手児の呼坂

静岡市駿河区北丸子

東道の 手児の呼坂 越えて去なば 我れは恋ひなむ 後は逢ひぬとも  巻14−3477

手児の呼坂

安倍川下流の西の山裾、丸子地区に「手児の呼坂」の万葉歌碑はある。

この道が古道東道という。

歌碑の陰面の説明文を記す。

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東道の「手児の呼坂」は往古東国への官道であった。

奈良・平安の文化はこの坂を越えて伝えられたのである。万葉時代から先人は辺りに秀れた歌を遺している。

江戸初期東海道が開通してからも、この坂は付近の住民に利用され続けたが、

次第に「手児の呼坂」のことを知るものは少なくなった。

今ここに万葉人のロマンを永く伝えんとして、坂の登り口である当地に碑を建立するものである。

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集中、「手児の呼坂」を詠った歌がもう一首ある。

東道の 手児の呼坂 越えがねて 山にか寝むも 宿りはなしに  巻14−3442

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『駿河國風土記』逸文に、

するがの國の風土記に云、廬原郡不來見の濱に妻をおきてかよふ神有。

其神つねに岩木の山より越て來るに、かの山にあらぶる神の道さまたぐる神有て、さへぎりて不通。

件の神あらざる間をうかがひてかよふ。かるがゆゑに來ることかたし。

女神は男神を待とて岩木山の此方にいたりて、よるよる待に、待得ることなければ、男神の名をよびてさけぶ。

よりてそこを名付て、てこの呼坂とすと云々。

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