巻二十 4437〜4516

先太上天皇(さきのおほきすめらみこと)の御製 霍公鳥(ほととぎす)の歌一首  日本根子高瑞日清足姫上皇(やまとねこたかみづひきよたらしひめのすめらみこと)なり
4437 ほととぎす なほも鳴かなむ (もと)つ人 ()けつつもとな ()()し泣くも

薛妙観(せちめうくわん)(みことのり)(こた)へて(こた)へまつる歌一首
4438 ほととぎす ここに近くを ()鳴きてよ 過ぎなむ(のち)に (しるし)あらめやも

冬の日に靫負(ゆけひ)()()(いでま)す時に、内命婦(ないみやうぶ)石川朝臣(いしかはのあそみ)(みことのり)(こた)へて雪を()する歌一首 (いみな)邑婆(おほば)といふ
4439 (まつ)()の (つち)()くまで 降る雪を 見ずてや(いも)が (こも)()るらむ

時に、水主内親王(もひとりのひめみこ)(しん)(ぜん)安くあらずして、(るい)(じつ)(まゐ)りたまはず。よりてこの日をもちて、太上天皇(おほきすめらみこと)侍嬬(じじゆ)等に(みことのり)して(のりたま)はく、「水主内親王に(おく)らむがために、雪を()し歌を作りて奉献(たてまつ)れ」とのりたまふ。ここに、もろもろの命婦等、歌を作るに()へずして、この石川命婦のみ独りこの歌を作りて奏す。 右の(くだり)の四首は、上総(かみつふさ)の国の大掾(だいじよう)正六位上大原真人今城(おほはらのまひといまき)伝誦してしか云ふ。年月いまだ(つばひ)らかにあらず

上総(かみつふさ)の国の朝集使(てうしふし)大掾(だいじよう)大原真人今城(おほはらのまひといまき)、京に向ふ時に、郡司(ぐんじ)妻女等(つまたち)(せん)する歌二首
4440 足柄(あしがら)の 八重(やえ)(やま)越えて いましなば ()れをか君と 見つつ(しの)はむ   故地
4441 立ちしなふ 君が姿を 忘れずは ()(かぎ)りにや ()ひわたりなむ

五月の九日に、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持が(いへ)にして集飲(うたげ)する歌四首
4442 ()()()が やどのなでしこ ()(なら)べて 雨は降れども 色も(かは)らず   

右の一首は大原真人今城(おほはらのまひといまき)

4443 ひさかたの 雨は降りしく なでしこが いや(はつ)(はな)に (こひ)しき()()

右の一首は大伴宿禰家持。

4444 我が背子が やどなる(はぎ)の 花咲かむ 秋の(ゆうへ)は 我れを偲はせ   

右の一首は大原真人今城(おほはらのまひといまき)

すなはち(うぐひす)()くを聞きて作る歌一首
4445 うぐひすの 声は過ぎぬと 思へども ()みにし心 なほ恋ひにけり

右の一首は大伴宿禰家持。

同じき月の十一日に、左大臣橘卿(たちばなのまへつきみ)右大弁(うだいべん)丹比国人真人(たぢひのくにひとまひと)(いへ)にして(うたげ)する歌三首
4446 我がやどに 咲けるなでしこ (まひ)はせむ ゆめ花散るな いやをちに咲け

右の一首は、丹比国人真人(たぢひのくにひとまひと)、左大臣を寿()く歌。

4447 (まひ)しつつ 君が()ほせる なでしこが 花のみ()はむ 君ならなくに

右の一首は、左大臣が(こた)ふる歌。

4448 あぢさゐの 八重(やへ)咲くごとく ()()にを いませ()()() 見つつ(しの)はむ   

右の一首は、左大臣、味狭藍(あぢさゐ)の花に寄せて()む。

十八日に、左大臣、兵部卿(ひやうぶのきやう)橘奈良麻呂朝臣(たちばなのならまろあそみ)(いへ)にして(うたげ)する歌一首
4449 なでしこが 花取り持ちて うつらうつら 見まくの()しき 君にもあるかも

