棚倉の野

京都府木津川市山城町綺田

十月の二十二日に、左大弁紀飯麻呂朝臣が家にして宴する歌

手束弓 手に取り持ちて 朝猟に 君は立たしぬ 棚倉の野に  巻19−4257

右の一首は、治部卿船王伝誦す。久邇の京都の時の歌

山城町にJR棚倉駅があり、近くにはこの歌の万葉歌碑もあり、歌に詠われた棚倉をこの辺りと訪ねてみた。

特にこれといった特徴のある地形でもなく、田植えの終った稲田と山城の竹の子で有名な山々が見渡せる「棚倉の野」だ。

棚倉の名を探そうとブラブラ、棚倉小学校があった。

ちょっと校内を覗くと「旧棚倉村役場跡」の石碑があったので、いよいよこの辺りが棚倉と確信をして帰った。

帰宅して書物で調べて見ると、この棚倉村は明治になってから新しくつけた村名だということが分かり、この裏づけ捜査は失敗になった。

ここ山城町付近とする説もあるが、一方、京田辺市に棚倉孫神社があり、延喜式にも載る古社でここも棚倉の候補地ということだ。

恭仁京からはちょっと離れるが、橘諸兄が住んでいた井出町の南隣が旧の山城町であり、西隣が旧の田辺町、

どちらかの地に紀飯麻呂さんは住んでいた。

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木津市山城町平尾のアスピアやましろに万葉歌碑がある。

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棚倉孫神社  京田辺市田辺

祭神は天香古山命、饒速日命の子で高倉下命・手栗彦命ともいい、「たなくりひこ」が棚倉孫に転じたといわれる。

一説には南山城に渡来人が多く、養蚕が盛んで、棚倉とは蚕棚の小屋の意ともいう。

この神社の「ずいき神輿」は有名で、秋に収穫した26種類もの野菜や穀物で飾られた神輿である。

以前、偶然に祭の日に通りかかり街を練り歩く神輿に出会った。


練り歩く「ずいき神輿」

神輿の屋根はずいき

とうがらし・きんかん・・・

この神輿、神社の神輿庫に常時展示されている。野菜だからだんだん色褪せてくるが。

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