鞠智くくち城 熊本県山鹿市菊鹿町米原 『続日本紀』文武天皇二年五月に、 大宰府をして大野・基肄・鞠智の三城を繕治はしむ。 右・八角形の鼓楼 米倉 兵舎 ・・・・・ 熊本県山鹿市に鞠智城跡公園がある。 正史は『続日本紀』文武天皇二年の記事が初出である。 朝鮮式山城で、天智天皇の代、白村江の戦いに敗れた後、各地に造られた山城のひとつであろう。 しかし、対馬の金田城、博多湾を守る基肄城、大宰府を防衛する大野城という防衛の前線基地とは異なり、 ここ鞠智城は兵站基地であろうと云われる。 ここにも多くの防人たちが配備されていたのだろう。防人をシンボルとしたモニュメントがある。 万葉集・防人歌が三首刻されている。 父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる 巻20−4346 我が妻も 絵に描き取らむ 暇もが 旅行く我れは 見つつ偲はむ 巻20−4327 防人に 行くは誰が背と 問ふ人を 見るが羨しさ 物思ひもせず 巻20−4425 |
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