右の一首は治部卿(ぢぶのきやう)船王(ふねのおほきみ)

4450 我が背子が やどのなでしこ 散らめやも いや(はつ)(はな)に 咲きは増すとも
4451 うるはしみ ()()ふ君は なでしこが 花になそへて 見れど()かぬかも

右の二首は、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持追ひて作る。

八月の十三日に、(うち)の南の安殿(やすみどの)(いま)して、肆宴(とよのあかり)したまふ歌二首
4452 娘子(をとめ)らが (たま)()(すそ)()く この庭に 秋風(あきかぜ)吹きて 花は散りつつ

右の一首は、内匠頭(たくみのかみ)播磨守(はりまのかみ)正四位下安宿王(あすかべのおほきみ)奏す。

4453 秋風の 吹き()()ける 花の庭 清き月夜(つくよ)に 見れど飽きぬかも

右の一首は兵部少輔(ひやうぶのせうふ)従五位上大伴宿禰家持。いまだ奏せず。

十一月の二十八日に、左大臣、兵部卿(ひやうぶのきやう)橘奈良麻呂朝臣(たちばなのならまろあそみ)(いへ)(つど)ひて(うたげ)する歌一首
4454 高山(たかやま)の (いはほ)()ふる (すが)()の ねもころごろに 降り置く白雪(しらゆき)()

右の一首は、左大臣作る。

天平元年の班田(はんでん)の時に、使(つかひ)葛城王(かづらきのおほきみ)(やま)(しろ)の国より薛妙観命婦(せちめうくわんみやうぶ)等の所に贈る歌一首 芹子(せり)(つつみ)()   
4455 あかねさす (ひる)は田()びて ぬばたまの (よる)のいとまに ()める(せり)これ   

薛妙観命婦(せちめうくわんみやうぶ)(こた)へ贈る歌一首
4456 ますらをと 思へるものを ()()()きて ()()()()()に (せり)ぞ摘みける

右の二首は、左大臣読みてしか云ふ。左大臣はこれ葛城王(かづらきのおほきみ)にして、(のち)(たちばな)(せい)を賜はる

天平(てんぴやう)勝宝(しようほう)八歳(ひのえ)(さる)の二月の(つきたち)(きのと)(とり)の二十四日(つちのえ)(さる)に、太上天皇(おほきすめらみこと)皇太后(さきのおほきさき)河内(かふち)離宮(とつみや)幸行(いでま)し、経信(ふたよあまり)(みづのえ)()をもちて難波(なには)の宮に伝幸(いでま)す。三月の七日に、河内(かふち)の国()()(さと)馬国人(うまのくにひと)(いへ)にして(うたげ)する歌三首
4457 住吉(すみのえ)の 浜松(はままつ)が根の (した)()へて 我が見る小野(をの)の 草な()りそね

右の一首は兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持。

4458 (にほ)(どり)の (おき)(なが)(かは)は 絶えぬとも 君に語らむ (こと)()きめやも   故地

右の一首は主人(あろじ)散位寮(さんゐれう)の散位馬史国人(うまのふびとくにひと 

)4459 (あし)()りに 堀江(ほりえ)()ぐなる (かぢ)(おと)は 大宮(おほみや)(ひと)の (みな)聞くまでに   

右の一首は、式部少丞(しきぶのせうじよう)大伴宿禰池主(おほとものすくねいけぬし)読む。すなはち云はく、兵部大丞(ひやうぶのだいじよう)大原真人今城(おほはらのまひといまき)(さき)()(あた)し所にして読む歌ぞ」といふ。

4460 堀江(ほりえ)()ぐ 伊豆(いづ)()の舟の (かぢ)つくめ (おと)しば立ちぬ 水脈(みを)早みかも
4461 堀江より 水脈(みを)さかのぼる (かぢ)の音に ()なくぞ奈良は (こひ)しかりける
4462 舟競(ふなぎほ)ふ 堀江の川の (みな)(きは)に ()()つつ鳴くは 都鳥(みやこどり)かも

