真 野

滋賀県大津市真野

刀自が歌

真野の浦の 淀の継橋 心ゆも 思へや妹が 夢にし見ゆる  巻4−490

・・・・・

ここ大津市真野の住宅地の一画に、「真野の入江跡」の石碑が立つ。その説明文には、源俊頼の歌を挙げて、

うづら鳴く 真野の入江の はまかぜに 尾花なみよる 秋の夕ぐれ

古代・中世の頃、この辺りは真野の入江と呼ばれていたとある。

現在の真野は、湖岸線が大きく変貌し、石碑の示す古代中世の入江は姿を消して住宅や田畑になり、

さらに、対岸の守山との間の湖上に琵琶湖大橋が架けられてる。

琵琶湖大橋の上から現在の真野の入江を望むと、

真野の浜から琵琶湖大橋を望むと、

・・・

ところで、『万葉集』にも「真野」が詠まれた歌が数首あり、その真野は神戸市長田区の真野であるという説が有力であるが、

冒頭に挙げた吹刀自の歌(巻4−490)などは、きっとこの近江の真野を詠んだものと思われる。

刀自の歌は巻1−22にもあり、

その題詞に、「十市皇女、伊勢神宮に参赴ます時に、波多の横山の巌を見て、吹刀自が作る歌」とある。さらに、

左注に、「吹刀自はいまだ詳らかにあらず。ただし、紀には、天皇の四年乙亥の春の二月乙亥の朔の丁亥に、

十市皇女・阿閉皇女、伊勢神宮に参赴ます、といふ。」とある。

十市皇女は、大海人皇子(後の天武天皇)と額田王の間に生まれ、大友皇子の妃になった女性。

刀自は、十市皇女の幼少のころから仕えた女官であろうと想像できる。

額田王からは、

「わたしは宮廷歌人、とっても公務に忙しいから生まれたばかりの十市のことお願いね、吹刀自さん」

「そのかわり、時間があれば吹刀自さんの歌のお勉強もお手伝いするからね」とも云った。

刀自は歌の先生のお嬢さまに生涯仕えることになった。

十市が大友に嫁ぐときも付き添った。壬申の乱のときは、大津宮でふたりは身を寄せ合って恐怖に耐えた。

そんな大津宮での生活が永い吹刀自が詠んだ「真野の浦」、ここ「近江の真野」しか考えられない。

・・・

一方、『倭名類聚鈔』に載る「真野」を求めると、

常陸国久慈郡真野、陸奥国行方郡真野、美濃国不破郡真野、讃岐国那珂郡真野、そして、近江国滋賀郡真野

である。

上記の「真野」地で、「浦」がぴったりくる地名は近江国の真野しか考えられない。他は内陸の地である。

・・・

さらに、近江国の真野がいかに古い地名であるか、『新撰姓氏録』第五巻「右京皇別下」を引用したい。

真野臣

天足彦國押人命三世孫、彦國葺命之後也。男、大口納命、男、難波宿禰、男、大矢田宿禰。

従氣長足姫皇尊、征伐新羅。凱旋之日、便留爲鎮守将軍。于時、娶彼國王猶榻之女。

生二男、兄、佐久命、次、武義命。佐久命九世孫、和珥部臣鳥・務大肆忍勝等、

居住近江國志賀郡真野村。庚寅年、負真野臣姓也。

・・・

巻4−490の真野は、近江の真野としたい。

← 次ぎへ      次ぎへ →

故地一覧へ

万葉集 万葉故地 滋賀 逢坂

万葉集を携えて

inserted by FC2 system