熟田津 愛媛県松山市 額田王が歌 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな 巻1−8 右は、山上億良大夫が類聚歌林に検すに、曰はく、 「飛鳥の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の元年己丑の、九年丁酉の十二月己巳の朔の壬午に、天皇・大后、伊予の湯の宮に幸す。 後の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の七年辛酉の春の正月丁酉の朔の壬寅に、御船西つかたに征き、始めて海道に就く。 庚戌に、御船伊予の熟田津の石湯の行宮に泊つ。天皇、昔日のなほ存れる物を御覧して、その時にたちまちに感愛の情を起したまふ。 この故によりて歌詠を製りて哀傷しびたまふ」といふ。すなはち、この歌は天皇の御製なり。ただし、額田王が歌は別に四首あり。 この歌は、斉明天皇七年(661)百済救援のため、天皇自ら皇族を従え難波を出航、福岡の那の大津に向かう途中、 この熟田津の伊予の湯に停泊した。 いよいよ出発の時、額田王が詠ったのがこの歌とされる。(一説には、斉明天皇自らの歌ともいう) ・・・ 熟田津がどこの津(港)をいうのか、今ははっきりとは判らない。 「熟田津の石湯の行宮」とあるから道後温泉からそんなには遠くないところなんだろうけど。 ・・・ まずは、候補地「古三津」を訪ねた。 歌碑が、小学校・郵便局・神社と三ヶ所にあり、そんな意味ではここが一番力が入っているエリアだ。 しかし、現在は海からかなり離れていて、津というイメージは湧いてこない。海岸線が下がったのか、それとも干拓だろうか。 久枝神社には、次のような説明がある。「わが古里 古三津は 万葉集の熟田津の里ではないかと 江戸時代から唱えられ・・・・・・」 もうひとつの候補地「堀江・和気」を訪ねた。 ここは今も海岸があり、対岸の広島県まで点々と島々が浮かび、「今は漕ぎ出でな」の想いにさせてくれる。 海辺で釣りをする人たちがいて、私ものんびりと海を見つめていた。 「月待てば」までは待てないので、夕日を待つことにした。 額田王もこの海を見ていた。 ・・・・・ 万葉歌碑
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