安積香山

福島県郡山市

安積香山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに  巻16−3807

この歌には左註がある。

右の歌は、伝へて云はく、「葛城王、陸奥の国に遣はさえける時に、国司の祗承、緩怠にあること異にはなはだし。時に、王の意悦びずして、怒りの色面に顕れぬ。飲饌を設くといへども、あへて宴楽せず。ここに、前の采女あり。風流の娘子なり。左手に水を持ち、王の膝を撃ちて、この歌を詠む。すなはち、王の意解け悦びて、楽飲すること終日なり」といふ。

『古今和歌集』の序では、この「安積香山」の歌についてつぎのように記す。

安積香山のことばは、采女のたはぶれよりよみて、  葛城王を陸奥へつかはしたりけるに、国の司、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、采女なりける女の、土器とりてよめるなり。これにぞ王の心とけにける。この歌は、歌の母のやうにてぞ、手習ふ人の始にもしける。

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郡山市片平町の王宮伊豆神社には、この葛城王に因む「葛城王祠」碑がある。

王宮伊豆神社

しかし一方で、悲しい采女の話がこの地に残る。

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安積采女の由来

今から千余年前、奈良の都から葛城王という方が、地方の政情視察、監督のため、陸奥の国安積の里と呼ばれたこの地に着き、村里の状況を視察されました。

里人は王の気嫌を損じてはならないと懸命にもてなしましたが、ますます気嫌が悪くなるばかりで、そこで国司は美人で評判の春姫を召し出しました。

春姫は心から王をもてなし、王の前に杯を捧げこの歌を献じました。和歌にすぐれた王はことのほか喜ばれ、春姫を帝の采女として召し出すよう申し渡しました。

このため里を離れることになった春姫は、悲嘆にくれましたが、里人の窮状を救うためとあきらめ、王とともに都にのぼりました。

ある日、猿沢の池のほとりで月見の宴が開かれたとき、なつかしい里への思いがつのり、春姫は宴席を離れ、柳の木に衣を着せかけ池に身を投げたように見せかけて、一路安積の里をめざして逃げ帰りました。

ようやくの思いで里にたどり着いた春姫は、都からの後難を恐れた里人の冷やかなまなざしと困惑した顔に、生きる望みも失い、山の井の清水に身を投げこの世を果てたということです。

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采女を祀る采女神社と身を投げたという山の井がある。 郡山市片平町・山の井公園

采女神社

山の井

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奈良・猿沢の池にも采女伝説がのこる。

「猿沢池 采女神社」をご覧ください。

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