多芸の行宮 多度川の滝

岐阜県養老郡養老町

美濃の国の多芸の行宮にして、大伴宿禰東人が作る歌一首

いにしへゆ 人に言ひ来る 老人の をつといふ水ぞ 名に負ふ滝の瀬  巻6−1034

大伴宿禰家持が作る歌一首

多度川の 滝を清みか いにしへゆ 宮仕へけむ 多芸の野の上に  巻6−1035

聖武天皇の関東行幸

天平十二年、九州大宰府で藤原広嗣の乱が起った。

聖武天皇はその乱を避けるため関東に行幸した。

関東といっても今の関東ではない。伊賀・伊勢・美濃・近江と行幸して、

最後に恭仁宮へ行幸するというぐるっと一周の旅である。

その途中、美濃国多芸郡での歌が上記の二首。

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それより以前、霊亀三年(養老元年)に、元正天皇がこの地を訪ねている。

『続日本紀』に、

養老元年九月十一日、天皇は美濃国に行幸された。九月二十日、多芸郡に行幸し、多度山の美泉をご覧になった。

・・・

十一月十七日、天皇は次のように詔した。

朕は今年九月、美濃国不破の行宮に赴き、数日間逗留した。

その時、多芸郡の多度山の美泉を見、手や顔を洗ったところ、肌が滑らかになるようであった。

また痛いところを洗うと、痛みが全く除かれてしまった。私の体にとって大きな効き目があった。

また聞くところによると、これを飲んだり浴びたりする者は、白髪が黒くなったり、禿げ髪にあらたに生えたり、

あるいは見えない眼が見えるようになったという。その他永らくの病気もすべて治ったという。

・・・

まことに考えてみると、美泉は大瑞である。朕は凡庸で劣っている。

天の賜物を無視してはならぬ。天下に大赦を行おう、

霊亀三年を改めて養老元年とし ・・・。

・・・・・

今われわれは「養老の滝」と呼ぶ。

老いを養うとして名付けたのが元正天皇なのである。しかも年号も「養老」とした。

この滝の水を飲むと、白髪が黒くなったり、禿げ頭に毛が生えたり、ちょっとオーバーやけどね。

上の写真はその時の「元正天皇行幸遺跡」と、黒髪に戻るという「養老の滝」

もう一度行かなあかんな。

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万葉歌碑(養老町・養老公園内)


養老公園内
 巻6−1034・1035

「元正天皇行幸遺跡碑」裏面
巻6−1035

滝前広場「続日本紀標柱」
巻6−1034・1035

滝前広場「養老美泉辯碑」
巻6−1034・1035

元正天皇行幸遺跡

先太上天皇の御製 霍公鳥の歌一首  日本根子高瑞日清足姫上皇なり

ほととぎす なほも鳴かなむ 本つ人 懸けつつもとな 我を音し泣くも  巻20−4437

養老神社境内

沙弥満誓が歌一首

世間を 何に譬へむ 朝開き 漕ぎ去にし船の 跡なきがごと  巻3−351

沙弥満誓、綿を詠む歌一首

しらぬひ 筑紫の綿は 身に付けて いまだは着ねど 暖けく見ゆ  巻3−336

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