因幡の国の庁

鳥取市国府町庁

三年の春の正月の一日に、因幡の国の庁にして、饗を国郡の司等に賜う宴の歌一首

新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事  巻20−4516

右の一首は、守大伴宿禰家持作る

『万葉集』最終歌である。

天平宝字二年(758)六月十六日、従五位上の大伴宿禰家持を因幡守に任じた(『続日本紀』)、とある。

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政権は大きく変わろうとしているまさにその渦中に家持はいた。

家持が信頼する橘諸兄は、台頭する藤原仲麻呂に圧倒され756年左大臣を辞任し、そして翌年死去。派閥の主格を失くしたようなものだ。

さらに不幸は、諸兄の子奈良麻呂が仲麻呂打倒を計画したが未然に発覚し斬られた。

藤原仲麻呂は権勢を握った。大伴一族には道が閉ざされた。

そして翌年家持は因幡の守として赴任する。42歳という。29歳で越中国守となった溌剌とした当時とは大きく異なる。

どのような気持ちでこの因幡の山河を眺めたのだろうか。落魄の家持という厳しくも悲しい評がされる。

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はじめて迎える因幡の正月の歌、この歌をもって万葉集は閉じる。

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万葉歌碑


国府町庁の万葉歌碑

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