右の三首は、(かは)()にして作る。

4463 ほととぎす まづ鳴く朝明(あさけ) いかにせば ()(かど)過ぎじ 語り()ぐまで
4464 ほととぎす ()けつつ君が 松陰(まつかげ)に (ひも)()()くる 月(ちか)づきぬ

右の二首は、二十日に、大伴宿禰家持(きよう)に依りて作る。

(うがら)(さと)す歌一首 (あは)せて短歌
4465 ひさかたの (あま)()(ひら)き 高千穂(たかちほ)の (たけ)()()りし すめろきの 神の()()より はじ弓を ()(にぎ)り持たし ()鹿()()()を ()(ばさ)()へて (おほ)久米(くめ)の ますら健男(たけを)を 先に立て (ゆき)取り()ほせ 山川(やまかは)を 岩根(いはね)さくみて ()み通り 国()ぎしつつ ちはやぶる 神を(こと)()け まつろはぬ 人をも(やは)し ()き清め (つか)へまつりて 蜻蛉(あきづ)(しま) 大和の国の 橿原(かしはら)の 畝傍(うねび)の宮に (みや)(ばしら) (ふと)()()てて (あめ)(した) 知らしめしける 天皇(すめろき)の (あま)()(つぎ)と ()ぎてくる 君の()()()() (かく)さはぬ (あか)き心を (すめら)へに (きは)(つく)して 仕へくる (おや)(つかさ)と 言立(ことだ)てて 授けたまへる 子孫(うみのこ)の いや()()ぎに 見る人の 語り()ぎてて 聞く人の (かがみ)にせむを あたらしき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて 空言(むなこと)も (おや)の名()つな 大伴(おほとも)の (うぢ)と名に()へる ますらをの(とも)
4466 ()()(しま)の 大和(やまと)の国に (あき)らけき 名に()(とも)() 心つとめよ
4467 剣大刀(つるぎたち) いよよ()ぐべし いにしへゆ さやけく()ひて ()にしその名ぞ

右は、淡海真人三船(おふみのまひとみふね)讒言(ざんげん)によりて、出雲守(いづものかみ)大伴古慈悲宿禰(おほとものこしびのすくね)(にん)()かゆ。ここをもちて、家持この歌を作る。

(やまひ)()して無常(むじやう)を悲しび、(みち)(をさ)めむと(おも)ひて作る歌二首
4468 うつせみは 数なき身なり 山川(やまかは)の さやけき見つつ 道を(たづ)ねな
4469 渡る日の 影に(きほ)ひて (たづ)ねてな (きよ)きその道 またもあはむため

寿(いのち)を願ひて作る歌一首
4470 水泡(みつぼ)なす ()れる身ぞとは 知れれども なほし願ひつ 千年(ちとせ)(いのち)

以前(さき)の歌六首は、六月の十七日に大伴宿禰家持作る。

冬の十一月の五日の()に、小雷(おこ)りて鳴り、雪()りて庭を(おほ)ふ。たちまちに(かん)(れん)(むだ)き、いささかに作る短歌一首
4471 ()(のこ)りの 雪にあへ照る あしひきの 山橘(やまたちばな)を つとに()()な   

右の一首は兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持。

八日に、讃岐守(さぬきのかみ)安宿王(あすかべのおほきみ)()出雲掾(いづものじよう)安宿奈杼麻呂(あすかべのなどまろ)が家に(つど)ひて(うたげ)する歌二首
4472 大君(おほきみ)の (みこと)(かしこ)み 於保(おほ)(うら)を そがひに見つつ (みやこ)(のぼ)

右は(じよう)安宿奈杼麻呂(あすかべのなどまろ)

