先太上天皇の御製 霍公鳥の歌一首 日本根子高瑞日清足姫上皇なり 4437 ほととぎす なほも鳴かなむ 本つ人 懸けつつもとな 我を音し泣くも 薛妙観、詔に応へて和へまつる歌一首 4438 ほととぎす ここに近くを 来鳴きてよ 過ぎなむ後に 験あらめやも 冬の日に靫負の御井に幸す時に、内命婦石川朝臣、詔に応へて雪を賦する歌一首 諱は邑婆といふ 4439 松が枝の 地に着くまで 降る雪を 見ずてや妹が 隠り居るらむ 時に、水主内親王、寝膳安くあらずして、累日参りたまはず。よりてこの日をもちて、太上天皇、侍嬬等に勅して曰はく、「水主内親王に遣らむがために、雪を賦し歌を作りて奉献れ」とのりたまふ。ここに、もろもろの命婦等、歌を作るに堪へずして、この石川命婦のみ独りこの歌を作りて奏す。 右の件の四首は、上総の国の大掾正六位上大原真人今城伝誦してしか云ふ。年月いまだ詳らかにあらず 上総の国の朝集使大掾大原真人今城、京に向ふ時に、郡司が妻女等が餞する歌二首 4440 足柄の 八重山越えて いましなば 誰れをか君と 見つつ偲はむ ☆故地 4441 立ちしなふ 君が姿を 忘れずは 世の限りにや 恋ひわたりなむ 五月の九日に、兵部少輔大伴宿禰家持が宅にして集飲する歌四首 4442 我が背子が やどのなでしこ 日並べて 雨は降れども 色も変らず ☆花 右の一首は大原真人今城。 4443 ひさかたの 雨は降りしく なでしこが いや初花に 恋しき我が背 右の一首は大伴宿禰家持。 4444 我が背子が やどなる萩の 花咲かむ 秋の夕は 我れを偲はせ ☆花 右の一首は大原真人今城。 すなはち鶯の哢くを聞きて作る歌一首 4445 うぐひすの 声は過ぎぬと 思へども 染みにし心 なほ恋ひにけり 右の一首は大伴宿禰家持。 同じき月の十一日に、左大臣橘卿、右大弁丹比国人真人が宅にして宴する歌三首 4446 我がやどに 咲けるなでしこ 賄はせむ ゆめ花散るな いやをちに咲け 右の一首は、丹比国人真人、左大臣を寿く歌。 4447 賄しつつ 君が生ほせる なでしこが 花のみ問はむ 君ならなくに 右の一首は、左大臣が和ふる歌。 4448 あぢさゐの 八重咲くごとく 八つ代にを いませ我が背子 見つつ偲はむ ☆花 右の一首は、左大臣、味狭藍の花に寄せて詠む。 十八日に、左大臣、兵部卿橘奈良麻呂朝臣が宅にして宴する歌一首 4449 なでしこが 花取り持ちて うつらうつら 見まくの欲しき 君にもあるかも 右の一首は治部卿船王。 4450 我が背子が やどのなでしこ 散らめやも いや初花に 咲きは増すとも 4451 うるはしみ 我が思ふ君は なでしこが 花になそへて 見れど飽かぬかも 右の二首は、兵部少輔大伴宿禰家持追ひて作る。 八月の十三日に、内の南の安殿に在して、肆宴したまふ歌二首 4452 娘子らが 玉裳裾引く この庭に 秋風吹きて 花は散りつつ 右の一首は、内匠頭兼播磨守正四位下安宿王奏す。 4453 秋風の 吹き扱き敷ける 花の庭 清き月夜に 見れど飽きぬかも 右の一首は兵部少輔従五位上大伴宿禰家持。いまだ奏せず。 十一月の二十八日に、左大臣、兵部卿橘奈良麻呂朝臣が宅に集ひて宴する歌一首 4454 高山の 巌に生ふる 菅の根の ねもころごろに 降り置く白雪 右の一首は、左大臣作る。 天平元年の班田の時に、使の葛城王、山背の国より薛妙観命婦等の所に贈る歌一首 芹子のに副ふ ☆花 4455 あかねさす 昼は田賜びて ぬばたまの 夜のいとまに 摘める芹これ ☆花 薛妙観命婦が報へ贈る歌一首 4456 ますらをと 思へるものを 大刀佩きて 可爾波の田居に 芹ぞ摘みける 右の二首は、左大臣読みてしか云ふ。左大臣はこれ葛城王にして、後に橘の姓を賜はる 天平勝宝八歳丙申の二月の朔乙酉の二十四日戊申に、太上天皇、皇太后、河内の離宮に幸行し、経信、壬子をもちて難波の宮に伝幸す。