剣 池

奈良県橿原市石川

み佩かしを 剣の池の 蓮葉に 溜まれる水の ゆくへなみ 我がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寐ねそと

母聞こせども 我が心 清隅の池の 池の底 我れは忘れじ 直に逢ふまでに  巻13−3289

橿原市石川にある「剣池」は古く歴史に登場する池である。

『日本書紀』に

開化天皇五年春二月六日、孝元天皇を剣池嶋上陵に葬った。

応神天皇十一月冬十月、剣池・軽池・鹿垣池・厩坂池を造った。

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皇極天皇三年三月六日、剣池の蓮の中に、一本の茎に二つの花房をつけたのが見つかった。

豊浦大臣(蝦夷)は勝手に推量して、「これは蘇我氏が栄える前兆である」といった。

金泥でその絵を書いて、飛鳥法興寺の丈六の仏に供えた。

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剣池は今も満々と水をたたえ、冬には多くの鴨が水面に浮ぶ。

万葉歌に詠われた蓮、蘇我蝦夷が吉兆とした蓮は今はない。

一年後の六月、乙子の変で蘇我蝦夷・入鹿親子が滅びることをこの池は見ていただろう。

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池畔に万葉歌碑が立つ。

紀皇女の御歌一首

軽の池の 浦み行き廻る 鴨すらに 玉藻の上に ひとり寝なくに  巻3−390

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