4473 うちひさす (みやこ)(ひと)に ()げまくは 見し日のごとく ありと告げこそ

右の一首は、(かみ)山背王(やましろのおほきみ)が歌なり。主人(あろじ)安宿奈杼麻呂(あすかべのなどまろ)語りて云はく、「奈杼麻呂、朝集使(てうしふし)(つかは)さえ、京師(みやこ)に入らむとす。これによりて、(せん)する日に、おのもおのも歌を作り、いささかに所心(おもひ)()ぶ」といふ。

4474 (むら)(とり)の (あさ)()()にし 君が(うへ)は さやかに聞きつ 思ひしごとく

右の一首は兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持、後の日に、出雲守(いづものかみ)山背王(やましろのおほきみ)が歌に()ひて(こた)へて作る。

二十三日に、式部少丞(しきぶのせうじよう)大伴宿禰池主(いけぬし)(いへ)(つど)ひて飲宴(うたげ)する歌二首
4475 初雪(はつゆき)は 千重(ちへ)に降りしけ 恋ひしくの 多かる我れは 見つつ(しの)はむ
4476 奥山の しきみが花の 名のごとや しくしく君に 恋ひわたりなむ   

右の二首は兵部大丞(ひやうぶのだいじよう)大原真人今城(おほはらのまひといまき)

智努女王(ちののおほきみ)(みまか)りし(のち)に、円方女王(まとかたのおほきみ)()()しびて作る歌一首
4477 夕霧(ゆふぎり)に 千鳥(ちどり)の鳴きし 佐保(さほ)()をば (あら)しやしてむ 見るよしをなみ

大原桜井真人(おほはらのさくらゐのまひと)佐保(さほ)川辺(かはへ)に行きし時に作る歌一首   故地
4478 佐保(さほ)(がは)に (こほ)りわたれる (うす)()の 薄き心を ()が思はなくに

藤原夫人(ふぢはらのぶにん)が歌一首 浄御原(きよみはら)の宮に(あめ)(した)()らしめす天皇(すめらみこと)夫人(ぶにん)なり。(あざな)氷上大刀自(ひかみのおほとじ)といふ
4479 (あさ)(よひ)に ()のみし泣けば ()大刀(たち)の ()(ごころ)()れは 思ひかねつも

4480 (かしこ)きや (あめ)御門(みかど)を ()けつけば ()のみし泣かゆ 朝夕(あさよひ)にして 作者いまだ(つばひ)らかにあらず

右の(くだり)の四首、伝へ読むは兵部大丞(ひやうぶのだいじよう)大原今城(おほはらのいまき)

三月の四日に、兵部大丞(ひやうぶのだいじよう)大原真人今城(おほはらのまひといまき)(いへ)にして(うたげ)する歌一首
4481 あしひきの 八つ()椿(つばき) つらつらに 見とも()かめや 植ゑてける君   

右は、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持、植ゑたる椿に()けて作る。

4482 堀江(ほりえ)越え 遠き里まで 送り()る 君が心は 忘らゆましじ

右の一首は、播磨介(はりまのすけ)藤原朝臣執弓(ふぢはらのあそみとりゆみ)(にん)(おもぶ)きて別れを悲しぶ。主人(あろじ)大原今城(おほはらのいまき)伝へ読みてしか云ふ。

勝宝九歳の六月の二十三日に、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)(いへ)にし(うたげ)する歌一首
4483 (うつ)りゆく 時見るごとに (こころ)痛く 昔の人し 思ほゆるかも

右は、兵部少輔(ひやうぶのせうふ)大伴宿禰家持作る。

4484 咲く花は うつろふ時あり あしひきの (やま)(すが)の根し 長くはありけり   

右の一首は、大伴宿禰家持、物色(ぶつしよく)変化(うつろ)ふことを悲しび(あはれ)びて作る。

4485 時の花 いやめづらしも かくしこそ ()(あき)らめめ 秋立つごとに

右は、大伴宿禰家持作る。

天平宝字元年の十一月の十八日に、内裏(うち)にして肆宴(とよのあかり)したまふ歌二首
4486 天地(あめつち)を 照らす()(つき)の (きは)みなく あるべきものを 何をか思はむ

