去来見の山 高見山

奈良県吉野郡東吉野村高見山山頂

石上大臣、従駕にして作る歌

我妹子を いざ見の山を 高みかも 大和の見えぬ 国遠みかも  巻1−44

春3月3日快晴、麓ではフキノトウや土筆が芽を出す。

東吉野村に入ると国道の正面に白い頂の高見山が姿を現す。

昨夜から雪が降ったとは聞いていない。残雪かと不思議な気持ちで高見峠に向った。

峠は南斜面にあり、白い雪のようなものは消えていた。

駐車場にある本居宣長の歌碑を写真に収め、愛犬Gooと山頂を目指した。

とはいえ、なかなかの急勾配で、何度も休憩をとりながら。

山頂に着き、北の斜面を見て驚いた。

見事な樹氷だ。

雪ではない。まるで霜柱が木々の枝にくっ付いているような感じである。

冬山の経験のない私には初めての景観に言葉が出ない。

美しい。

こんなすばらしい景観を経験出来て、文句は言えないが、

1249bの山頂にある万葉歌碑は、多くの歌碑を訪ねたが一番の苦労歌碑だ。山頂には高角神社が坐す。その社殿前に歌碑はある。

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持統天皇六年(692)、石上麻呂が行幸に従駕した時の歌であるが、

この高見山は大和国と伊勢国の境の山で、去来見の山とはうまく表現した山の名だ。

天皇は、三輪高市麻呂の二度の諫めも聞かず行幸したという。

山腹の高見峠は、大和から伊勢に通じる交通の要路である。

大津皇子が伊勢の大伯皇女を密かに訪ねたときこの峠を越えたかもしれない。

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高見山の山腹、高見峠に本居宣長の歌碑がある。

白雲に 峯はかくれて 高見山 見えぬもみちの 色ぞゆかしき    のりなが

紀州徳川家より藩主へ国学を講じるため召抱えられた。

紀州へ初出府したときの作。

宣長は伊勢松阪の人で、63歳にしてこの峠を越え紀州にむかった。

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