三月の七日に、河内の国伎入の郷の馬国人が家にして宴する歌三首 4457 住吉の 浜松が根の 下延へて 我が見る小野の 草な刈りそね 右の一首は兵部少輔大伴宿禰家持。 4458 鳰鳥の 息長川は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽きめやも ☆故地 右の一首は主人散位寮の散位馬史国人 4459 葦刈りに 堀江漕ぐなる 楫の音は 大宮人の 皆聞くまでに ☆花 右の一首は、式部少丞大伴宿禰池主読む。すなはち云はく、兵部大丞大原真人今城、先つ日に他し所にして読む歌ぞ」といふ。 4460 堀江漕ぐ 伊豆手の舟の 楫つくめ 音しば立ちぬ 水脈早みかも 4461 堀江より 水脈さかのぼる 楫の音に 間なくぞ奈良は 恋しかりける 4462 舟競ふ 堀江の川の 水際に 来居つつ鳴くは 都鳥かも 右の三首は、江の辺にして作る。 4463 ほととぎす まづ鳴く朝明 いかにせば 我が門過ぎじ 語り継ぐまで 4464 ほととぎす 懸けつつ君が 松陰に 紐解き放くる 月近づきぬ 右の二首は、二十日に、大伴宿禰家持興に依りて作る。 族を喩す歌一首 并せて短歌 4465 ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし すめろきの 神の御代より はじ弓を 手握り持たし 真鹿子矢を 手挟み添へて 大久米の ますら健男を 先に立て 靫取り負ほせ 山川を 岩根さくみて 踏み通り 国求ぎしつつ ちはやぶる 神を言向け まつろはぬ 人をも和し 掃き清め 仕へまつりて 蜻蛉島 大和の国の 橿原の 畝傍の宮に 宮柱 太知り立てて 天の下 知らしめしける 天皇の 天の日継と 継ぎてくる 君の御代御代 隠さはぬ 明き心を 皇へに 極め尽して 仕へくる 祖の官と 言立てて 授けたまへる 子孫の いや継ぎ継ぎに 見る人の 語り継ぎてて 聞く人の 鏡にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言も 祖の名絶つな 大伴の 氏と名に負へる ますらをの伴 4466 磯城島の 大和の国に 明らけき 名に負ふ伴の男 心つとめよ 4467 剣大刀 いよよ磨ぐべし いにしへゆ さやけく負ひて 来にしその名ぞ 右は、淡海真人三船が讒言によりて、出雲守大伴古慈悲宿禰、任を解かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る。 病に臥して無常を悲しび、道を修めむと欲ひて作る歌二首 4468 うつせみは 数なき身なり 山川の さやけき見つつ 道を尋ねな 4469 渡る日の 影に競ひて 尋ねてな 清きその道 またもあはむため 寿を願ひて作る歌一首 4470 水泡なす 仮れる身ぞとは 知れれども なほし願ひつ 千年の命を 以前の歌六首は、六月の十七日に大伴宿禰家持作る。 冬の十一月の五日の夜に、小雷起りて鳴り、雪落りて庭を覆ふ。たちまちに感憐を懐き、いささかに作る短歌一首 4471 消残りの 雪にあへ照る あしひきの 山橘を つとに摘み来な ☆花 右の一首は兵部少輔大伴宿禰家持。 八日に、讃岐守安宿王等、出雲掾安宿奈杼麻呂が家に集ひて宴する歌二首 4472 大君の 命畏み 於保の浦を そがひに見つつ 都へ上る 右は掾安宿奈杼麻呂。 4473 うちひさす 都の人に 告げまくは 見し日のごとく ありと告げこそ 右の一首は、守山背王が歌なり。主人安宿奈杼麻呂語りて云はく、「奈杼麻呂、朝集使に差さえ、京師に入らむとす。これによりて、餞する日に、おのもおのも歌を作り、いささかに所心を陳ぶ」といふ。 4474 群鳥の 朝立ち去にし 君が上は さやかに聞きつ 思ひしごとく 右の一首は兵部少輔大伴宿禰家持、後の日に、出雲守山背王が歌に追ひて和へて作る。 二十三日に、式部少丞大伴宿禰池主が宅に集ひて飲宴する歌二首 4475 初雪は 千重に降りしけ 恋ひしくの 多かる我れは 見つつ偲はむ 4476 奥山の しきみが花の 名のごとや しくしく君に 恋ひわたりなむ ☆花 右の二首は兵部大丞大原真人今城。 智努女王が卒りし後に、円方女王が悲傷しびて作る歌一首 4477 夕霧に 千鳥の鳴きし 佐保道をば 荒しやしてむ 見るよしをなみ 大原桜井真人、佐保の川辺に行きし時に作る歌一首 ☆故地 4478 佐保川に 凍りわたれる 薄ら氷の 薄き心を 我が思はなくに 藤原夫人が歌一首 浄御原の宮に天の下知らしめす天皇の夫人なり。字は氷上大刀自といふ 4479 朝夕に 哭のみし泣けば 焼き大刀の 利心も我れは 思ひかねつも