右の一首は、皇太子の御歌。

4487 いざ子ども たはわざなせそ (あめ)(つち)の (かた)めし国ぞ 大和(やまと)島根(しまね)

右の一首は、内相(ないしやう)藤原朝臣奏す。

十二月の十八日に、大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)(いへ)にして(うたげ)する歌三首
4488 み雪降る 冬は今日(けふ)のみ うぐひすの 鳴かむ春へは 明日(あす)にしあるらし

右の一首は主人(あろじ)三形王(みかたのおほきみ)

4489 うち(なび)く 春を近みか ぬばたまの 今夜(こよひ)月夜(つくよ) (かす)みたるらむ

右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)

4490 あらたまの 年()(がへ)り 春立たば まづ我がやどに うぐひすは鳴け

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。

4491 (おほ)(うみ)の (みな)(そこ)深く 思いつつ ()()(なら)しし 菅原(すがはら)

(さと)右の一首は、藤原宿奈麻呂朝臣(ふぢはらのすくなまろあそみ)()石川女郎(いしかはのいらつめ)、愛を薄くし離別せらえ、悲しび恨みて作る歌。年月いまだ(つばひ)らかにあらず

二十三日に、治部少輔(ぢぶのせうふ)大原今城真人(おほはらのいまきのまひと)(いへ)にして(うたげ)する歌一首
4492 (つき)()めば いまだ(ふゆ)なり しかすがに (かすみ)たなびく (はる)()ちぬとか

右の一首は、右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持作る。

二年の春の正月の三日に、侍従、(じゆ)()、王臣等を召し、内裏(うち)(ひむがし)()(かき)(もと)(さもら)はしめ、すなはち玉箒(たまばはき)を賜ひて肆宴(とよのあかり)したまふ。時に、内相(ないしやう)藤原朝臣、(みことのり)を奉じ()りたまはく、「諸王卿(しよわうきやう)()(かん)のまにま()のまにまに歌を作り、(あは)せて詩を()せ」とのりたまふ。よりて、詔旨(みことのり)(こた)へ、おのもおのも心緒(おもひ)()べ、歌を作り詩を賦す。いまだ諸人の賦した詩、并せて作れる歌を()

4493 初春(はつはる)の (はつ)()今日(けふ)の 玉箒(たまばはき) 手に取るからに ()らく玉の()   

右の一首は、右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持作る。ただし、大蔵の(まつりごと)によりて、奏し()へず。

4494 (みづ)(どり)の (かも)()(いろ)の 青馬(あをうま)を 今日(けふ)見る人は 限りなしといふ

右の一首は、七日の()(えん)のために、右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持、(あらかじ)めこの歌を作る。ただし、仁王(にんわう)()の事によりて、かへりて六日をもちて内裏(うち)に諸王卿等を召して酒を賜ひ、肆宴(とよのあかり)して禄を給う。これによりて奏せず。

六日に、内庭にかりに樹木を植ゑて(りん)()()して、肆宴(とよのあかり)()したまふ歌
4495 うち(なび)く 春ともしるく うぐひすは 植木(うゑき)()()を 鳴き渡らなむ

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。奏せ

二月に、式部大輔(しきぶのだいふ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)(いへ)にして(うたげ)する歌十首
4496 (うら)めしく 君はもあるか やどの(うめ)の 散り過ぐるまで 見しめずありける   

右の一首は治部少輔(ぢぶのせうふ)大原今城真人(おほはらのいまきのまひと)

4497 見むと言はば いなと言はめや (うめ)の花 散り過ぐるまで 君が来まさぬ

右の一首は主人(あろじ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)

4498 はしきよし 今日(けふ)主人(あろじ)は (いそ)(まつ)の 常にいまさね 今も見るごと

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。

4499 我が()()し かくし聞こさば 天地(あめつち)の 神を()?()み 長くとぞ思ふ

右の一首は主人(あろじ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)

