鞆の浦 広島県福山市鞆町 海人小舟 帆かも張れると 見るまでに 鞆の浦みに 波立てりみゆ 巻7−1182 今日は波穏やかな鞆の浦、遠くの島々まで遠望できる。 鞆の浦背後の山なみを走るグリーンラインの展望台から眺めている。船が静かに島の廻りを行き交う。 時間がゆっくり、ゆっくりと流れていく。 万葉歌碑は後山展望園地の高台にあり、この景観を毎日のように眺めている。波立つ日も、雨の日も。 ・・・・・・・ 大伴旅人は神亀四年(727)大宰師に任じられて九州筑紫に赴いた。 妻の大伴郎女も同行し、この鞆の浦も寄航したであろう。だが、翌年この郎女は還らぬ人となってしまった。 天平二年(730)旅人は大納言となって奈良の都へ戻ることになった。その海路、この鞆の浦で詠んだ歌がある。 ・・・・・ 天平二年庚午の冬の十二月に、大宰帥大伴卿、京に向ひて道に上る時に作る歌 我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人ぞなき 巻3−446 鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相見し妹は 忘れえめやも 巻3−447 磯の上に 根延ふむろの木 見し人を いづらと問はば 語り告げむか 巻3−448 右の三首は、鞆の浦を過ぐる日に作る歌 ・・・・・ 万葉歌碑
|
万葉集 万葉故地 広島 鞆の浦