苅野の橋

茨城県神栖市知手

鹿島の郡の刈野の橋にして、大伴卿を別るる歌一首 并せて短歌

牡牛の 三宅の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小船を設け 玉巻きの 小楫しじ貫き 夕潮の 満ちのとどみに

御船子を 率ひたてて 呼びたてて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て こいまろび 恋ひかも居らむ 足すりし

音のみや泣かむ 海上の その津を指して 君が漕ぎ去なば  巻9−1780

反歌

海つ道の なぎなむ時も 渡らなむ かく立つ波に 船出すべしや  巻9−1781

右の二首は、高橋連虫麻呂が歌集に出づ

史跡・苅野橋

といっても、この石碑が立つのみで、周りは田園風景が広がるばかりだ。

この辺りは利根川下流の水郷地帯であったらしいが、

後干拓が進み、史跡碑辺りにも橋を架けるような川は見当たらない。

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万葉歌碑は、神栖市知平・軽野小学校の校庭にある。

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