4480 畏きや 天の御門を 懸けつけば 哭のみし泣かゆ 朝夕にして 作者いまだ詳らかにあらず 右の件の四首、伝へ読むは兵部大丞大原今城。
三月の四日に、兵部大丞大原真人今城が宅にして宴する歌一首 4481 あしひきの 八つ峰の椿 つらつらに 見とも飽かめや 植ゑてける君 ☆花 右は、兵部少輔大伴宿禰家持、植ゑたる椿に属けて作る。 4482 堀江越え 遠き里まで 送り来る 君が心は 忘らゆましじ 右の一首は、播磨介藤原朝臣執弓、任に赴きて別れを悲しぶ。主人大原今城伝へ読みてしか云ふ。 勝宝九歳の六月の二十三日に、大監物三形王が宅にして宴する歌一首 4483 移りゆく 時見るごとに 心痛く 昔の人し 思ほゆるかも 右は、兵部少輔大伴宿禰家持作る。 4484 咲く花は うつろふ時あり あしひきの 山菅の根し 長くはありけり ☆花 右の一首は、大伴宿禰家持、物色の変化ふことを悲しび怜びて作る。 4485 時の花 いやめづらしも かくしこそ 見し明らめめ 秋立つごとに 右は、大伴宿禰家持作る。 天平宝字元年の十一月の十八日に、内裏にして肆宴したまふ歌二首 4486 天地を 照らす日月の 極みなく あるべきものを 何をか思はむ 右の一首は、皇太子の御歌。 4487 いざ子ども たはわざなせそ 天地の 堅めし国ぞ 大和島根は 右の一首は、内相藤原朝臣奏す。 十二月の十八日に、大監物三形王が宅にして宴する歌三首 4488 み雪降る 冬は今日のみ うぐひすの 鳴かむ春へは 明日にしあるらし 右の一首は主人三形王。 4489 うち靡く 春を近みか ぬばたまの 今夜の月夜 霞みたるらむ 右の一首は大蔵大輔甘南備伊香真人。 4490 あらたまの 年行き返り 春立たば まづ我がやどに うぐひすは鳴け 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。
4491 大き海の 水底深く 思いつつ 裳引き平しし 菅原の里 右の一首は、藤原宿奈麻呂朝臣が妻石川女郎、愛を薄くし離別せらえ、悲しび恨みて作る歌。年月いまだ詳らかにあらず
二十三日に、治部少輔大原今城真人が宅にして宴する歌一首 4492 月数めば いまだ冬なり しかすがに 霞たなびく 春立ちぬとか 右の一首は、右中弁大伴宿禰家持作る。 二年の春の正月の三日に、侍従、豎子、王臣等を召し、内裏の東の屋の垣下に侍はしめ、すなはち玉箒を賜ひて肆宴したまふ。時に、内相藤原朝臣、勅を奉じ宣りたまはく、「諸王卿等、堪のまにま意のまにまに歌を作り、并せて詩を賦せ」とのりたまふ。よりて、詔旨に応へ、おのもおのも心緒を陳べ、歌を作り詩を賦す。いまだ諸人の賦した詩、并せて作れる歌を得ず
4493 初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに 揺らく玉の緒 ☆花 右の一首は、右中弁大伴宿禰家持作る。ただし、大蔵の政によりて、奏し堪へず。
