもり)()が歌

4321 (かしこ)きや 命被(みことかがふ)り 明日(あす)ゆりや (かえ)(むた)寝む (いも)なしにして

右の一首は国造丁(くにのみやつこのちやう)長下(ながのしも)(こほり)物部秋持(もののべのあきもち)

4322 ()(つま)は いたく()ひらし 飲む水に (かご)さへ見へて よに(わす)られず

右の一首は主帳丁(しゆちやうのちやう)(あら)(たま)(こほり)若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ)

4323 時々(ときどき)の 花は咲けども 何すれぞ (はは)とふ花の 咲き()()ずけむ   

右の一首は防人(さきもり)山名(やまな)(こほり)丈部真麻呂(はせべのままろ)

4324 遠江(とへたほみ) ()()()(いそ)と ()()(うら)と 合ひてしあらば (こと)(かゆ)はむ   故地

右の一首は同じき(こほり)丈部川相(はせべのかはひ)

4325 父母(ちちはは)も 花にもがもや 草枕(くさまくら) (たび)()くとも (ささ)ごて()かむ

右の一首は佐野(さの)(こほり)丈部黒当(はせべのくろまさ)

4326 父母(ちちはは)が 殿(との)後方(しりへ)の ももよ(ぐさ) (もも)()いでませ ()(きた)るまで

右の一首は同じき(こほり)生玉部足国(いくたまべのたりくに)

4327 ()が妻も ()()き取らむ (いつま)もが 旅()()れは 見つつ(しの)はむ

右の一首は長下(ながのしも)(こほり)物部古麻呂(もののべのこまろ)


二月の六日、防人部領使(さきもりのことりづかひ)遠江(とほつあふみ)の国の史生(ししやう)坂本朝臣人上(さかもとのあそみひとかみ)(たてまつ)る歌の(かず)十八首。ただし、(せつ)(れつ)の歌十一首有るは取り()せず。

4328 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み 磯に()り 海原(うのはら)渡る 父母(ちちはは)を置きて

右の一首は助丁(じよちやう)丈部造人麻呂(はせべのみやつこほとまろ)

4329 八十(やそ)(くに)は 難波(なには)(つど)ひ (ふな)かざり ()がせむ日ろを 見も人もがも

右の一首は足下(あしがらのしも)の郡の上丁(じやうちやう)丹比部国人(たぢひべのくにひと)

4330 難波(なには)()に (よそ)(よそ)ひて 今日(けふ)の日や ()でて(まか)らむ 見る(はは)なしに

右の一首は鎌倉(かまくら)(こほり)上丁(じやうちやう)丸子連多麻呂(まろこのむらじおほまろ)


二月の七日、相模(さがむ)国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)(かみ)従五位下藤原朝臣宿奈麻呂(ふぢはらのあそみすくなまろ)(たてまつ)る歌の(かず)八首。ただし、(せつ)(れつ)の歌五首は取り()せず。

追ひて、防人(さきもり)の悲別の心を痛みて作る歌一首(あは)せて短歌

4331 大君の (とほ)朝廷(みかど)と しらぬひ 筑紫(つくし)の国は (あた)まもる おさへの()ぞと きこしをす 四方(よも)の国には 人さはに 満ちてはあれど 鶏が鳴く (あづまをのこ)男は ()(むか)ひ かへり見せずて 勇みたる (たけ)軍士(いくさ)と ねぎたまひ ()けのまにまに たらちねの 母が目()れて 若草の 妻をもまかず あらたまの 月日()みつつ (あし)が散る 難波(なには)()()に 大船に 真(かい)しじ()き 朝なぎに ()()ととのへ (ゆふ)(しほ)に (かじ)()()り (あども)ひて ()()く君は 波の()を い()きさぐくみ ま(さき)くも 早く(いた)りて 大君の (みこと)のまにま ますらをの 心を持ちて あり(めぐ)り 事し(をは)らば つつまはず 帰り来ませと (いわ)(ひへ)を (とこ)()()ゑて (しろ)(たへ)の 袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き()を 待ちかも恋ひむ ()しき妻らは
4332 ますらをの (ゆき)取り負ひて ()でて行けば 別れを()しみ 嘆きけむ妻
4333 (とり)が鳴く (あづま)壮士(をとこ)の 妻別れ 悲しくありけむ 年の()長み

