巻二十 4395〜4436

(ひと)(たつ)()(やま)桜花(さくらばな)()しむ歌一首   
4395 龍田山 見つつ越え()し (さくらばな)花 散りか過ぎなむ ()が帰るとに

(ひと)(かう)(すい)に浮かび(ただよ)木屑(こつみ)を見、(かひ)(たま)()らぬことを怨恨(うら)みて作る歌一首
4396 堀江(ほりえ)より (あさ)(しほ)()ちに 寄る木屑(こつみ) (かひ)にありせば つとにせましを

(たち)(かど)()りて、(かう)(なん)美女(びぢょ)()て作る歌一首
4397 見わたせば (むか)()()の 花にほひ 照りて立てるは ()しき()が妻

右の三首は、二月の十七日に兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴家持作る。

防人(さきもり)(こころ)()り思ひを()べて作る歌一首 (あは)せて短歌
4398 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み 妻別れ 悲しくはあれど ますらをの 心振り起し 取り(よそ)ひ 門出(かどで)をすれば たらちねの 母()()で 若草の 妻取り付き (たひら)けく 我れは(いは)はむ ま(さき)くて (はや)帰り()と 真袖(まそで)もち 涙を(のご)ひ むせひつつ (こと)どひすれば 群鳥(むらとり)の ()で立ちかてに とどこほり かへり見しつつ いや(とほ)に 国を()(はな)れ いや(たか)に 山を越え過ぎ (あし)が散る 難波(なには)()()て 夕潮(ゆふしほ)に 船を浮け()ゑ 朝なぎに ()()()がむと さもらふと 我が()る時に 春霞(はるかすみ) (しま)みに立ちて (たづ)()の 悲しく鳴けば はろはろに 家を思ひ出 ()征矢(そや)の そよと鳴るまで 嘆きつるか( )
4399 海原(うなはら)に (かすみ)たなびき (たづ)()の 悲しき(よひ)は (くに)()に思ほゆ
4400 家思ふと ()()()れば (たづ)が鳴く (あし)()も見えず 春の(かすみ)に   

右は、十九日に兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴家持作る。

4401 唐衣(からころむ) (すそ)に取り付き 泣く子らを ()きてぞ()のや (おも)なしにして

右の一首は国造(くにのみやつこ)小県(ちひさがた)(こほり)他田舎人大島(をさだのとねりおほしま)

4402 ちはやぶる (かみ)のみ(さか)に (ぬさ)(まつ)り (いは)(いのち)は (おも)(ちち)がため   故地

右の一首は主帳(しゆちやう)埴科(はにしな)(こほり)神人部子忍男(みわひとべのおしを)   故地

4403 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み 青雲(あをくむ)の とのびく山を ()よて()のかむ

右の一首は小長谷部笠麻呂(こはつせべのかさまろ)
二月の二十二日。信濃(しなの)の国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)、道に(のぼ)り、(やまひ)を得て()ず。(たてまつ)る歌の数十二首。ただし、(せつ)(れつ)の歌は取り()せず。


4404 難波(なには)()を ()きて()までと 我妹子(わぎもこ)が ()けし(ひも)() ()えにけるかも

右の一首は助丁(じよちやう)上毛野牛甘(かみつけののうしかひ)

4405 ()妹子(いもこ)が (しの)ひにせよと ()けし紐 糸になるとも ()()かじとよ

右の一首は朝倉益人(あさくらのますひと)

4406 ()(いは)ろに ()かも人もが 草枕 旅は苦しと ()()らまくも

右の一首は大伴部節麻呂(おほともべのふしまろ)

4407 ひな(くも)り 碓氷(うすひ)(さか)を 越えしだに (いも)(こひ)しく 忘らえぬかも   故地

右の一首は他田部子磐前(をさたべのこいはさき)

月の二十三日、上野(かみつけの)の国の防人部領使(さきもりのことりづかひ)大目(だいさくわん)正六位下上毛野君駿河(かみつけののきみするが)(たてまつ)る歌の数十二首。ただし、(せつ)(れつ)の歌は取り()せず。

防人が悲別の(こころ)()ぶる歌一首 (あは)せて短歌
4408 大君(おほきみ)の ()けのまにまに (しま)(もり)に ()()()れば ははそ()の (はは)(みこと)は み()(すそ) ()()()()で ちちの()の (ちち)の命は (たく)づのの (しら)ひげの(うへ)ゆ (なみだた)垂り 嘆きのたばく 鹿()()じもの ただひとりして (あさ)()()の (かな)しき我が子 あらたまの 年の()長く (あひ)()ずは (こひ)しくあるべし 今日(けふ)だにも  (こと)どひせむと ()しみつつ 悲しびませば 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに(かく)() 春鳥の 声のさまよひ (しろ)(たへ)の (そで)()らし たづさはり 別れかてにと 引き(とど)め (した)ひしものを 大君の (みことかしこ)畏み (たま)(ほこ)の 道に()で立ち (をか)(さき) い()むるごとに (よろづ)たび かへり見しつつ はろはろに 別れし()れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる (いのち)も知らず 海原(うなばら)の (かしこ)き道を 島(づた)ひ い()ぎ渡りて あり(めぐ)り ()が来るまでに (たいら)けく 親はいまさね (つつ)みなく 妻は待たせと 住吉(すみのえ)の ()()(かみ)に (ぬさ)(まつ)り (いの)(まお)して 難波(なには)()に 船を浮け()ゑ 八十(やそ)()()き 水手(かこ)ととのへて (あさ)(びら)き ()()()ぬと 家に告げこそ 
4409 (いへ)(ひと)の (いは)へにかあらむ (たひら)けく 船出(ふなで)はしぬと 親に(まを)さね
4410 み空()く 雲も使(つかひ)と 人は言へど 家づと()らむ たづき知らずも
4411 家づとに 貝ぞ(ひり)へる (はま)(なみ)は いやしくしくに 高く寄すれど
4412 (しま)(かげ)に ()が船()てて ()()らむ 使(つかひ)をなやみ 恋ひつつ()かむ

