真間の井

千葉県市川市真間4丁目

勝飾の真間娘子を詠む歌一首 并せて短歌

鶏が鳴く 東の国に いにしへに ありけることと今までに 絶えず言ひける 葛飾の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け

 ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も

 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく

 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が臥やせる

 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも  巻9−1807

反歌

勝鹿の 真間の井見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ  巻9−1808

真間の井

真間にすむ手児名、多くの男に想われながらなびかず入水したという悲しい物語を伝える。

手児名は毎日のようにここ「真間の井」に水を汲みに来たという。

若い娘たちと一緒に水を汲みながら、この井戸のそばで恋の噂話を楽しくしていたのだろうか。

だが、妻争いの渦中に置かれ自らの命を絶ってしまった手児名。

この悲恋の物語を高橋連虫麻呂は詠う。

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また、同じこの手児名の墓を見て山部宿禰赤人も詠う。

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勝飾の真間娘子が墓を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 并せて短歌

 東の俗語には「かづしかのままのてご」といふ。

いにしへに ありけむ人の 倭文機の 帯解き変へて 伏屋立て 妻どひしけむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥城を こことは聞けど

 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみも我れは 忘れゆましじ  巻3−431

反歌

我れも見つ 人にも告げむ 勝鹿の 真間の手児名が 奥城ところ  巻3−432

勝鹿の 真間の入江に うち靡く 玉藻刈りけむ 手児名し思ほゆ  巻3−433

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亀井院の奥に、真間の井はある。きれいな庭園の一画に井はある。

千数百年も前からここにこのような井戸とは思えないが、後世、手児名に対する想いをこんな形で引継いでくれたのだろう。

「故地」と思えばなんとなく、手児名がここで水を汲んでいる姿が目に浮んでくるのは私だけだろうか。

亀井院・真間の井のそばに、歌碑がある。

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手児奈堂

手児奈の墓地に建てられたという。

手児奈堂境内に歌碑がある。

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勝飾の 真間の手児名を まことかも 我れに寄すよふ 真間の手児名を  巻14−3384

勝飾の 真間の手児名が ありしかば 真間のおすひに 波もとどろに  巻14−3385

右の二首は下総の国の歌

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