沖つ島山  沖島

滋賀県近江八幡市沖島町

淡海の海 沖つ島山 奥まけて 我が思ふ妹を 言の繁けく  巻11−2439

淡海の海 沖つ島山 奥まへて 我が思ふ妹が 言の繁けく  巻11−2728

↑ 奥島(長命寺山) 陸続きだから車で行ける

↑ 沖島 琵琶湖に浮ぶから船で渡る

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沖島は、近江八幡市の沖合い約2`、琵琶湖に浮ぶ島である。琵琶湖で最も大きな島である。

ただし、往古万葉の頃は、琵琶湖の水位が今よりも高く、

現在陸続きになっている奥島(長命寺山)も湖中に浮ぶ島であったと言われている。

歌中の「沖つ島山」は、この辺りの島々を総称して詠んだのかもしれない。

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この歌の意は、

近江の海の沖の島山ではないが、奥の奥まで私はあの娘を思っているのに、人の噂の絶えない娘だ。

どうやら気の多い女性だからか、好きになった男が嘆いているのだが、沖島はなんも関係ないんや。

噂の絶えない女性だけど、なぜか魅力があって・・・経験は浅いが、私もこの男の気持よくわかる!

沖島には、式内社「奥津島神社」がある。

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沖島を臨む湖岸(湖周道路・野洲市辺り)に、紫式部の歌碑が立つ。

みづうみに、おいつ島といふ洲崎に向ひて、わらはべの浦といふ入海のをかしきを、口ずさみに

おいつ島 島守る神や いさむらむ 波も騒がぬ わらはべの浦

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紫式部の父藤原為時は、長徳二年(996)越前守を任じられた。

夏、紫式部は父と共に琵琶湖の西岸を辿りつつ越前に下った。翌年の冬、父に別れ、琵琶湖の東岸を経て帰京した。

「おいつ島」と「わらはべの浦」とは、沖島とその対岸辺りをいうのであろう。帰路の歌である。

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