対 馬 長崎市対馬市 対馬の嶺は 下雲あらなふ 可牟の嶺に たなびく雲を 見つつ偲はも 巻14−3516 浅茅湾 対馬は上島と下島とからなり、その間を浅茅湾が深く湾入する。きれいな風景を眼前に見せてくれる。 しかし、周りはすべて山、険しく高い山々で、とてもここが島とは思えない。しかも、平野部がほとんどなく、山はいきなり海につながる。 それでも、この湾入したどこかに船を休める船泊りがあり、大海の荒波を避けることができるのだろう。 ・・・ 万葉歌碑
・・・・・ 天平八年(736)、遣新羅使人たちはようやくにこの対馬までたどりついた。 ・・・ 対馬の島の浅茅の浦に至りて船泊りする時に、順風を得ず、経停すること五箇日なり。 ここに、物華を瞻望し、おのもおのも慟みする心を陳べて作る歌三首 百船の 泊つる対馬の 浅茅山 しぐれの雨に もみたひにけり 巻15−3697
秋されば 置く露霜に あへずして 都の山は 色づきぬらむ 巻15−3699 紫瀬戸 和多都見神社 ・・・ 万葉歌碑
・・・・・ さらに万葉歌はつづく。 竹敷の浦に船泊りする時に、おのもおのも心緒を陳べて作る歌十八首 あしひきの 山下光る 黄葉の 散りの乱ひは 今日にもあるかも 巻15−3700 右の一首は大使 竹敷の 黄葉を見れば 我妹子が 待たむと言ひし 時ぞ来にける 巻15−3701 右の一首は副使 竹敷の 浦みの黄葉 我れ行きて 帰り来るまで 散りこすなゆめ 巻15−3702 右の一首は大判官 竹敷の 宇敝可多山は 紅の 八しほの色に なりにけるかも 巻15−3703 右の一首は少判官 金田城石垣と浅茅湾(竹敷) ・・・・・ 黄葉の 散らふ山辺ゆ 漕ぐ船の にほひにめでて 出でて来にけり 巻15−3704 竹敷の 玉藻靡かし 漕ぎ出なむ 君がみ船を いつとか待たむ 巻15−3705 右の二首は対馬の娘子。名は玉槻 玉敷ける 清き渚を 潮満てば 飽かず我れ行く 帰るさに見む 巻15−3706 右の一首は大使 秋山の 黄葉をかざし 我が居れば 浦潮満ち来 いまだ飽かなくに 巻15−3707 右の一首は副使 物思ふと 人には見えじ 下紐の 下ゆ恋ふるに 月ぞ経にける 巻15−3708 右の一首は大使 浅茅湾・竹敷の港 ・・・・・ 家づとに 貝を拾ふと 沖辺より 寄せ来る波に 衣手濡れぬ 巻15−3709 潮干なば またも我れ来む いざ行かむ 沖つ潮騒 高く立ち来ぬ 巻15−3710 我が袖は 手本通りて 濡れぬとも 恋忘れ貝 取らずは行かじ 巻15−3711 ぬばたまの 妹が干すべく あらなくに 我が衣手を 濡れていかにせむ 巻15−3712 黄葉は 今はうつろふ 我妹子が 待たむと言ひし 時の経ゆけば 巻15−3713 秋されば 恋しみ妹を 夢にだに 久しく見むを 明けにけるかも 巻15−3714 ひとりのみ 着寝る衣の 紐解かば 誰れかも結はゆ 家遠くして 巻15−3715 天雲の たゆたひ来れば 九月の 黄葉の山も うつろひにけり 巻15−3716 旅にても 喪なく早来と 我妹子が 結びし紐は なれにけるかも 巻15−3717 万葉歌碑
・・・・・・・ 対馬を始めて訪ねた。 対馬は国境の町という印象だ。お隣韓国との国境、いたるところでハングルの文字が目につく。 レストランのメニュー、街角のゴミ箱にも日本語と韓国語が併記されている。 韓国からの旅行者も多い。「朝鮮通信使の街」とうたう。 海岸通りの町並みにはどこか朝鮮式の石垣とも思える家々が並ぶ。神社の常夜燈も韓国で見た石塔様式だ。 この海岸の向こうは韓国なのだ。 海神神社前の海岸(峰町) 峰町で見かけた石垣のある家・美津島町鴨居瀬の住吉神社 ・・・ 対馬には天然記念物のヤマネコが棲息する。夜行性だから見かけることはできなかったが。道路脇に鹿がいて、びっくりした。 対馬の一番北の端に行くと、ここから韓国・釜山が見えますという。 夜中にごそごそ起きだして展望所にでかけた。 夜空には星がなく、どうやら曇り空、遠く釜山の方向にはポツリポツリと灯りが見える。 双眼鏡で覗くとそれはイカ釣り漁船、残念ながら釜山の夜景は見られなかった。 対馬で2泊3日、天候にはあまりめぐまれなかった。 これが周囲を海に囲まれた対馬の天気らしい。 さらに、台風が近づくという天気予報、ほんとうはこのまま船で韓国・釜山に向う予定をしていたのだが、パスポートも持参して、 台風の対馬海峡は恐い。あきらめて博多港行きの船に乗った。 対馬に別れを告げた船中、対馬の空は真っ赤に燃えていた。 |
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