淘綾よろぎの浜 神奈川県中郡二宮町 相模道の 淘綾の浜の 真砂なす 子らは愛しく 思はるるかも 巻14−3372 右は相模の国の歌 夕刻迫る二宮町の吾妻山の山頂に立った。 200bほどの山であるが、山頂は「吾妻公園」になっていて四方の山々が見渡せる。 北西には富士の山も望めるらしいが、今日は雲の中。 下界は小田原市から二宮町の海岸線と相模湾が見渡せる。 この海岸線が万葉に詠まれた淘綾の浜である。古くはこの辺りを淘綾郡といった。 遠くに伊豆の半島が横たわる。 ・・・・・ 山頂近くに、吾妻神社がある。 ヤマトタケルが東征の帰り、足柄峠で亡き弟橘媛を偲び「あづまはや」と三度嘆息をしたその吾妻である。 神社由来には、 「ヤマトタケルが三浦半島の走水から上総の国に船で渡る時、突然荒波に遭い、妃である弟橘媛命が身代りとなって海に身を投げ、 波浪を静めたと伝えられている。後に今の梅沢の海岸(この神社近くの海岸)に妃の櫛が流れ着き、 その櫛を埋めて御陵を造ったことから、この地を埋澤と云い、現在の梅沢の鎮守となった」という。 「また命の小袖が浜辺に漂着し、これを山頂に祀ったと伝えられ、この近くの浜辺は袖ヶ浦海岸と呼ばれている。」という。 もちろん吾妻神社の主神は弟橘媛命である。 ・・・・・ 山頂には万葉歌碑がある。吾妻公園の由来碑である。 |
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