右は、二月の八日、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持。

4334 海原(うなはら)を 遠く渡りて 年()とも ()らが結べる (ひも)()くなゆめ
4335 (かは)る (にひ)防人(さきもり)が 船出(ふなで)する 海原(うなはら)(うへ)に 波なさきそね
4336 防人(さきもり)の 堀江(ほりえ)()()る 伊豆(いづ)()(ぶね) (かぢ)取る()なく 恋は(しげ)けむ

右は、九日に大伴宿禰家持作る。

4337 (みづ)(とり)の ()ちの急ぎに 父母(ちちはは)に 物()()にて 今ぞ(くや)しき

右の一首は上丁(じやうちやう)有度部牛麻呂(うとべのうしまろ)

4338 畳薦(たたみけめ) ()()()が磯の (はな)()の 母を離れて ()くが悲しさ

右の一首は助丁(じよちやう)生部道麻呂(みぶべのみちまろ)

4339 (くに)(めぐ)る あとりかまけり ()き廻り (かひ)()までに (いは)ひて待たね

右の一首は刑部虫麻呂(おさかべのむしまろ)


4340 父母(とちはは)え (いは)ひて待たね 筑紫(つくし)なる 水漬(みづ)く白玉 取りて()までに

右の一首は川原虫麻呂(かはらのむしまろ)

4341 (たちばな)の ()()()の里に 父を置きて 道の(なが)()は ()きかてのかも   故地

右の一首は丈部足麻呂(はせべのたりまろ)

4342 真木(まけ)(ばしら) ほめて(つく)れる 殿(との)のごと いませ(はは)()() (おめ)(がは)りせず

右の一首は坂田部首麻呂(さかたべのおびとまろ)

4343 ()ろ旅は 旅と(おめ)ほど (いひ)にして ()()()すらむ ()()(かな)しも

右の一首は玉作部広目(たまつくりべのひろめ)

4344 忘らむて 野()き山()き ()()れど ()が父母は 忘れせのかも

右の一首は商長首麻呂(あきのをさのおびとまろ)

4345 我妹子(わぎめこ)と 二人(ふたり)()が見し うち()する 駿河(するが)()らは (くふ)しくめあるか

右の一首は春日部麻呂(かすがべのまろ)

4346 父母(ちちはは)が 頭掻(かしらか)()で ()くあれて 言ひし(けと)()ぜ 忘れかねつる

右の一首は丈部稲麻呂(はせべのいなまろ)


二月の七日、駿河(するが)の国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)(かみ)従五位下布勢朝臣人主(ふせのあそみひとぬし)(まこと)(たてまつ)るは九日、歌の(かず)二十首。ただし、(せつ)(れつ)の歌は取り()せず。

右の一首は国造丁(くにのみやつこのちやう)日下部使主三中(くさかべのおみみなか)が父の歌。

4348 たらちねの 母を別れて まこと()れ 旅の仮廬(かりほ)に 安く寝むかも

右の一首は国造丁(くにのみやつこのちやう)日下部使主三中(くさかべのおみみなか)

4349 (もも)(くま)の 道は()にしを またさらに 八十(やそ)(しま)過ぎて 別れか()かむ

右の一首は助丁(じようちやう)刑部直三野(おさかべのあたひみの)

4350 (には)(なか)の ()()()(かみ)に ()(しば)さし ()れは(いは)はむ 帰り()までに

右の一首は主帳丁(しゆちやうのちやう)若麻続部諸人(わかをみべのもろひと)

