鹿背の山 泉川

京都府木津川市加茂町西

娘子らが 続麻懸くといふ 鹿背の山 時しゆければ 都となりぬ  巻6−1056

狛山に 鳴くほととぎす 泉川 渡りを遠み ここに通はず  巻6−1058

木津川市山城町の上狛、木津川沿いに国道163号線が走る。

加茂町に向って走る途中「山城郷土資料館」に寄る。ここは万葉に詠まれた「狛山」の麓に位置する。

資料館の前には、「泉川」(木津川)が流れ、その向うに「鹿背山」が座る。

資料館を出、さらに国道を走る。車の往来が激しく、なかなか写真を撮るところが探せない。

加茂町に入ってすぐ、加茂町西という地名のところで、木津川は大きく直角に流れを変える。上の写真はその位置での撮影。

写真の対岸の山が「鹿背山」。

鹿背山北端部と木津川との間にある平地が、現在は加茂町法花寺野、

恭仁京以前からあった甕原離宮の地ではないかといわれる。

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万葉集は「久邇の新京を讃むる歌」(巻6−1050〜1058)として、この地の山河を詠う

山城郷土資料館に万葉歌碑が立つ。


巻6−1056

巻6−1058

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大伴家持が越中国に在任中、弟書持の訃報が届く。

赴任の折この泉川まで見送りに来てくれた、それが永久の別れになってしまった。

「たはこととかも」と嘆く家持の長歌である。涙を誘う。

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長逝せる弟を哀傷しぶる歌

天離る 鄙治めにと 大君の 任けのまにまに 出でて来し 我れを送ると あをによし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に

 馬留め 別れし時に ま幸くて 我れ帰り来む 平けく 斎ひて待てと 語らひて 来し日の極み 玉桙の 道をた遠み 山川の

 へなりてあれば 恋しけく 日長きものを 見まく欲り 思ふ間に 玉梓の 使の来れば 嬉しみと 我が待ち問ふに およづれの

 たはこととかも はしきよし 汝弟の命 なにしかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出づる秋の 萩の花 にほへるやどを

 朝庭に 出で立ち平し 夕庭に 踏み平げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末に 白雲に 立ちたなびくと

 我れに告げつる  巻17−3957

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山城郷土資料館の近くに、国指定史跡「高麗寺跡」がある。

現在この地を「狛」といい、「狛山」の麓に高麗寺があった。

『日本書紀』欽明天皇の条に、

「高麗の使人が暴風雨に苦しみ、迷って港が分らなくなり、漂流の果て越の浜に着いた」

「天皇は政治が広く行き渡り、徳が盛んで恵みある教化が行われ・・・・・・有司は山城国相楽に館を建て、厚く助け養え」と

高麗人を住まわせた。

この頃から高句麗の渡来氏族狛氏が南山城に居住し勢力を伸ばし始めたと思われる。

この高麗寺はこの渡来氏族狛氏の創建とされ、11世紀中頃以前に廃絶したとされる。

明治期には、礎石があちこちに残存していたといい、昭和初期の発掘調査では、講堂跡・塔跡・金堂跡などが確認され、

法起寺式伽藍配置であるとされた。加茂町の山城国分寺と文字瓦を共通にするともいう。

今は訪ねる人も少なく、稲田の真ん中にひっそりとした跡地となっている。

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『日本霊異記』に高麗寺の僧が登場する。

法華経を読む僧を呰りて、現に口?斜みて、悪死の報を得る縁  第十八

去にし天平年中に、山背の国相楽の郡の部内に、ひとりの白衣ありき。姓名詳らかならず。

同じ郡の高麗寺の僧栄常、つねに法花経を誦持しき。その白衣、僧とその寺に居て、暫くのあひだ碁をなす。・・・・・・・

碁を打つ僧が一目ごとに言葉を発し、それを白衣は嘲り口まねをした。すると白衣の口はゆがみ、たちまちに死んだという。

高僧を軽んじてはならないという戒めらしい。

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朝日新聞に高麗寺跡の発掘記事、ひっそりとした跡地と思っていたが調査は続けられていた。

「白鳳の塔 黄金の技」

660年代の白鳳時代に完成した国内最古級の寺院とされる高麗寺跡(国の史跡)で、

金めっきを施された塔の相輪の破片1個が出土した、と発表した。

相輪は塔の頂部に取り付けられた串団子状の金属棒の装飾物で金めっきが鮮やかに残ったものは珍しい。

朝日新聞複写

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泉橋寺

奈良時代、行基によって、木津川(泉川)に架けられた泉大橋を守護するために建立された寺である。

 

門前にある地蔵石仏は、永仁三年(1296)から十三年間かけて完成したもの。

当初は地蔵堂が上棟されていたが、応仁の乱で焼失、以来このように露座のままとなっている。

高さが4.58bあり、丸彫りで日本一の石地蔵である。また、境内には国の重要文化財に指定されている五輪塔がある。

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この泉橋寺は『蜻蛉日記』に登場する。初瀬詣での途中の話。

泉川の橋寺

その泉川も渡らで、橋寺といふところにとまりぬ。

酉の時ばかりに降りて休みたれば、旅籠どころとおぼしきかたより、切り大根、柚の汁してあへしらひて、まづ出だしたり。

かかる旅だちたるわざどもをしたりしこそ、あやしう忘れがたうをかしかりしか。

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