二月の二十三日、兵部大輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持。

4413 枕大刀(まくらたし) 腰に()()き ま(かな)しき ()ろが()()む (つく)の知らなく

右の一首は上丁(じやうちやう)()()(こほり)檜前舎人石前(ひのくまのとねりいはさき)()大伴部真足女(おほともべのまたりめ)

4414 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み (うつく)しけ 真子(まこ)()(はな)り (しま)(づた)()

右の一首は助丁(じよちやう)秩父(ちちぶ)(こほり)大伴部小歳(おほともべのをとし)

4415 (しら)(たま)を 手に()()して 見るのすも (いへ)なる(いも)を また見てももや

右の一首は主帳(しゆちやう)荏原(えばら)(こほり)物部歳徳(もののべのとしとこ)

4416 草枕(くさまくら) 旅()()なが (まる)()せば (いは)なる()れは (ひも)()かず()

右の一首は()椋椅部刀自売(くらはしべのとじめ)

4417 (あか)(ごま)を (やま)()にはかし ()りかにて 多摩(たま)横山(よこやま) 徒歩(かし)ゆか()らむ   故地

右の一首は豊島(としま)(こほり)上丁(じやうちやう)椋椅部荒虫(くらはしべのあらむし)()宇遅部黒女(うぢべのくろめ)

4418 ()(かど)の 片山(かたやま)椿(つばき) まこと()れ 我が手()れなな (つち)()ちもかも   

右の一首は荏原(えばら)(こほり)上丁(じやうちやう)物部広足(もののべのひろたり)

4419 (いは)ろには (あし)()()けども ()みよけを 筑紫(つくし)(いた)りて (こふ)しけ()はも

右の一首は橘樹(たちばな)(こほり)上丁(じやうちやう)物部真根(もののべのまね)

4420 草枕 旅の(まる)()の (ひも)絶えば ()が手と付けろ これの(はる)()

右の一首は()椋椅部弟女(くらはしべのおとめ)

4421 ()()きの (いき)づくしかば 足柄(あしがら)の (みね)()ほ雲を 見とと(しの)はね   故地

右の一首は()(つく)(こほり)上丁(じやうちやう)服部於由(はとりべのおゆ)

4422 ()()なを 筑紫(つくし)()りて (うつく)しみ (おび)()かなな あやにかも()

右の一首は()服部呰女(はとりべのあさめ)

4423 足柄(あしがら)の み(さか)()して (そで)()らば (いは)なる(いも)は さやに見もかも

右の一首は埼玉(さきたま)(こほり)上丁(じやうちやう)藤原部等母麻呂(ふぢはらべのともまろ)

4424 (いろ)(ふか)く ()なが(ころも)は ()めましを み(さか)(たば)らば まさやかに見む

右の一首は()物部刀自売(もののべのとじめ)

二月の二十九日、武蔵(むざし)の国の部領防人使(さきもりのことりづかひ)(じよう)正六位上安曇宿禰三国(あづみのすくねみくに)(たてまつる)る歌の数二十首。ただし、(せつ)(れつ)の歌は取り()せず。

4425 防人(さきもり)に ()くは()()と ()ふ人を 見るが(とも)しさ (もの)()ひもせず
4426 天地(あめつし)の 神に(ぬさ)置き (いは)ひつつ いませ()()な ()れをし()はば
4427 (いは)(いも)ろ ()(しの)ふらし ()(ゆす)ひに (ゆす)ひし(ひも)の ()くらく()へば
4428 ()()なを 筑紫(つくし)()りて (いつく)しみ えひは()かなな あやにかも()
4429 (うま)()なる (なは)()(こま)の (おく)るがへ (いも)が言ひしを 置きて悲しも
4430 (あら)()の いをさだ(はさ)み (むか)ひ立ち かなるましづみ ()でてと()()
4431 (ささ)が葉の さやぐ(しも)()に (なな)()()る (ころも)()せる ()ろが(はだ)はも   
4432 ()へなへぬ (みこと)にあれば (かな)(いも)が 手枕(たまくら)(はな)れ あやに悲しも

右の八首は、昔年(さきつとし)防人(さきもり)が歌なり。主典(さくわん)刑部少録(ぎやうぶのせうろく)正七位上磐余伊美吉諸君(いはれのいみきもろきみ)抄写(せうしや)し、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持に贈る。

三月の三日に、防人(さきもり)検校(けんかう)する勅使(ちよくし)兵部(ひやうぶ)使人等(つかひびとら)(とも)(つど)ひ、飲宴(うたげ)して作る歌三首
4433 (あさ)()な (あが)るひばりに なりてしか 都に()きて (はや)帰り()

右の一首は勅使紫微大弼(しびのだいひつ)安倍沙美麻呂朝臣(あへのさみまろあそみ)

4434 ひばり(あが)る 春へとさやに なりぬれば 都も見えず (かすみ)たなびく
4435 ふふめりし 花の初めに ()し我れや 散りなむ(のち)に 都へ()かむ

右の二首は兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持。

昔年(さきつとし)(あひ)(かは)りし防人(さきもり)が歌一首
4436 (やみ)()の ()く先知らず ()()れを いつ()まさむと 問ひし()らはも

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