三輪の祝がいはふ杉

奈良県桜井市三輪

味酒を 三輪の祝が いはふ杉 手触れし罪か 君に逢ひかたき  丹波大女娘子  巻4−712

大神神社

神体山三輪山を拝する原始信仰から始ったといわれ、今でも拝殿と神門があるが神殿はもたない。延喜式神名帳にある城上郡「大神大物主神社」にあたる。

神婚説話(『日本書紀』)

倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は、大物主神の妻となった。けれどもその神は昼は来ないで、夜だけやってきた。倭迹迹日百襲姫命は夫にいった。「あなたはいつも昼はおいでにならぬので、そのお顔を見ることができません。どうかもうしばらく留って下さい。朝になったらうるわしいお姿を見られるでしょうから」と。大神は答えて「もっともなことである。あしたの朝あなたの櫛函に入っていよう。どうか私の形に驚かないように」と。倭迹迹日百襲姫命は変に思った。明けるのを待って櫛函を見ると、まことにうるわしい小蛇がはいっていた。その長さ太さは衣紐ほどであった。驚いて叫んだ。すると大神は恥じて、たちまち人の形となった。そして、「お前はがまんできなくて、私に恥をかかせた。今度は私がお前にはずかしいめをさせよう」といい、大空を跳んで御諸山(三輪山に同じ)に登られた。倭迹迹日百襲姫命は仰ぎみて悔い、どすんと坐りこんだ。そのとき箸で陰部を撞いて死んでしまわれた。それで大市に葬った。ときの人はその墓を名づけて箸墓という。その墓は昼は人が造り、夜は神が造った。大坂山の石を運んで造った。山から墓に至るまで、人民が連って手渡しにして運んだ。ときの人は歌っていった。大坂 踵登 石群 手逓伝越 越難乎(大坂に 継ぎのぼれる 石群を 手逓伝に越さば 越しかてむかも)

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巳の神杉

拝殿の前に「巳の神杉」がある。樹齢600年以上という古杉で、樹の空洞の中に蛇神が棲むといわれている。

写真、ちょっと小さくて見にくいが今日も供物台にはお酒と卵が供えられている。境内各所で見られる光景だ。蛇神の好物が酒と卵らしい。

万葉歌に詠われた「三輪の祝がいはふ杉」はこのような杉のことだろう。大物主神に恥をかかせてしまった百襲姫、そのような謂れのある杉に触れてしまったため、丹波大女娘子は君に逢えないと嘆く。
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ところで、大神神社を参拝していつも思うこと。つまらないことだけど、このお供えの卵はもちろん生玉子、ゆで玉子ではないでしょうね。ここまで持参するのが大変、ポケットに忍ばせたり、バッグに入れて来りして途中で壊れたらグチャってなってしまう。本当につまらないこと思ってます。さらに、この供えられた玉子、毎日すごい数になると思う。三輪山の蛇様が食べるとしても毎日そんなにたくさんは食べられないし、残りはどうするのでしょう。いらぬ心配です。
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日本酒発祥の地
 
三輪の枕詞が味酒であるように、ここ大神神社は酒の神様とも云われている。毎年11月14日、醸造安全祈願祭が執り行われる。祈願が終了すると、護符と神社で作った杉玉(酒林ともいう)を授かる。これを持ち帰った酒屋さんは、今年も良い新酒ができたと知らせるため軒先に下げる。元々は、造り酒屋が神社の杉の枝や葉をいただいて帰り、杉玉を作り、神の宿るものとして良い酒ができるように祈ったものという。
神社近くの造り酒屋を訪ねた。写真のように軒先に三輪明神と記された杉玉が下げられている。別軒まで作られ飾られている。ここのお酒はその名も「三諸杉」。この杉玉が緑の真新しい時、新酒ができましたよと知らせるのだ。

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