4500 (うめ)の花 香をかぎはしみ 遠けども 心もしのに 君をしぞ思ふ

右の一首は治部大輔(ぢぶのだいふ)市原王(いちはらのおほきみ)

4501 ()()(くさ)の 花はうつろふ 常磐(ときは)なる (まつ)のさ(えだ)を 我れは結ばな

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。

4502 (うめ)の花 咲き散る春の 長き日を 見れども()かぬ (いそ)にもあるかも

右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)

4503 君が(いへ)の 池の白波(しらなみ) 磯に寄せ しばしば見とも ()かむ君かも

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。

4504 うるはしと ()()ふ君は いや()()に ()ませ()()() 絶ゆる日なしに

右の一首は主人(あろじ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)

4505 磯の(うら)に (つね)呼び()()む 鴛鴦(をしどり)の ()しき()が身は 君がまにまに

右の一首は治部少輔(ぢぶのせうふ)大原今城真人(おほはらのいまきのまひと)

興に依りて、おのもおのも高円(たかまと)離宮(とつみや)(ところ)を思ひて作る歌五首   故地
4506 高円(たかまと)の ()(うへ)の宮は 荒れにけり 立たしし君の ()()(とほ)そけば

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。

4507 高円(たかまと)の ()(うへ)の宮は 荒れぬとも 立たしし君の ()()忘れめや

右の一首は治部少輔(ぢぶのせうふ)大原今城真人(おほはらのいまきのまひと)

4508 (たか)(まと)の 野辺(のへ)()(くず)の (すゑ)つひに 千代(ちよ)に忘れむ ()(おほ)(きみ)かも   

右の一首は主人(あろじ)中臣清麻呂朝臣(なかとみのきよまろのあそみ)

4509 ()(くず)の 絶えず(しの)はむ (おほ)(きみ)の ()しし野辺(のへ)には (しめ)()ふべしも

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。

4510 大君(おほきみ)の ()ぎて()すらし 高円(たかまと)の 野辺(のへ)見るごとに ()のみし泣かゆ

右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)

山斎(しま)属目(しょくもく)して作る歌三首
4511 鴛鴦(をし)()む 君がこの山斎(しま) 今日(けふ)見れば 馬酔木(あしび)の花も 咲きにけるかも   

右の一首は大監物(だいけんもつ)三形王(みかたのおほきみ)

4512 (いけ)(みづ)に 影さへ見えて 咲きにほふ 馬酔木(あしび)の花を (そで)()()れな

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。

4513 (いそ)(かげ)の 見ゆる池水 照るまでに 咲ける馬酔木(あしび)の 散らまく惜しも

右の一首は大蔵大輔(おほくらのだいふ)甘南備伊香真人(かむなびのいかごのまひと)

二月の十日に、内相(ないしやう)(いへ)にして渤海大使(ぼつかいたいし)小野田守朝臣(をののたもりのあさおみ)()(せん)する(うたげ)の歌一首
4514 (あを)(うな)(はら) (かぜ)(なみ)(なび)き ()くさ()さ (つつ)むことなく 船は早けむ

右の一首は右中弁(うちゆうべん)大伴宿禰家持。いまだ(うた)はず

七月の五日に、治部少輔(ぢぶのせうふ)大原今城真人(おほはらのいまきのまひと)(いへ)にして、因幡守(いなはのかみ)大伴宿禰家持を(せん)する(うたげ)の歌一首
4515 秋風の (すゑ)吹き(なび)く (はぎ)の花 ともにかざさず (あひ)か別れむ

右の一首は、大伴宿禰家持作る。

三年の春の正月の一日に、因幡(いなは)の国の(ちやう)にして、(あへ)を国郡の(つかさ)等に賜う宴の歌一首   故地
4516 (あらた)しき 年の初めの 初春(はつはる)の 今日(けふ)降る雪の いやしけ()(ごと

()右の一首は、(かみ)大伴宿禰家持作る。

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