辛荷の島 兵庫県相生市相生金ヶ崎 辛荷の島を過ぐる時に、山部宿禰赤人が作る歌一首 并せて短歌 あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮巻き 作れる船に 真楫貫き 我が漕ぎ来れば 淡路の 野島も過ぎ 印南都麻 辛荷の島の 島の際ゆ 我家を見れば 青山の そことも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎたむる 浦のことごと 行き隠る 島の崎々 隈も置かず 思ひぞ我が来る 旅の日長み 巻6−942 反歌三首 玉藻刈る 辛荷の島に 島廻する 鵜にしもあれや 家思はずあらむ 巻6−943 島隠り 我が漕ぎ来れば 羨しかも 大和へ上る ま熊野の船 巻6−944 風吹けば 波か立たむと さもらひに 都太の細江に 浦隠り居り 巻6−945 室の浦の湍門の崎(金ヶ崎)から辛荷の島 相生市相生の金ヶ崎の先端に立つ。金ヶ崎は巻12−3164に詠われる「室の浦の湍門の崎」(別頁で紹介)である。 沖合いに島々が浮ぶが、近くに見える三つの島が「辛荷の島」だ。写真左から、地の唐荷・中の唐荷・沖の唐荷と呼ばれている。 波静かに輝く水面を船が行き交う。だが、この辺りは暗礁が多く船が難破することもあるという。 唐荷とは、播磨風土記に「韓国の破れたる船と、漂へる物と、この島に漂ひ就きき」とあり、その名が付いたという。 このような場所に立つといつも思い浮ぶのが、ここを通り過ぎた人々のこと。 伊予の湯に向う人、防人として九州の向う東国からの人々、遣新羅使人たち、・・・・・・。 山部宿禰赤人は「桜皮巻き 作れる舟」と詠う。どのような舟だったのだろう。 今日のように波静かであれば船旅も軽快だろうが、それでも救命具も着けてないだろうから不安が先で、 景観を楽しむといった余裕はなかなか持てなかったことだろう。 ・・・ 金ヶ崎先端の高台に歌碑はある。(巻6−942〜945) ・・・・・ 御津町室津の漁港を訪ねた。「室の浦」である。 この辺りはいかなごの「くぎ煮」が名産で、 以前春3月に訪ねたときは、いかなご漁の解禁日の翌日で、漁港は出来たてのくぎ煮の販売で賑わっていた。 今日は静かな秋の休日、漁港の波止場は魚釣りをする人で賑わう。 漁港から岬の先端に出る。ここは藻振鼻と呼ばれていて、ここからは近くに「辛荷の島」が望める。 藻振鼻の万葉歌碑(巻6−943) |
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