佐渡に配されし時に  物部神社

新潟県佐渡市小倉

君の 命畏み 見れど飽かぬ 奈良山越えて 真木積む 泉の川の 早き瀬を 棹さし渡り ちはやぶる 宇治の渡りの

 たぎつ瀬を 見つつ渡りて 近江道の 逢坂山に 手向けして 我が越え行けば 楽浪の 志賀の辛崎 幸くあらば

 またかへり見む 道の隈 八十隈ごとに 嘆きつつ 我が過ぎ行けば いや遠に 里離り来ぬ いや高に 山も越え来ぬ

 剣大刀 鞘ゆ抜き出でて 伊香胡山 いかにか我がせむ ゆくへ知らずて  巻13−3240

反歌

天地を 嘆き祈ひ?み 幸くあらば またかへり見む 志賀の辛崎  巻13−3241

右の二首 ただし、この短歌は、或書には「穂積朝臣老が佐渡に配さえし時に作る歌」といふ

穂積朝臣老

養老六年(722)、元正天皇を批判し斬首の刑を受けるが首皇子(聖武天皇)の奏上により佐渡へ配流される。

この歌は配流の途上、琵琶湖上で詠んだものか。

天平十二年(740)恩赦により入京を赦される。

天平勝宝元年(749)没。

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物部神社

社伝には

創建は穂積朝臣老が佐渡配流謫居二十年の間、物部氏の祖先「宇麻志麻治命」を祀り小祠を建立、とある。

・・・

穂積朝臣老は20年近くこの辺りに住み、またかへり見む奈良の都や志賀の唐崎に思いを馳せていたのだろうか。

境内に万葉歌碑がある。

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