4351 旅衣(たびころも) 八重(やへ)()(かさ)ねて ()のれども なほ(はだ)寒し (いも)にしあらねば

右の一首は望陀(まぐた)(こほり)上丁(じやうちやう)玉造部国忍(たまつくりべのくにおし)   故地

4352 道の()の (うまら)(うれ)に ()(まめ)の からまる君を はかれか()かむ    

右の一首は(あま)()(こほり)上丁(じやうちやう)丈部鳥(はせべのとり)

4353 (いへ)(かぜ)は 日に日に吹けど 我妹子(わぎもこ)が (いへ)(ごと)持ちて ()る人もなし

右の一首は(あさ)(ひな)(こほり)上丁(じやうちやう)丸子連大歳(まろこのむらじおほとし)

4354 ()(こも)の ()ちの(さわ)きに (あひ)()てし (いも)が心は 忘れせぬかも

右の一首は(なが)()(こほり)上丁(じやうちやう)丈部与呂麻呂(はせべのよろまろ)

4355 よそにのみ 見てや(わた)らも 難波(なには)(がた) (くも)()に見ゆる 島ならなくに

右の一首は()()(こほり)上丁(じやうちやう)丈部山代(はせべのやましろ)

4356 ()が母の 袖もち()でて ()がからに 泣きし心を 忘らえぬかも

右の一首は山辺(やまのへ)(こほり)上丁(じやうちやう)物部乎刀良(もののべのをとら)

4357 (あし)(かき)の (くま)()に立ちて 我妹子(わぎもこ)が 袖もしほほに 泣きしぞ()はゆ   

右の一首は市原(いちはら)(こほり)上丁(じやうちやう)刑部直千国(おさかべのあたひちくに)

4358 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み ()()れば ()の取り付きて 言ひし()なはも

右の一首は()()(こほり)上丁(じやうちやう)物部龍(もののべのたつ)

4359 筑紫(つくし)()に ()()かる船の いつしかも (つか)へまつりて 国に()()かも

右の一首は長柄(ながら)(こほり)上丁(じやうちやう)若麻続部羊(わかをみべのひつじ)


二月の九日、上総(かみつふさ)国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)少目(せうさくわん)従七位下茨田連沙弥麻呂(まむだのむらじさみまろ)(たてまつ)る歌の(かず)十九首。ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り()せず。

(ひそ)かなる(せつ)(くわい)()ぶる一首 (あは)せて短歌   故地
4360 すめろきの 遠き()()にも おしてる 難波(なには)の国に (あめ)(した) 知らしめしきと 今の()に 絶えず言ひつつ かけまくも あやに(かしこ)し 神ながら ()ご大君の うち(なび)く 春の初めは 八千種(やちくさ)に 花咲きにほひ 山見れば 見のともしく 川見れば 見のさやけく ものごとに (さか)ゆる時と ()したまひ 明らめたまひ 敷きませる 難波(なには)の宮は きこしをす 四方(よも)の国より (たてまつ)る 御調(みつき)の舟は 堀江より 水脈(みを)引きしつつ 朝なぎに (かぢ)引き(のぼ)り 夕潮(ゆふしほ)に (さを)さし(くだ)り あぢ(むら)の (さわ)(きほ)ひて 浜に()でて 海原(うなはら)見れば 白波の 八重(やへ)をるが(うへ)に 海人(あま)小舟(をぶね) はららに浮きて 大御食(おほみけ)に (つか)へまつると をちこちに (いざ)り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも ここ見れば うべし神代(かむよ)ゆ 始めけらしも
4361 桜花(さくらばな) 今盛りなり 難波(なには)の海 おしてる宮に きこしめすなへ   
4362 海原(うなはら)の ゆたけき見つつ (あし)が散る 難波(なには)に年は ()ぬべく思ほゆ

