足柄山

神奈川県南足柄市矢倉沢

南足柄市街から足柄峠を目指した。かなりの山奥で、行き交う車も少ない。

万葉公園はこの峠の頂にあり、四方を山に囲まれている。

富士の山も望めるのだが、今日は頭を雲に隠してしまった。

足柄峠、ここはヤマトタケルが亡き弟橘媛を偲び「あづまはや」と三度嘆息をした峠である。(『古事記』)

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足柄万葉公園

ここに万葉歌碑が7基ある。

足柄の み坂畏み 曇り夜の 我が下ばへを こちでつるかも  巻14−3371

安思我良乃 美佐可加思古美 久毛利欲能 阿我志多婆倍乎 許知弖都流可毛

足柄の み坂に立して 袖振らば 家なる妹は さやに見もかも  巻20−4423

安之我良乃 美佐可尓多志弖 蘇?布良婆 伊波奈流伊毛波 佐夜尓美毛可母

足柄の 麻万の小菅の 菅枕 あぜかまかさむ 子ろせ手枕  巻14−3369

阿之我利乃 麻萬能古須氣乃 須我麻久良 安是加麻可左武 許呂勢多麻久良

足柄の わを可鶏山の かづの木の 我を誘さねも 門さかずとも  巻14−3432

阿之賀利乃 和乎可鷄夜麻能 可頭乃木能 和乎可豆佐祢母 可豆佐可受等母

足柄の 箱根の嶺ろの にこ草の 花つ妻なれや 紐解かず寝む  巻14−3370

安思我里乃 波故祢能祢呂乃 尓古具佐能 波奈都豆麻奈礼也 比母登可受祢牟

造筑紫観世音別当沙弥満誓が歌一首

鳥総立て 足柄山に 船木伐り 木に伐り行きつ あたら船木を  巻3−391

鳥総立 足柄山尓 船木伐 樹尓伐歸都 安多良船材乎

我が背子を 大和へ遣りて 待つしだす 足柄山の 杉の木の間か  巻14−3363

和我世古乎 夜麻登敝夜利弖 麻都之太須 安思我良夜麻乃 須疑乃木能末可

また、足柄山は金太郎のふるさとでもある。

まさかりかついで きんたろう くまにまたがり おうまのけいこ 

はいしどうどう はいどうどう はいしどうどう はいどうどう 

あしがらやまの やまおくで けだものあつめて すもうのけいこ

 はっけよいよい のこった はっけよいよい のこった

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帰り道、苅野にある足柄神社に寄ってみた。

足柄神社  南足柄市苅野

祭神は、瓊々杵尊と日本武尊となっているが、本来はこの足柄の産土神であろう。

『古事記』のヤマトタケルの条に、

「悉に荒ぶる蝦夷等を言向け、また山河の荒ぶる神等を平和して、還り上り幸しし時に、

足柄の坂本に到りて御粮食す処に、その坂の神白き鹿に化りて来立ちき。

ここに即ちその咋ひ遺したまひし蒜の片端以ちて待ち打ちたまへば、その目に中りてすなはち打ち殺さえき」

とある白鹿の神がこの足柄の神である。神社由緒の古記には足柄大明神とある。後、日本武尊を合祀したものである。

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私は足柄山の神社だから、祭神はきっと金太郎だと思って立ち寄った。

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南足柄市街に戻り駅前でざるそばを食べ、近くを流れる狩川の河畔(飯田・広町)にある万葉歌碑を訪ねた。

足柄の 箱根飛び越え 行く鶴の 羨しき見れば 大和し思ほゆ  巻7−1175

足柄乃 筥根飛超 行鶴乃 乏見者 日本之所念

上総の国の朝集使大掾大原真人今城、京に向ふ時に、郡司が妻女等が餞する歌

足柄の 八重山越えて いましなば 誰れをか君と 見つつ偲はむ  巻20−4440

安之我良乃 夜敝也麻故要弖 伊麻之奈波 多礼乎可伎美等 弥都々志努波牟

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足柄を詠う防人の歌とその妻の歌がある。

左註にある「都筑の郡」とは、現在の横浜市都筑区よりも広い範囲で、保土ヶ谷区から青葉区辺りも含む。

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我が行きの 息づくしかば 足柄の 峰延ほ雲を 見とと偲はね  巻20−4421

右の一首は都筑の郡の上丁服部於由

我が背なを 筑紫へ遣りて 愛しみ 帯は解かなな あやにかも寝も  巻20−4422

右の一首は妻の服部呰女

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万葉歌碑がある。

左:横浜市青葉区みたけ台 祥泉寺   右:横浜市旭区白根 白根公園

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