糸鹿の山

和歌山県有田市糸鹿

足代過ぎて 糸鹿の山の 桜花 散らずもありなむ 帰り来るまで  巻7−1212

世界遺産に登録された熊野古道、平安時代から鎌倉時代にかけて「蟻の熊野詣」と形容されるほど、

皇族から一般庶民までが熊野三山を目指してこの道を歩んだ。

白河上皇12回、鳥羽上皇23回、後白河上皇33回、後鳥羽上皇28回、後嵯峨上皇2回、そして亀山上皇をもって終焉する熊野詣、

上皇・法皇になっても院政で権力を握っていた彼らが足しげく往還した。

そしてその後は武士や農民など庶民が信仰の道として歩んだ。

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その道は、京都から船で淀川を下り、大阪・天満橋から陸路をとって和歌山に入った。

ここ糸我峠を越えさらに南下し紀伊田辺から中辺路と呼ばれる山道コースを進んで、熊野本宮に辿り着いた。

そして熊野三山を巡拝したのだ。

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私は一度友人の山郷さんと紀伊田辺の滝尻王子から本宮までの約40`を一泊二日で歩いたことがある。

軽いハイキングのつもりでスタートしたが、なんのなんの山あり谷ありの厳しい山道コースで疲労困憊した経験がある。

昔の人は健脚だったと感心をしたものだ。

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万葉に詠まれる「糸鹿の山」は、この糸我峠辺りをいう。雲雀山という208bの山を越える。

今も古道そのままに細い小道がくねるように続いている。みかん畑を縫うように愛犬Gooと峠まで登ったが汗だくになってしまった。

有田の街を見下ろす景観はすばらしいが、やはり昔の人の健脚に恐れ入ったが正直なところ。

峠には、熊野道の道標と万葉歌碑が立つ。(上の糸鹿峠の写真)

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麓の得生寺にも歌碑がある。

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