右は、二月の十三日、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持。

4363 難波(なには)()に ()(ふね)()()ゑ 八十(やそ)()()き 今は()ぎぬと (いも)に告げこそ
4364 防人(さきむり)に 立たむ(さわ)きに 家の(いむ)が ()るべきことを 言はず()ぬかも

右の二首は茨城(うばらき)(こほり)若舎人部広足(わかとねりべのひろたり)

4365 おしてるや 難波(なには)の津ゆり (ふな)(よそ)ひ ()れは()ぎぬと (いも)()ぎこそ
4366 常陸(ひたち)さし ()かむ(かり)もが ()が恋を (しる)して付けて (いも)に知らせむ

右の二首は()()(こほり)物部道足(もののべのみちたり)

4367 ()(もて)の 忘れもしだは 筑波(つくは)()を ()()け見つつ (いも)(しぬ)はね   故地

右の一首は茨城(うばらき)(こほり)占部小龍(うらべのをたつ)

4368 ()()(がは)は (さけ)くあり待て (しほ)(ぶね)に ま(かぢ)しじ()き ()は帰り()む   故地

右の一首は久慈(くじ)(こほり)丸子部佐壮(まろこべのすけを)

4369 筑波(つくは)()の 百合(ゆる)の花の ()(とこ)にも (かな)しけ(いも)ぞ 昼も(かな)しけ   
4370 霰降(あられふ)り 鹿島(かしま)の神を 祈りつつ 皇御軍士(すめらみくさ)に ()れは()にしを   故地

右の二首は()()(こほり)上丁(じやうちやう)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)

4371 (たちばな)の (した)吹く風の かぐはしき 筑波(つくは)の山を 恋ひずあらめかも   

右の一首は助丁(じよちやう)占部広方(うらべのひろかた)

4372 足柄(あしがら)の み(さか)(たま)はり かへり見ず ()れは()()く あらしをも ()しやはばかる 不破(ふは)の関 ()えて()()く (むま)(つめ) 筑紫(つくし)(さき)に ()まり()て ()れは(いは)はむ (もろもろ)は (さけ)くと(まを)す 帰り()までに   故地

右の一首は倭文部可良麻呂(しとりべのからまろ)


二月の十四日、常陸(ひたち)の国の部領防人使(さきもりのことりづかひ)大目(だいさくわん)正七位上息長真人国島(おきながのまひとくにしま)(たてまつ)る歌の(かず)十七首。ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り()せず。

4373 今日(けふ)よりは かへり見なくて (おほ)(きみ)の (しこ)()(たて)と ()で立つ()れは

右の一首は火長(くわちやう)今奉部与曾布(いままつりべのよそふ)


4374 (あめ)(つち)の 神を(いの)りて さつ()()き 筑紫(つくし)の島を さして()()

右の一首は火長(くわちやう)大田部荒耳(おほたべのあらみみ)


4375 (まつ)()の ()みたる見れば (いは)(びと)の 我れを見送ると 立たりしもころ

右の一首は火長(くわちやう)物部真島(もののべのましま)


4376 ()きに ()くと知らずて (あも)(しし)に (こと)(まを)さずて 今ぞ(くや)しけ

右の一首は(さむ)(かは)(こほろ)上丁(じやうちやう)川上臣老(かはかみのおみおゆ)


4377 (あも)()()も 玉にもがもや (いただ)きて みづらの中に ()へ巻かまくも

右の一首は津守宿禰小黒栖(つもりのすくねをぐろす)


4378 月日(つくひ)やは ()ぐは()けども (あも)(しし)が 玉の姿は 忘れせなふも

右の一首は()()(こほり)上丁(じやうちやう)中臣部足国(なかとみべのたりくに)


4379 白波の ()そる浜辺(はまへ)に 別れなば いともすべなみ 八度(やたび)袖振る

右の一首は足利(あしかが)(こほり)上丁(じやうちやう)大舎人部禰麻呂(おほとねりべのねまろ)