4494 水鳥の 鴨羽の色の 青馬を 今日見る人は 限りなしといふ 右の一首は、七日の侍宴のために、右中弁大伴宿禰家持、預めこの歌を作る。ただし、仁王会の事によりて、かへりて六日をもちて内裏に諸王卿等を召して酒を賜ひ、肆宴して禄を給う。これによりて奏せず。 六日に、内庭にかりに樹木を植ゑて林帷と作して、肆宴を為したまふ歌 4495 うち靡く 春ともしるく うぐひすは 植木の木間を 鳴き渡らなむ 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。奏せず 二月に、式部大輔中臣清麻呂朝臣が宅にして宴する歌十首 4496 恨めしく 君はもあるか やどの梅の 散り過ぐるまで 見しめずありける ☆花 右の一首は治部少輔大原今城真人。 4497 見むと言はば いなと言はめや 梅の花 散り過ぐるまで 君が来まさぬ 右の一首は主人中臣清麻呂朝臣。 4498 はしきよし 今日の主人は 磯松の 常にいまさね 今も見るごと 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 4499 我が背子し かくし聞こさば 天地の 神を祈ひ?み 長くとぞ思ふ 右の一首は主人中臣清麻呂朝臣。 4500 梅の花 香をかぎはしみ 遠けども 心もしのに 君をしぞ思ふ 右の一首は治部大輔市原王。 4501 八千種の 花はうつろふ 常磐なる 松のさ枝を 我れは結ばな 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 4502 梅の花 咲き散る春の 長き日を 見れども飽かぬ 磯にもあるかも 右の一首は大蔵大輔甘南備伊香真人。 4503 君が家の 池の白波 磯に寄せ しばしば見とも 飽かむ君かも 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 4504 うるはしと 我が思ふ君は いや日異に 来ませ我が背子 絶ゆる日なしに 右の一首は主人中臣清麻呂朝臣。 4505 磯の裏に 常呼び来住む 鴛鴦の 惜しき我が身は 君がまにまに 右の一首は治部少輔大原今城真人。 興に依りて、おのもおのも高円の離宮処を思ひて作る歌五首 ☆故地 4506 高円の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御世遠そけば 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 4507 高円の 峰の上の宮は 荒れぬとも 立たしし君の 御名忘れめや 右の一首は治部少輔大原今城真人。 4508 高円の 野辺延ふ葛の 末つひに 千代に忘れむ 我が大君かも ☆花 右の一首は主人中臣清麻呂朝臣。 4509 延ふ葛の 絶えず偲はむ 大君の 見しし野辺には 標結ふべしも 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 4510 大君の 継ぎて見すらし 高円の 野辺見るごとに 音のみし泣かゆ 右の一首は大蔵大輔甘南備伊香真人。 山斎を属目して作る歌三首 4511 鴛鴦の住む 君がこの山斎 今日見れば 馬酔木の花も 咲きにけるかも ☆花 右の一首は大監物三形王。 4512 池水に 影さへ見えて 咲きにほふ 馬酔木の花を 袖に扱入れな 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。 4513 磯影の 見ゆる池水 照るまでに 咲ける馬酔木の 散らまく惜しも 右の一首は大蔵大輔甘南備伊香真人。 二月の十日に、内相が宅にして渤海大使小野田守朝臣等を餞する宴の歌一首 4514 青海原 風波靡き 行くさ来さ 障むことなく 船は早けむ 右の一首は右中弁大伴宿禰家持。いまだ誦はず 七月の五日に、治部少輔大原今城真人が宅にして、因幡守大伴宿禰家持を餞する宴の歌一首 4515 秋風の 末吹き靡く 萩の花 ともにかざさず 相か別れむ 右の一首は、大伴宿禰家持作る。 三年の春の正月の一日に、因幡の国の庁にして、饗を国郡の司等に賜う宴の歌一首 ☆故地 4516 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事 右の一首は、守大伴宿禰家持作る。 |