狛島 神集かしわ

佐賀県唐津市神集島

唐津湾に浮ぶ右奥が神集島

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肥前の国の松浦の郡の狛島の亭に船泊りする夜に、海浪を遥かに望み、おのもおのも旅の心を慟みして作る歌七首

帰り来て 見むと思ひし 我がやどの 秋萩すすき 散りにけむかも  巻16−3681

天地の 神を祈ひつつ 我れ待たむ 早来ませ君 待たば苦しも  巻16−3682

君を思ひ 我が恋ひまくは あらたまの 立つ月ごとに 避くる日もあらじ  巻16−3683

秋の夜を 長みにかあらむ なぞここば 寐の寝らえぬも ひとり寝ればか  巻16−3684

足日女 御船泊てけむ 松浦の海 妹が待つべき 月は経につつ  巻16−3685

旅なれば 思ひ絶えても ありつれど 家にある妹し 思ひ悲しも  巻16−3686

あしひきの 山飛び越ゆる 雁がねは 都に行かば 妹に逢ひて来ね  巻16−3687

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神集島

遣新羅使人の歌七首である。

6月に難波の港を発ったが、艱難辛苦ようやく神集島に着いた。秋深まった頃である。

今まではなんやかんや云いながらも、本土沿い、島伝いにやってきた。ここからはいよいよ大海に向けて発つ。壱岐島に向って。

ふつうこのような旅の歌であれば、まずその着いた土地の土地讃め歌を詠い、土地の神に航海の安全を祈るものだが、

遣新羅使人たちにはそんな余裕はなかった。望郷の歌のみが七首詠まれる。

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この島は、神功皇后が海上安全を祈るため(新羅遠征の折)、神々を集めたという故事に由来する神集島なのに。

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夏8月13日、唐津市湊9:30発のからつ丸に乗船した。神集島は沖合い8`にあり、約10分で着ける。

今日はお盆休みで、大きなバッグや紙袋を持った家族連れが多い。島への帰省客であろう。

万葉の里・神集島という船待合所の看板も今日は無用のようだ。

船はまもなく島の港に入った。左手に住吉神社の鳥居が見える。桟橋にはたくさんの人が船を待っていた。

孫が帰ってくるという、おじいちゃん・おばあちゃんが首を長くして下船を待っている。

手を振る。呼び掛ける。真っ黒に日焼けした老母の顔が微笑む。

それぞれの家族の賑やかな声、しばらくするとその声は消えた。ふと周りを見る。そこに残ったのは私たち夫婦ふたりだけ。・・・

このわずかな時間のこのシーンはまるで「寅さん」の映画のラストシーンを見ているような思いがした。

・・・万葉を訪ねる客はふたりだけ。そして、これから地獄の島めぐりが待っていた。

タクシー・バスなどはこの小さな島にはもちろん無い。自動販売機も船着場にあるだけ。

犬養先生の歌碑が7基あるというこの島、歌碑めぐりは小高い山を登り下りすること7`。

夏の厳しい太陽がギラギラと照りつける。熱中症になりそうだ。

これが万葉の島と憬れてやって来たが、犬養先生!、愚痴も出てしまう。

島の人たちにとっては生活優先で、万葉の里はいったい誰のものなのでしょう。

きれいな紺碧の海、家族楽しく海水浴、とても静かな島なんだが。

11:50発の船に乗り遅れてしまい、13:30発の次の船まで待合所で昼寝をすることになった。お疲れ!!

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神集島の万葉歌碑


神集島 船着場
巻15−3681

神集島 住吉神社
巻15−3682

神集島 海水浴場
巻15−3683

神集島 黒崎集落近く
巻15−3684


神集島 住吉神社裏海岸
巻15−3685

神集島 キャンプ場
巻15−3686

神集島 中学校近く
巻15−3687

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