4380 難波(なには)()を ()()て見れば (かみ)さぶる 生駒(いこま)(たか)()に 雲ぞたなびく   故地

右の一首は梁田(やなだ)(こほり)上丁(じやうちやう)大田部三成(おほたべのみなり)


4381 国々の 防人(さきもり)(つど)ひ (ふな)()りて 別るを見れば いともすべなし   故地

右の一首は河内(かふち)(こほり)上丁(じやうちやう)神麻続部島麻呂(かむをみべのしままろ)


4382 ふたほがみ ()しけ人なり あたゆまひ ()がする時に 防人(さきもり)にさす

右の一首は那須(なす)(こほり)上丁(じやうちやう)大伴部広成(おほともべのひろなり)


4383 摂津()の国の 海の(なぎさ)に (ふな)(よそ)ひ ()()も時に (あも)が目もがも

右の一首は塩屋(しほのや)(こほり)上丁(じやうちやう)丈部足人(はせべのたりひと)


二月の十四日、下野(しもつけの)の国の防人部領使(さきもりのことりづかい)正六位上田口朝臣大戸(たのくちのあそみおほへ)(たてまつ)る歌の(かず)十八首。ただし、(せつ)(れつ)の歌は取り()せず。


4384 (あかとき)の かはたれ(どき)に (しま)(かぎ)を ()ぎにし船の たづき知らずも

右の一首は助丁(じよちやう)(うな)(かみ)(こほり)(うな)(かみ)国造(くにのみやつこ)他田日奏直得大理(をさたのひまつりのあたひとこたり)


4385 ()(さき)に 波なとゑらひ 後方(しるへ)には 子をと妻をと 置きてとも()

右の一首は葛飾(かづしか)(こほり)私部石島(きさきべのいそしま)


4386 ()(かづ)の (いつもと)(やなぎ) いつもいつも (おも)(こひ)すす ()りましつしも   

右の一首は(ゆふ)()(こほり)矢作部真長(やはぎべのまなか)


4387 千葉(ちば)()の (この)()(かしは)の ほほまれど あやに(かな)しみ 置きて()()ぬ   

右の一首は千葉(ちば)(こほり)大田部足人(おほたべのたりひと)


4388 旅とへど ()(たび)になりぬ 家の()が ()せし(ころも)に (あか)()きにかり

右の一首は占部虫麻呂(うらべのむしまろ)


4389 (しほ)(ふね)の ()()白波(しらなみ) にはしくも ()ふせたまほか (おも)はへなくに

右の一首は印波(いには)(こほり)丈部直大麻呂(はせべのあたひおほまろ)


4390 (むら)(たま)の (くる)にくぎさし (かた)めとし (いも)が心は (あよ)くなめかも

右の一首は?()(しま)(こほり)刑部志加麻呂(おさかべのしかまろ)


4391 国々の (やしろ)の神に (ぬさ)(まつ)り 贖祈(あがこひ)すなむ (いも)(かな)しき

右の一首は(ゆふ)()(こほり)忍海部五百麻呂(おしぬみべのいほまろ)


4392 天地(あめつし)の いづれの神を (いの)らばか (うつくし)(はは)に また(こと)とはむ

右の一首は埴生(はにふ)(こほり)大伴部麻与佐(おほともべのまよさ)


4393 大君(おほきみ)の (みこと)にされば 父母(ちちはは)を 斎瓮(いはひへ)と置きて ()出来(でき)にしを

右の一首は(ゆふ)()(こほり)雀部広島(さざきべのひろしま)


4394 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み 弓の(みた) さ()かわたらむ 長けこの()

右の一首は相馬(さうま)(こほり)大伴部子羊(おほともべのこひつじ)


二月の十六日、下総(しもつふさ)の国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)少目(せうさくわん)従七位下県犬養宿禰浄人(あがたのいぬかひのすくねきよひと)(たてまつ)る歌の数二十二首。ただし、拙劣(せつれつ)の歌は取り()せず。

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