岩 代

和歌山県日高郡みなべ町岩代

有間皇子、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首

岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む  巻2−141

家なれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る  巻2−142

『日本書紀』

斉明天皇四年(658)冬十月十五日、紀の湯に行幸された。

十一月三日、留守をまもる役目の蘇我赤兄が、有間皇子に語って、「天皇の治政に三つの失政があります。大きな蔵を立てて、人民の財を集め積むことがその一。長い用水路を掘って、人夫にたくさんの食糧を費やしたことがその二。舟に石を積んで運び、岡を築くというようなことをしたことがとがその三です」と云った。有間皇子は、赤兄が自分に好意を持っていてくれることを知り、喜んで応答して、「わが生涯で初めて兵を用いるべき時がきたのだ」と云った。

五日、有間皇子は赤兄の家に行って、高殿に上って相談した。そのとき床几がひとりでにこわれた。不吉の前兆であると知り、秘密を守ることを誓って中止した。皇子が帰って寝ていると、この夜中に赤兄は、物部朴井連鮪を遣わして、造営工事の人夫を率い、有間皇子の市経の家を囲んだ。そして早馬を遣わして天皇のところへ奏上した。

九日、有間皇子と守君大石・坂合部連薬・塩屋連?魚とを捕えて、紀の湯に送った。舎人の新田部連米麻呂が従って行った。皇太子(中大兄皇子)は自ら有間皇子に問われて、「どんな理由で謀反を図ったのか」と云われた。答えて申されるのに、「天と赤兄が知っているでしょう。私は全く分りません」と云われた。

十一日、丹比小沢連国襲を遣わして、有間皇子を藤白坂で絞首にした。この日、塩屋連?魚・舎人の新田部連米麻呂を藤白坂で斬った。塩屋連?魚は殺されるという時に、「どうか右手で国の宝器を作らせて欲しいものだ」と云った。守君大石を上毛野国に、坂合部薬を尾張国に流した。

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乙巳の変の後、皇極天皇は位を中大兄皇子に伝えようとしたが、中臣鎌子の注進があって中大兄皇子は皇太子となり、皇極天皇の弟、中大兄の叔父である軽皇子(孝徳天皇)に譲った。孝徳天皇は都を難波長柄豊碕に遷した。しかし、天皇と中大兄とは折り合いが悪く、中大兄らは飛鳥へ引上げてしまった。難波にひとり残った天皇は翌年病没し、母の皇極天皇が重祚して斉明天皇となった。

有間皇子はこの孝徳天皇の子で、本人の思いにかかわらず反中大兄と見なされたのであろう。蘇我赤兄にそそのかされた、あるいは欺かれたといえよう。有間皇子の本意は分らない。「天與赤兄知。吾全不解」

ただし、日本書紀はこの変の以前の有間皇子を語る。

「斉明天皇三年九月、有間皇子は性さとく狂者をよそおったところがあったと、云々。紀国の牟婁の湯に行って、病気療養してきたように見せて、その国の様子をほめ、「ただその場所を見ただけで、病気は自然に治ってしまいます」と、云々。天皇はこれを聞かれ喜んで、自らも行ってみたいと思われた。」

有間皇子は狂者を装ったという。皇位継承権を放棄するための装い、天皇や中大兄に反逆の意の無いことを示すための狂者演技であったのだろうか。それとも、天皇・中大兄を紀伊に誘い出し、その隙に反旗を挙げる計画の第一歩であったのだろうか。勝者の歴史書からは読み取れない。

万葉歌は、中大兄皇子らのいる紀の湯(白浜)に護送される途中、現在のみなべ町岩代辺りで詠んだ歌である。

「松が枝を引き結び」とは、草木を結ぶことにより魂を引き留めようとする呪的習俗のことといわれる。死を覚悟したものの一縷の望みを託したものか。いや、死を覚悟したがうえでのこの歌なのだろう。搬送されていくこの景観を再び見ることはないだろうとの思いが込められているように思われる。神に捧げる神饌もここでは椎の葉に盛らねばならないと詠う。

帰路、藤白坂(海南市藤白)で19才の若い命を閉じた。

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「有間皇子結松記念碑」は、日高郡みなべ町岩代の国道42号線沿い(海側)にある。

万葉歌碑

(左)有間皇子結松記念碑」碑陰巻2−141・142 (右)みなべ町西岩代・光照寺西側巻2−141巻1−10

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中皇命、紀伊の温泉に往す時の御歌

君が代も わが代も知るや 岩代の 岡の草根を いざ結びてな  巻1−10

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白浜町にも有間皇子の歌碑がある。

皇子が皇位継承争いで無念の死を遂げたということよりは、牟婁の湯は病気療養にとてもよいと天皇に奏上したことを讃えての碑が立つ。

白浜町白良浜・白良浜小公園

もうひとつ、白浜町湯崎の湯崎浜広場には「真白良媛像」が立つ。この辺りの特産の本覚寺ヒガイという貝を抱く。

真白い艶やかな貝で、白く美しい真白良媛を思い浮かばせる貝という。

ところでこの媛は誰?

有間皇子を慕う媛で皇子の不幸も知らず、ずっと皇子を待ち続けた媛という創作のお話らしい。

台座に巻2−141の歌が刻される。

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