大津宮跡 錦織遺跡

滋賀県大津市錦織

近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌

玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下

知らしめしいを そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ひしめせか 天離る 鄙にはあれど

石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども

大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも  巻1−29

反歌

楽浪の 志賀の辛崎 幸くあれど 大宮人の 舟待ちかねつ  巻1−30

楽浪の 志賀の大わだ よどむとも 昔の人に またも逢わめやも  巻1−31

大津宮跡 大津市錦織

667年、中大兄皇子は都を近江国大津に遷した。

663年、白村江の戦いで唐・新羅に惨敗し、日本への侵攻に脅威した皇子は、

北九州から瀬戸内沿岸に山城を築き防備を固めるともに、大和からこの大津に遷都した。

そして翌年の668年、即位して天智天皇となる。

しかし、671年天智天皇は崩御、天智の子大友皇子と天智の弟大海人皇子との間で皇位継承の乱が起きる。

672年壬申の乱である。

大友側が敗れ、大津宮はわずか5年余で消えた。

・・・

20年後に訪れた柿本人麻呂は、荒廃した大津宮を詠う。

・・・・・

錦織遺跡には万葉歌碑が立つ。(巻1−29)

・・・・・

錦織遺跡から近江神宮に向う途中、大津京シンボル緑地という小公園がある。歌碑が立つ。

左から

秋の田の かりほの庵に 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ  天智天皇

淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ  柿本人麻呂 巻3−266

さざ波や 志賀の都は 荒れにしを むかしながらの 山ざくらかな  千載和歌集 読人しらず(平忠度)

・・・

額田王、近江天皇を思ひて作る歌一首

君待つと 我が恋ひ居れば 我がやどの 簾動かし 秋の風吹く  巻4−488

内大臣藤原卿、采女安見児を娶る時に作る歌一首

我れはもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすといふ 安見児得たり  巻2−95

← 次ぎへ      次ぎへ →

故地一覧へ

万葉集 万葉故地 滋賀 大津宮 錦織遺跡

万葉集を携えて

inserted by FC2 system