泳の宮

岐阜県可児市久々利

ももきね 美濃の国の 高北の 泳の宮に 日向ひに 行靡闕矣 ありと聞きて 我が行く道の 奥十山  美濃の山

靡けと 人は踏めども かく寄れと 人は突けども 心なき山の 奥十山 美濃の山  巻13−3242

『日本書紀』景行天皇の条に、天皇が美濃国泳の宮で弟媛を妻問うという話がある。

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四年の春二月の甲寅の朔甲子に、天皇、美濃に幸す。左右奏して言さく、「?の国に佳人有り。弟媛と曰す。容姿端正し、八坂入彦皇子の女なり」とまうす。

天皇、得て妃とせむと欲して、弟媛が家に幸す。弟媛、乗輿車駕すと聞きて、則ち竹林に隠る。是に、天皇、弟媛を至らしめむと権りて、泳宮に居します。

鯉魚を池に放ちて、朝夕に臨遊して戯遊びたまふ。時に弟媛、其の鯉魚の遊ぶを見むと欲して、密に来でて池を臨す。

天皇、則ち留めて通しつ。爰に弟媛以為るに、夫婦の道は、古も今も達へる則なり。然るに吾にして不便ず。

則ち天皇に請して曰さく、「妾、性交接の道を欲はず。今皇命の威きに勝へずして、暫く帷幕の中に納されたり。然るに意は快びざる所なり。

亦形姿穢陋し。久しく掖庭に陪へまつるに堪へじ。唯妾が姉有り。名を八坂入媛と曰す。容姿麗美し。志亦貞潔し。後宮に納れたまへ」とまうす。

天皇聴したまふ。仍りて八坂入媛を喚して妃とす。七の男と六の女とを生めり。

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万葉歌の作者はこの地を訪れようとして、その峻険な山々に難渋したと詠っている。

でも、景行天皇はそんなところにまで奥さんを求めてやって来た。

弟媛には断られたが、姉の八坂入媛を娶り、媛は七男六男を生んだという。

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泳宮跡伝承地には「泳宮古蹟」の碑が建ち、中央に万葉歌碑がある。

その歌碑であるが、供花が添えられ、供物も並ぶ。

歌碑にこれほどの施しがされているのは初めてである。弟媛の供養碑の意味も込められているのだろうか。

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この碑文の複刻碑が近くの可児郷土歴史館にある。

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