矢 橋

滋賀県草津市矢橋

近江のや 矢橋の小竹を 矢はがずて まことありえむや 恋しきものを  巻7−1350

矢橋は古くから港町として栄えた。

東海道と中山道に通じ、対岸の大津と舟で結ぶ湖上交通の要所であった。

大和から山背、宇治、そして逢坂山を越えると大津、そのまま陸路をとると勢多川を渡る。

湖上を舟で矢橋まで渡るとかなりの時間短縮になった。旅人や物資の運搬にこの港は大いに賑ったという。

・・・

『今昔物語集』の巻第二十八の第七話には、

「近江国矢馳の郡司の堂供養の田楽の語」として、大津と矢橋を舟で行き交う話がでてくるが、

郡司が田舎者で舞楽と田楽を間違うというおもしろい話。

江戸時代には「近江八景」の「矢橋帰帆図」を歌川広重が描いている。

・・・

干拓が進んだのだろう、現在、田んぼの真中にポツンと常夜灯が立つ。

側面には「渡航安全」と弘化三年(1846)の銘が刻まれている。松の木は枯れ、さびれ果てたむかし港の風物である。

当時の面影を求めるのはこの常夜灯くらいで、行き交う帆掛け舟の姿はもちろんなく、湖面を水鳥が泳いでいるばかりである。

江戸時代の面影ですらこのような状態だから、万葉の頃の矢橋は求めようがない。

← 次ぎへ      次ぎへ →

故地一覧へ

万葉集 万葉故地 滋賀 矢橋

万葉集を携えて

inserted by FC2 system