崇福寺跡

滋賀県大津市滋賀里

穂積皇子に勅して、近江の志賀の山寺に遣はす時に、但馬皇女の作らす歌一首

後れ居て 恋ひつつあらずは 追ひ及かむ 道の隈みに 標結へ我が背  巻2−115

「近江の志賀の山寺」とは、比叡山の東麓にあった崇福寺のことであるが、今は寺跡を伝える礎石が残るのみである。

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この歌に続いて、巻2−116には

「但馬皇女、高市皇子の宮に在す時に、竊かに穂積皇子に接ひ、事すでに形はれて……」とあり、

不倫というのか三角関係というのか大胆な恋の歌である。

穂積皇子は持統天皇の信頼厚く、この噂を耳にした天皇は勅使に事寄せて、穂積皇子を一時崇福寺に幽閉させ、

太政大臣高市皇子との立場を繕ったといわれている。

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崇福寺跡は近江の滋賀里から京の白川に越える峠道にあり、

峠の入口には「志賀の石仏」が御座す。阿弥陀如来坐像で、高さ3.5b、巾2.7bの花崗岩に高さ3.1の像が彫られている。

とても柔和な顔をしたやさしい仏様だ。13世紀頃の作といわれている。

紅葉のころに崇福寺跡を訪ねると私の身体までもみじ色に染まる。

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