領布麾ひれふりの嶺

佐賀県唐津市鏡山佐賀県唐津市呼子町

大伴佐提比古郎子、ひとり朝命を被り、使を藩国に奉はる。艤棹してここに帰き、やくやくに蒼波に赴く。

妾松浦佐用姫、かく別れの易きことを嗟き、かく会ひの難きことを歎く。

すなはち高き山の嶺に登り、離り去く船を遥望し、悵然肝を断ち、黯然魂を銷つ。

つひに領巾を脱ぎて麾る。傍の者涕を流さずといふことなし。

よりてこの山を号けて、領巾麾の嶺といふ。すなはち、歌を作りて曰はく、

遠つ人 松浦佐用姫 夫恋ひに 領巾振りしより 負へる山の名  巻5−871

後人の追和

山の名と 言ひ継げとかも 佐用姫が この山の上に 領巾を振りけむ  巻5−872

最後人の追和

万代に 語り継げとし この岳に 領巾振りけらし 松浦佐用姫  巻5−873

最最後人の追和二首

海原の 沖行く船を 帰れとか 領巾振らしけむ 松浦佐用姫  巻5−874

行く船を 振り留みかね いかばかり 恋しくありけむ 松浦佐用姫  巻5−875

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松浦佐用姫伝説

天皇の命を受けた狭手彦は、この地松浦の篠原長者の家に滞在して軍船の準備をした。

そして何時とはなしに長者の娘佐用姫と恋仲となった。

やがて出陣となり狭手彦は断ち難い佐用姫への思いを残して出帆した。

姫は去り行く船影を求め鏡山に登り、領布を振って見送った。

別れの辛さに姫の目は涙で溢れ、流れる涙は水溜りとなり、後に山頂の池となったという。

別れの悲しみに狂乱した姫は山を降り、松浦川を渡り対岸の岩瀬(佐用姫岩という)に這い上がり、

狭手彦を追って呼子加部島へと走った。

しかし船影はすでになく、姫は天童山で七日七晩泣き続け遂に石になったという。

後世土地の人は姫を偲び望夫石と名付けた。

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鏡山(領巾振山)

鏡山

鏡山に登る、といっても頂上まで車で行けるが。山頂からの唐津湾はすばらしい。高島・神集島が浮ぶ。

佐用姫はここから領巾を振りつづけた。

この鏡山には神功皇后の伝説も残る。対馬・壱岐へ渡るための船泊りがこの唐津辺りであったのだろう。

遣新羅使人も神集島に船泊りしている。

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任那・百済を救うため船出した狭手彦、追い難きを知って領巾を振る佐用姫、ついには石になってしまったという。

伝説にいう「佐用姫岩」が唐津市和多田にある。

佐用姫が鏡山から飛び降りたのがこの松浦川河口の岩の上で、いまでもその足跡が凹んで残っていると伝わる。

佐用姫

唐津市呼子町加部島に田島神社があり、境内に佐用姫神社が祀られる。

神体は、七日七晩泣きつづけて遂に石となってしまった佐用姫、その石を望夫石と名付けて祀る。


佐用姫神社

望夫石

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鏡山(領巾振山)・佐用姫の万葉歌碑


鏡山山頂 鏡山神社
巻5−868

鏡山山頂 西展望台
巻5−875

浜玉町平原座主 川上神社境内
巻5−873


鏡山山頂 西展望台への道
巻5−871

唐津市和多田 佐用姫岩
巻5−875

呼子町加部島 田島神社
巻5−874

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佐用姫生誕地

東松浦郡厳木きゅうらぎ町は佐用姫の生誕地といわれる。

牧瀬にある道の駅「厳木」には、高さが12bという佐用姫の像が立つ。

台座が回転し、佐用姫は20分ほどでぐるっと1周厳木の町を見渡している。


厳木町牧瀬 道の駅「厳木」
巻5−874

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