住吉の大御神 住吉大社

大阪市住吉区住吉

天平五年に、入唐使に贈る歌

そらみつ 大和の国 あをによし 奈良の都ゆ おしてる 難波に下り 住吉の 御津に船乗り 直渡り 日の入る国に

任けらゆる 我が背の君を かけまくの ゆゆし畏き 住吉の 我が大御神 船の舳に 領きいまし 船艫に み立たしまして

さし寄らむ 磯の崎々 漕ぎ泊てむ 泊り泊りに 荒き風 波にあはせず 平けく 率て帰りませ もとの朝廷に  巻19−4245

 『続日本紀』 天平五年(733)

三月二十一日 遣唐大使で従四位上の多治比真人広成らが天皇に出発の拝謁をした。

三月二十六日 遣唐大使の多治比真人広成が天皇に別れの拝謁をした。天皇は彼に節刀を授けた。

夏四月三日 遣唐船の四隻が難波の津より進発した。

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遣唐使の船はここ住吉大社近くの難波の住吉の津から出帆した。

当時は、大阪湾の入江が今の住吉大社の堀の辺りまであり、難波の住吉の津とよばれた港はこの辺りであった。

難波の津は、もうひとつ今の天満橋付近にあったと云われる。(防人が九州に出航した港か)

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住吉大社

第一本宮に底筒男命、第二本宮に中筒男命、第三本宮に表筒男命、第四本宮に息長帯比売命を祀る。

四殿ともに西の大阪湾を向いて建っている。

古来、住吉神は海路守護神、海上保護神として崇められ、遣唐使たちはこの住吉神に航海の安全を祈願して旅立った。

住吉大社の反り橋近くのモニュメントに、住吉を詠う十七首の歌が紹介されている。

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住吉の粉浜

春の三月に、難波の宮に幸す時の歌

住吉の 粉浜のしじみ 開けもみず 隠りてのみや 恋ひわたりなむ  巻6−997

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住吉大社の西北に今も粉浜の地名を残すが、埋立てられてしじみなどのすむ海や河口はない。


住吉区東粉浜 南海電車粉浜駅前

住之江区浜口東 住吉公園汐掛け道

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住吉の浅沢

住吉の 浅沢小野の かきつはた 衣に摺り付け 着む日知らずも  巻7−1361


住吉区南住吉 千躰交差点東

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