水城

福岡県太宰府市水城

冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に上る時に、娘子が作る歌二首

おほならば かもかもせむを 畏みと 振りたき袖を 忍びてあるかも  巻6−965

大和道は 雲隠りたり しかれども 我が振る袖を なめしと思ふな  巻6−966

右は、大宰師大伴卿、大納言を兼任し、京に向ひて道に上る。

この日に、馬を水城に駐めて、府家を顧み望む。その時に、卿を送る府吏の中に、遊行女婦あり、その字を児島といふ。

ここに、娘子、この別れの易きことを傷み、その会ひの難きことを嘆き、涕を拭ひて自ら袖を振る歌を吟ふ。

大納言大伴卿が和ふる歌二首

大和道の 吉備の児島を 過ぎて行かば 筑紫の児島 思ほえむかも  巻6−967

ますらをと 思へる我れや 水茎の 水城の上に 涙拭はむ  巻6−968

太宰府市の西北に、平野の出入口を塞ぐように木立に覆われた丘が続く。

これは664年に、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設「水城」である。

丘と見違えるのは、人の手で積み上げた大堤(土塁)で、その規模は全長1.2`、基底部の幅80b、高さ14bに及ぶ。

そして現在は埋っているが、外側(海側)には名のとおり幅60b、深さ4bの堀を掘って水を貯えていた。

(太宰府市観光案内から)

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万葉歌碑・・・太宰府市国分 衣掛天満宮近く(巻6−965・968)

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