熊来のやら 熊木川 石川県七尾市中島町 能登の国の歌 はしたての 熊木のやらに 新羅斧 落し入れ わし かけてかけて な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし 巻16−3878 右の歌一首は、伝へて云はく、「ある愚人、斧、海の底に堕ちて、鉄の沈み、水に浮く理なきことを解らず。 いささかにこの歌を作り、口吟びて喩と為す」といふ。 はしたての 熊木酒屋に まぬらる奴 わし さすひ立て 率て来なましを まぬらる奴 わし 巻16−3879 熊木川河口 やらとは、海水の流動が少なく淀んだ泥海のようなところをいうらしい。 この辺りで新羅斧を海中に落し、嘆き、浮んで来いと覗き込む、微笑ましい民謡調の歌だ。 この辺りは、新羅斧とも言い表すように、大陸との文化交流が盛んな所である。 中島町史を引用する。 ・・・ 能登半島の古代史は朝鮮半島からの人と文化の往来を抜きにしては語れない。 当地中島町に鎮座する「久麻加夫都阿良加志比古神社」は、その渡来系人格神を祀った典型といわれている。 その祭神の一柱は日本書紀や韓国の三国史記にも登載されている3〜4世紀に南朝鮮に栄えていた郡邑国家「意富加羅国」の王子、 都奴賀阿良比都命であり、神社に祀られている神像も日本書紀垂仁記に記載されているとおり、冠帽に朝鮮風の道服を着用している。 また、万葉集巻16には、この地の地名「熊木」を詠み込んだ「能登国歌」が収録され、 鉄の文化の朝鮮半島からの伝来を表現する「新羅斧」の歌があり、当地との関わりを伝える。 ・・・・・ 麻加夫都阿良加志比古神社 (日本でいちばん長い名前の神社) 万葉歌碑
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