磯 崎

滋賀県米原市磯南町

高市連黒人が羈旅の歌

磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の港に 鶴さはに鳴く  巻3−273

米原市と彦根市の境、磯山が湖岸に突き出た岬を「磯」と呼び、万葉の故地とされる。

磯山の麓には礒崎神社がある。

その後背の磯山には縄文時代の遺跡が見つかったと小学校の社会科で習った。

友人と誘い合い、この磯山に「鏃やじり」「石斧」などをさがしに出かけた。

土を掘る道具を持つわけでもなく、適当にその辺りの石ころを拾って学校に持ち寄った。

「これらは普通の石ころ」と先生に笑われた。

見晴らしのよい岬で、北は竹生島から南は沖島まで望め、対岸の比良連峰も雄姿を見せる。

古代はここ磯を先端に北側も南側ももっと深い入江になっていて、良港であったと思われる。

昭和になってからの干拓で、変貌著しい。

・・・

磯の先端に万葉歌碑(写真右)がある。

・・・・・

礒崎神社

神社縁起によると、

日本武尊が伊吹山で敗れ、「居醒の清水」でようやく正気を取り戻したが、

この磯の地でついに亡くなったといい(『記紀』では伊勢国の能褒野であるが)、ここに御陵を築いたとある。

その後、聖武天皇の勅命により社殿が建立され、これを礒崎大明神と号し、白鳥明神とも呼ばれた。

礒崎神社の起こりと伝えている。

・・・・・・・

紫式部が越前からの帰り、この磯崎に立ち寄り歌を詠む。

磯の浜に、鶴の声々に鳴くを

磯がくれ おなじ心に たづぞ鳴く なが思じ出づる 人やたれぞも  紫式部

・・・

紫式部の父藤原為時は、長徳二年(996)越前守を任じられた。夏、紫式部は父と共に琵琶湖の西岸を辿りつつ越前に下った。

翌年の冬、父に別れ、琵琶湖の東岸を経て帰京した。

← 次ぎへ      次ぎへ →

故地一覧へ

万葉集 万葉故地 滋賀 磯崎

万葉集を携えて

inserted by FC2 system