吉野川

奈良県吉野郡吉野町宮滝

吉野の宮に幸す時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を

 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて

 朝川渡り 舟競ひ 夕川渡る この川の いや高知らす 水激く 滝の宮処は 見れど飽かぬかも  巻1−36

反歌

見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく またかへり見む  巻1−37

吉野町宮滝は、天武天皇・持統天皇のころの離宮(吉野宮)があったとされる。

天武天皇は、この地に皇后(後の持統天皇)、草壁皇子、大津皇子、高市皇子、河嶋皇子、忍壁皇子、芝基皇子と共に行幸し、

「千年の後まで、継承の争いを起すことのないように」と盟約を結んだ場所だ。

持統天皇に至っては在位の間に、この吉野に31回も行幸している。

この歌は、持統天皇の行幸のいずれかの折に従駕し、詔に応じて柿本朝臣人麻呂が奉った歌である。

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大きな岩盤の間を緑色美しく流れるこの宮滝辺りの吉野川は、見事な景観を今も現す。

「見れど飽かぬ」吉野川である。

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万葉歌碑・・・この辺りに吉野宮があったであろうとされる中荘小学校の校庭にある。

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